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01
小さい頃、マンガやアニメで見て憧れていた特殊能力。
それは炎を操るものだったりロボットを動かすものだったり魔法と呼ばれる未知なるエネルギーを駆使するものだったりと様々で。
自分にも特殊な力があれば。一つだけ手に入れられるとしたらなにがいいか。そんな非現実染みた夢想に耽るような子供は珍しくないはずだ。
俺――上坂幸隆も元はといえばそんな純粋な子供だった。
けれど、ある日を堺にしてその夢は打ち砕かれる。
自分が中学に上がる頃、現代日本では金を払えば特殊能力を買えるようになっていた。
政府が考案した《人類機械化計画》、それは人の脳をプログラム化し、自我を保ったままその身体部分を機械に移行するという非人道的なものだった。
最初から到底受け入れられるものではなかった。
けれど、定期的なメンテナンスさえ行えば病気どころか寿命すら意味を成さなくなる。そう謳う政府は、疑心暗鬼の国民たちの前に一人の人間を出した。
重病に犯され余命幾ばくだったその“元人間”だという人間は実際に機械化を行ったという。
生前――否人間である頃と変わらない容貌、性格、それどころか、以前のように体力や病のことを気にせず元気に動き回る姿を見せ、そして実際に機械であるという証拠に体に埋め込まれた脳部分――チップを取り出してみせた。
それからだ、すべてが大きく動き出す。
《人類機械化計画》は高齢層や難病の人間から優先的に行われた。
政府推進のその計画では、機械化のための手術費や、機械の体に慣れるまでのリハビリ費、メンテナンス代など計画に関わるものすべてを国が費用を全負担するというものだ。
肉体を捨てるという代償の代わりに受けられる恩恵はあまりにも大きすぎた。
最初はもう未来のない人間が藁にも縋る思いで政府に自ら泣きついた、そして次第にその評判と利便性に大勢の人間が次は自分をと自ら計画の実験体になることに臨んだ。
それが数年前。
当時テレビで計画が発表されたときはまるでSF映画みたいだ、なんてぼんやり考えていたが、今はどうだ。
殆どの人間が生身の肉体を捨て、機械の体の定期メンテナンスを行っている。
今では知識も能力も全て専用チップを脳に埋め込めば自分のものに出来、姿形性別すら自在に変形することが出来る。
自我はある、自分の名前もだ。けれど、データ化した脳と別人にも等しい容貌の機械を本人だと言えるのか。
――俺は、機械の体には魅力を感じなかった。
専用チップを埋め込めば勝手に知見を得られるようになった世界では勉強をわざわざ習う必要がなくなり、機械化した同級生は学校を辞めていく。
いつの間にかに周りはアンドロイドばかりで、何度も『お前も手術受ければいいのに』と言われたが俺は頑なに断った。
努力もなしに得られたものを自分のものと呼べるのか。
俺は、テレビのヒーローみたいに、己の手で得た知識と力がほしかった。
恥ずかしげもなく金で知識を買う人間にはなりたくなかった。
努力を怠らない、それは誰に言われたわけでもない、幼い頃からのポリシーだった。
子供のプライドと言われればそこまでだが、それでも、俺はそれだけは捨てたくなかったのだ。
《人類機械化計画》はあっという間に浸透していく。
人類を大きく進化させることになったその計画だったが、万事成功したわけではなかった。
今でも問題となっているのは出元不明の改造チップだろう。
改造チップを使用したものは規格外の能力を手に入れることが出来るが、その代わり安全性も保障されていない。
改造チップ使用者の能力の暴走による事件も少なくはなかった。
不死身の体と豪語したが実際は心臓となる部位を破壊されれば全機能は停止してしまう。
いくら破損した部位を直せても、人格を完全に保つことは出来ないのだ。
『ヨシタカ、どうしたの? そんな顔をして』
改造チップ使用者による無差別殺人で死んだ母親が翌日無傷になって帰ってきた時は、目の前が真っ白になった。
元々体が弱かった母親は、政府が計画を公表したとき『あんたに迷惑かける必要がなくなるから』と移植手術を受けた。
新しい体になって母親の記憶は、確かに手術前まで遡っていた。けれど、自分が死んだことを気付いていない。
記憶のコピー、上書き保存。数分待てば元通り。
目の前の母親は、見た目は生前となんら変わらない。喋り方も、仕草もだ。けれど、そこにいたのは母親ではなかった。母親を模した機械だ。ハリボテの記憶とそれを元にして作られた人工知能、それが母親の正体だと気付いた瞬間、吐き気がした。
政府が行っているのは革命というなの大量殺人だ。機械化という名目で人を殺し、自分たちの思い通りになるチップを植え付け、機械軍を作り上げる。それが目的なのだと気付いてしまったのだ。
現に、違法チップはこの世にのさばってる。違法チップ使用者を全員割り出すことは政府には可能なはずなのに、放置してる現状がおかしいのだ。
政府はそれを利用してるのだ、各々自分の体を改造し、強化することを。それを駒として利用するために。
そう気付いたのは、駅前で反機械化計画を叫んでいた集団がいたからだ。
連中はすぐに人造の警察に連行されていたが、それでも、俺には恐ろしいほどしっくりきたのだ。
高校に上がり、剣道部に入った。
母親の顔をした機械がいる家に帰るのが嫌になって、俺は武道場に残りひたすら竹刀を振るって時間を過ごした。
掌がマメだらけになって、そのマメも潰れて、痛みも感じなくなって、それでもひたすら剣を振るって。気が付けば、憧れていた先輩に勝てるようになって、何回でも大会で勝つことが出来た。
努力は俺を裏切らない。努力すればするほど結果は伴ってくる。
大会では機械化した相手と戦うこともあった。勿論チップは制限されていたが、それでもルールを破って違法チップを使ってくる馬鹿もいた。
そんな馬鹿を倒したときが一番気持ちよかった。
チップを使えば力は強くなるだろう、けれど、太刀筋も基礎も理解せずただ木刀を振るう馬鹿の動きは単調だ。
生身で、違法者相手に勝つ。そのことで俺と同じように生身でいる人間に少しでも希望を与えられたならいい。自己満足だった。
機械にも負けないくらい、もっと強くなりたい。負けたくない。劣ってると思われたくない。機械に頼るあいつらなんかに、絶対。
称賛の嵐の中、体の中を燻っていた感情は確かに黒く、膨れ上がっていく。
それでも、胸の中、ぽっかり開いたものは埋まらなかった。
そんなある日のことだった。
「君は、機械体にならないのか?」
梅雨明け。大会会場から帰ろうとしていたところに、一人の男に声を掛けられた。
新手のスカウトか、不審者か。他校から声を掛けられることは幾度かあったが、そんなことを単刀直入に聞かれたのは初めてだった。
初老のその男は、俺が警戒してることに気付いたのか慌てて手を上げた。
「ああ、悪いな、いきなり……噂で聞いたんだ、生身の人間で強い子がいるって」
人良さそうな穏やかな笑顔。けれど、体格もよく、服の下ではよく鍛えられてるのがわかった。それに、目だ。俺のつま先から頭のてっぺんまでを見るその目は、普通の人間のものとは違う。
どちらにせよ、どうでも良かった。そんな噂が流れ、こうして会いに来てくれる人間がいるというだけで少しは自分のしてきたことの意味が為されてる気になれたから。
「俺は……別に長生きもしたくないし金で買える特殊能力に頼りたくないしそんなやつらに負けたくない」
本心だった。なんと言われようが、機械化に対する意見は変わらないだろう。それは相手が何者であってもだ。
真っ直ぐ男を睨み返せば、男は押し黙る。それも一瞬のことだった。やがて、男は破顔した。
そして、
「よく言った! 俺は、君のような人材を探していたんだ!」
いきなり、男に手を握り締められる。
そのがっしりとした手からは、機械体からは感じられない確かな暖かみがあった。
不審者――もといその男は久崎と名乗った。
久崎は違法チップ使用者――違反者を取り締まり、反機械化を謳う組織に所属しているという。
「……とはいえこんな御時世だ。勿論俺たちの活動は非公式、つまりはまあ自警団のようなものだな」
「警察や政府の連中は目立った被害がないと動かないからな」そう口にする久崎の言葉の端々からは政府への怒りが静かに滲んでいた。
そして、久崎は違反者相手にでも戦える人間を探していたという。
そういった組織の存在は、知っていた。
俺も政府に不信感を抱いている人間の一人だ。
けれど、それを公にすることはこの国では厳重に取り締まられる。いつの日か駅前でデモンストレーションを行っている連中が連行されていたのを思い出す。
やり方はともかく、久崎のように他人を助けるという部分には大きく共感することができた。
そしなにより、久崎を不審に思うよりも先に『まさか自分がスカウトされるとは』という興奮のほうが大きく上回っていたのだ。
「どうだろうか、君さえよければ俺達に力を貸してくれないだろうか」
人助けとはいえど、表向きには反社会組織だ。
組織に入るということは政府を敵に回すということ。
そうなると、友達とも家族とも縁を切らなければならない。迷惑がかかるのは明白だからだ。
けれど、俺には迷いなどなかった。
「よろしくお願いします」
そう、久崎さんのゴツゴツとした手を握り返せば、久崎さんは顔をくしゃくしゃにして笑った。
それから、俺は組織に入るために家を出た。
親にもなにも言わずに、一人手ぶらで久崎さんの用意した車に乗り込む。
悔いもない、だって、この家にいるのは母親ではなくただの機械だ。そんな機械と一緒に燻って死ぬだけの人生なんて真っ平ゴメンだ。
その日を堺に、俺の人生は大きく変わった。
間違いなく分岐点というならばそこだろう。良くも悪くも、世界が変わったのだから。
組織での生活は分かりやすいものだった。縦社会もなく、用意された任務を来なし用意された寝床で眠る。
他の隊員たちは成人した者が多く、そんな中でも一番年下だった俺にも皆優しくしてくれた。
隊員達は皆、大切な人やものを違反者のせいで失った者ばかりだった。
自分だけじゃない、そうした経緯を得て皆同じ結論に至ったのだろう。不信感を募らせるものの、周りは機械ばかり。こうして近くに同じような思想の人間が大勢いるというだけでも俺は安堵した。
とはいえ、この組織は自警団でもある。いつも部屋でお喋りしてるだけでは済まない、組織の寝床でもあるアジトでは多くの武器を貯蔵する武器庫や、訓練所など穏やかではない部分もあった。
違反者を相手にするということは、それなりに危険を伴う。
被害を出す前に違反者を即刻始末する。
それが、組織のモットーだった。
「上坂。君は本物の刀を触れたことはあるか?」
「……ないです」
「そうか、なら、実戦に出る前に慣らしておくといい。いくら君が剣士とはいえど、木刀とは重さも勝手も違うだろうからな」
「これが、君の相棒となる刀だ。……追々自分にあった武器を見つければそちらに乗り換えてもいいが、今回は間に合わせでこいつを用意した」鞘に納められた棒状のそれを久崎から受け取る。
竹刀とは比にならない重量感、けれど、試しに鞘から抜いて振れば、空気を切るような軽さに驚く。
「……すげえ」
「はは、喜んでくれたなら何よりだ。ここに、剣術トレーニングに必要な用具も用意した。……あとは好きにしてくれて構わない。本当はコーチしてやりたかったんだが、悪い、今ここにいる連中で刀が使えるのは君だけなんだ」
「いえ、これだけあれば十分です。……ありがとうございます、久崎さん」
血が湧き上がる。この刀で一刀両断することができればとてつもなく快感となるだろう。
握りしめた柄に血脈が繋がるような一体感に、バクバクと心臓は脈打つ。
それから、俺は暇さえあれば鍛錬を行った。勿論人形相手だ、たまに他の人間に鍛錬に付き合ってもらうこともあった。
けれど、やはり基本は一人だった。
一度本気で殺しそうになったことがあったのだ。溢れ出すドーパミンを抑えることができず、頭に血が昇り、本気で刺し違えそうになった。
それ以来、俺の方からトレーニングは断るようになった。
それから程なくして、初めての任務を任された。
違反者の眼球に刃を突き立て、脳を傷つければいい。そこには心臓となる部分があり、そこを損傷させることができれば活動停止させることができる。そのあとは回収班が回収し、解体する。
それが大まかな流れだった。
俺は、はじめての任務のプレッシャーに恐ろしいほど自分が猛っていることに気付いた。
そして任務当日。
敵を前に、恐ろしいほど頭はクリアだった。柄を握り締め、敵に向かって一直線上に走り抜ける。
襲い掛かってくる違反者に向かって俺は刀を持ち替えた。殴られる直前、違反者が俺の行動範囲内に入ってきたのを確認したと同時に眼球の縁、横殴りの抉るように刃を突き立てる。機械だろうが関係ない、それは切るというよりも鉛で叩き潰すと言ったほうが正しい感触だった。
それからはあとは一瞬のことだった。柄まで一気に押し込めば、耳の裏から刃が突き出る。
しかしやはり相手は機械。血もでなければ、悲鳴もない。ただ、時が停まったかのように生命活動を停止させるのだ。
思ったよりも悲しみもショックもなかった。ただ、世の中に貢献することができた。役に立てた。俺の刀で、終わらせたのだ。その事実にひどく興奮したことだけは鮮明に覚えている。
その日、初めて違反者を殺したその晩、俺は寮の部屋に帰って初めてアジトで自慰行為に耽った。
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