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03
俺と他隊員が囮になり、月見嘉音を惹き付ける。その間に久崎さんのスナイパーライフルで月見の脳天に銃弾を打ち込み活動停止させるという作戦だったのだ。俺たちはやつを見誤っていた。
月見嘉音は明るい髪の細っひょろい男という。
黒いコートを羽織り、戯れに夜の街に出現してはアンドロイドも人間も無差別に殺していく。
目的も動機も不明。けれど、襲った相手がアンドロイドだった場合は必ずチップをすべて抜き取っていくのだ。
違法チップは裏で高値で取引されることが多い。
月見はそれで金を得ろうとしているのではないか、そういう話は聞いたことがあるが俺にしてはどちらでも良かった。
同族殺しの殺人鬼の考えなんて理解したくもない。
とにかく、見つけ次第殺す。
そのつもりで、月見を探した。
そして、見つけた。
雑居ビルの隙間、倒れる人間とその側にはひょろりとした細いシルエット。
月に照らされた髪は金に光り、そして、コートのポケットに何かを隠したその男――月見は俺たちの姿を見ると奥へと走り出した。
「っ、待て……この……っ!」
こんな隙間じゃ視界が悪すぎる。
せめて、久崎さんが狙いやすいように拓けた場所へと追い込もう。
そう、先を征く月見を逃さないように加速する。相手の足はやはり早い、けれど、動きや体の傾きを予測して行き先を予測することは可能だ。
人間の体力は機械とは違い底がある。このまま消耗戦に持ち込まれると厄介だった。
次に角を曲がろうとするのを予測し、俺は、腰に掛けていた銃を手にした。刀だけでは不利なときのため、銃の撃ち方も習ったのだ。
そして、月見の数メートル先に発砲した瞬間。
ビンゴ。
見事、月見の腿に弾が的中する。破損する脚部に、バランスを崩す月見。その体に続けて弾を打ち込めば、そのまま月見は倒れた。
そして、それに駆け寄った俺は月見を捕らえようとして気付いた。
月見だと思いこんで追いかけていたそれは、ダミーだった。
いくら銃とはいえど耐久性がおかしいと思ったが、あの男、安物の機械を囮に使ったのか。
頭に血が上りそうになったが、だとすると今気がかりなのは本物の月見だ。
咄嗟に、久崎さんに連絡を取ろうとするが応答はない。
久崎さんは周りが見渡させるようにと一番高い建物の屋上にいるはずだ。
――まさか。
厭な想像が脳裏を横切る。
考えるよりも先に体が動いていた。
俺は、久崎さんが待機しているビルへと向かって駆け出した。
高層ビル、その屋上。
そこに一つの影が佇んでいた。
満月に照らされたその黒い影に、咄嗟に俺は「久崎さんッ!」とその人の名前を呼ぶ。
そのときだった、その人影はゆっくりとこちらを振り返った。明らかに久崎さんではない、細く、ひょろ長いシルエット。そして。
「ん? 久崎さんってもしかしてこの人のこと?」
無造作に伸びた髪を夜風に靡かせ、笑うその男は間違いない、本物の月見嘉音だ。月見嘉音は足元に転がる何かを思いっ切り踏み付ける。
瞬間。
「ゴボッ」
聞こえてきた声に、やつの踏みつけたそれが久崎さんだと厭でも理解した。大きな穴が開いたその腹部からは夥しい血が辺りに飛び散っている。既に絶命してるであろうほどの致命傷。それでも、信じたくなかった。
「やめろっ! 久崎さんから離れろ!」
「どうして? もうこの人死んでるよ? ……それとも、死体だけ回収して機械にしてもらうの?」
「っ、いいから離れろ! この……ッ」
キチガイが、と刀を構えるよりも先に、月見が落ちていたスナイパーを拾う方が早かった。
スコープを覗きもせずその引き金を引いた瞬間、腕が焼けるように熱くなる。手首、その先の感覚がない。離れた場所で、刀が落ちる音がした。血の気が引く。体に流れる血が、どんどんと外へ流れ出すようだった。
「……え」
刀を持つはずの手があった場所には、なにもない。
吹き飛んだそこからは骨と肉が剥き出しになり、それを視覚で認知した瞬間、理解した。
痛みはなかった。恐らく、脳が処理しきれていないのだ。
殺される、この男に、殺される。
本能で理解した。愛用の刀を振るう暇すら与えられなかった。絶望を前にして、俺は、腰のホルスターから銃を引き抜いた。
どうせ殺されるのなら、少しでも傷跡を残してやる。
やつのこめかみに銃口を突きつけ、トリガーを引く。
瞬間、目の前にいたはずの月見の姿が霧散する。
「……いいよ、威勢がいい子は好みなんだ」
すぐ耳元で月見の声がしたと思った瞬間、どこからともなく湧き出した黒い霧は急速に広がり、やがて屋上全体を包み込む。
辺りは暗闇に包まれる。月の光が頼りになっていたというのに、その月すら奪われてしまえばなにも見えるはずがない。
ドクドクと血が流れる感覚だけがより鮮明に伝わってくる。どこだ、あいつは。どこにいる。
つま先で刀を探す。そして、つま先に当たる硬質な感覚に慌てて手を伸ばした時。
刀を握ろうとしたその手を踏み付けられる。
「ぐ……ッ!!」
「君もやつらの仲間ってことはさぁ……生身なんだっけ? 不便だろうに馬鹿だよねえ。けど、生身のがいいよね。切ったら血が出るし反応もなかなかいい。機械よりはよっぽど感度はいい方がいいしね」
「君はどうなのかな」と、下衆な笑いを浮かべる月見に、踏み躙られる手の甲に、熱に、止まらない血に、目眩を覚えた。
月見嘉音は幻術使いだと言う。実際には怪音波での脳へ直接攻撃して神経を掻き回し、作為的に幻覚を見せるものらしいが、実際に食らった人間はことごとく死んでいるので全て憶測の域を出ない。
「く、そ……ッ!!」
やけくそだった。
傾く重心。倒れる前に、この男を破壊したくて、ただ月見に向かって発砲する。
けれど、当たってるのかどうかもわからない。纏わりつくような黒い霧を振り払うことできない。
まさに八方塞がり。
「ああ、弾が勿体無いよ」
「それに」と、月見の唇が動いた次の瞬間、瞬きをしたその間に、月見嘉音はすぐ俺の背後に立っていた。
虚空に突きつけた銃ごと、手を握り締められ、ぎょっとする。
「手が震えてるね」
冷たいその指先が銃を握る手を包み込んだとき。
月見の手が、蛇へと姿を変え、指に、手首へと這い上がってくる。
「っ、う……ッ!」
幻覚だ。そうわかっていても、手首から袖口へと潜り込み、制服の下を這い上がってくるその冷たく湿った体は本物に等しい。
銃を握り直し、思いっきり蛇を引き剥がそうとするが、服の下へと潜り込むそれを片手で振り払うことはできなかった。それどころか、腕だけではなく足元に無数の蛇が近付いてくるのを見て、血の気が引いた。
「っ、消えろ、この」
靴の爪先で追い払い、その場を後退りする。敵意を持ってこちらを見る目に、締め付けられる腕に、汗が溢れる。
ゆっくりと地面の上を滑るように向かってくるたくさんの蛇に俺は、逃げようとして、そして何かにぶつかった。
「大丈夫? すごく具合が悪そうだけど……」
抱き竦めるように背後から体を抱き止められる。
そして、息を飲んだ。首筋に突き付けられる刀に、酷い自分の顔と、その背後、微笑む月見が反射して映る。
「頑張る君を見るのは楽しかったけど、もうおしまいだ」
次の瞬間、銃を手にしていた腕が飛ぶ。
遠くでなにかが落ちる音がして、俺は、目の前が真っ暗になって膝から崩れ落ちた。
溢れ出す血の匂い。群がる蛇を振り払う術すらなく、ただ、死に損ないとしてそこにいた。
「……は、まだ意識あるんだ。流石あいつらの期待の新星ってところかな」
「上坂君」と名前を呼ばれ、ドクンと心臓が脈を打つ。
なんで、名前を知ってるんだ。
視線を上げれば、優雅な笑みを携えた男が俺を見下ろしていた。刀の血を指で拭い、それを俺の顔に塗りつけるように指を這わせてくるのだ。
それを振り払いたいのに、腕がこの状態の今、されるがままになるしかなくて。
「普通ならもうとっくに壊れてるはずなんだけど」
「っ、黙れ、卑怯者が……!」
「卑怯者? もしかして……俺のこと? だとしたら酷い言い草だ」
「こんな幻で惑わすしか能ないクズが……!」
「ははっ! いいねえ、威勢がい子は好きだよ」
「もう二度とそんなことが言えないくらいぐちゃぐちゃにしてやりたくなる」柔らかな声とは裏腹に、やつの目は笑っていない。
冷たい指先に唇をなぞられ、俺は不快さのあまりにそれから顔を逸した。そのとき。
「……流石上坂、本当にお前は強いな……」
聞き覚えのある声が、聞こえた。
血の気が引く。
なんで、どうして、あの人が……動いてるのだ。
「……え……?」
有り得ない。体に風穴を開けた久崎さんではなく、まるで何事もなかったかのように変わらず座り込む久崎さんがそこにいた。
「流石、俺が見込んだだけのことがある」
「……ッ」
「しかしまあ、そこまで元気がありゃ手助けは要らなさそうだな」
顔をくしゃくしゃにして笑うところから仕草までもが全て、久崎さんにそっくりなのだ。
あり得ないとわかっていても、混乱する。
あまりにも悪趣味。これが、月見の幻術か。
「やめろ……ッ! ……ッこれ以上先輩を貶めるような真似は許さないッ!」
「男なら正々堂々勝負しろ! 月見!」いつの間にか姿を消した月見嘉音に向って吠えれば、先程までなにもなかったその空間に月見は姿を表した。
「悪いけど俺は男らしくないらしいからね。……こんなことも出来ちゃうわけだよ」
パチンと指を鳴らす月見に、どういう意味だと凍り付いたときだった。
「上坂」
そう、耳元で名前を呼ばれ、全身が硬直した。
肩に伸し掛かるその重さに、濃厚な血の匂いに、血が絡んだようなその声に、血の気が引いた。
「ごめんな、最期まで……先輩らしいことできなくて……」
「や、やめろ……っ! やめろ!」
そう口にする度に久崎さんの唇から夥しい量の血が溢れ出し、腹部に開いた大きな穴からは血がとめどなく溢れ出している。
元気だった頃の久崎さんは影の欠片もない。
最期に、挨拶らしい挨拶も言えなかった。お礼も言えなければ、助けることもできなかった。
それを、こうして月見に侮辱され、好き勝手踏み躙られるのが余計悔しくて。
視界が滲む。いっそのこと殺された方がましだった。
「へえ、君は随分とこの先輩のことが好きみたいだね」
「そりゃ、悪いことしたかな」なんて、悪びれた様子もなくこの男はいけしゃあしゃあと口にするのだ。
腕がなくても、足はある。思いっきり蹴り飛ばしてやろうかと振り返った瞬間、腰を掴まれ、抱き締められた。場違いなほど優しく、甘い匂いが鼻孔を侵す。
「俺なら君を幸せに出来るよ」
「……ッ!」
「先輩のことが好きだったんだろう」
心臓が、大きく跳ね上がる。違う、月見嘉音に惑わされるな。言葉を聞くな、ただ殺すことだけを考えろ。
頭の中で鳴り響く警報。それなのに、体は呪縛に掛かったかのように硬く、動かなくなる。
数センチ先、鼻先がぶつかる。月見の顔が歪み、そこには生前と変わらぬ久崎さんがいて。
「上坂」
久崎さんの手が頬に触れる。
体温を感じさせない冷たい手、それなのに、優しく輪郭をなぞるように撫でられれば全身から力が抜け落ちそうになる。
「こんな風に触られたかったんじゃないのか?」
「……ッ」
「味方の居場所を吐け。……そうしたら、君を永遠に夢の中に閉じ込めてあげるよ」
どこからどう見ても久崎さんそのものなのに、言葉は月見のものだった。あべこべの世界の中、それでも辛うじて俺を現実へと繋ぎ止めていたのは失った両腕の焼けるような痛みだ。
「……嫌だ」
「辛いだろう、君みたいに若い子がこんな血腥い戦場に駆り出すなんて俺はあいつらを同じ人間とは思えないよ」
「やめろ……っ」
月見嘉音の甘く柔らかい声は精神を蝕んでいくように全身に染み込んでいく。
久崎さんはそんなこと言わない、わかってるからこそ余計、不愉快だった。
いつからだろうか、俺の世界の中心が久崎さんになったのは。
最初は、少し歳の離れた兄みたいだと思った。
けれど、褒められる度に、優しく頭を撫でられる度に、久崎さんの隣に並びたい。そんな思いが強くなっていた。
この人の役に立ちたい。その一心で刀を振るってきた。
そんな久崎さんは、もう、この世にはいない。そう理解した瞬間、壊れたみたいに涙が溢れてきて。
「……上坂」
優しい、久崎さんの声。
筋肉質な太い腕が、俺の体を優しく抱き締めてくれる。硝煙とヤニが混ざったような匂い。厚い手のひら。
「お前はもう、無理して刀を振る必要はないんだ」
有り得ない。
有り得ない、有り得ない、有り得ない。
わかってるのに、月見の観せている幻覚だとわかってるのに、それでも、久崎さんともう会えない。
そして、俺も程なくして死ぬことになるだろう。徐々に冷たくなっていく末端に、それなのに焼けるような痛みという矛盾を抱えた体。
どうせ、死ぬ。この男に、死体すら玩具のように弄ばれるのだろう。
それならば、いっそのこと。
「久崎さん……っ」
溢れる涙を掬われ、無骨な指先で顎を持ち上げられる。
夢でもいい、俺は、久崎さんと少しでもいられるのなら。悔しかったし吐き気がした。けれど、どうせ死ぬのだ。それならば。
重ねられる唇に、他人の唇がこうも柔らかいものだと言うことを初めて知る。それでも、よかった。もうどうだっていい。久崎さんが、ここで生きてるのなら。
そっと唇が離れたとき、目の前の久崎さんは微笑んだ。
「……捕まえた」
久崎さんの唇が、確かにそう動いた。
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