1 キラー・チューン

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1 キラー・チューン

殺人を依頼するなんて、漫画やドラマの中だけだと思ってた。 まさかその張本人になるだなんて、三ヶ月前の自分なら想像もつかなかったはずだ。 これまでの人生、腹立つことは人並みにあった。この世からいなくなってしまえばいいのに、そう思う相手も数えるほどはいた。 でも、今となっては、なんでそこまで苛立ってたのかさえも、はっきり憶えていない。  どれほど嫌な思いも、嫌な奴も、いつしかアヒージョくらい手軽なワインのつまみになる。それなら、やり過ごせばいいだけだ。それが、せいぜい三十二年の人生において学んだことだった。  なのに、二ヶ月前から上司になった男は、その教訓をあっという間に吹き飛ばした。  パワハラ、セクハラ、モラハラ、全てをストレートフラッシュで披露し続けてきた。それでいて、わたし以外の人間にはいい人を演じ続けているので、余計にたちが悪い。  周りに相談しても、「決して悪い人ではないと思うよ」とか「厳しいところもあると思うけど、あなたを思ってのことだと思うよ」とかアドバイスされる始末だ。  はじめこそ、自分に落ち度があるのだろうかと自省してみたりしたけど、どう考えても、単にわたしをストレス発散のホコ先、もしくは部下掌握のためのクッション材料に選んだだけだった。  女、三十路、独身、地味めな外見、奴にとっては、反撃されてもリスクの少ない手頃なターゲットなのだろう。 「あ〜、いるよね〜。そーいうやつ」  二皿目のチョコパフェをパクつきながら、目の前の男が言った。黒いジャケットの下から、丸顔のキャラクターがこちらを見ている。  さくらんぼの柄を指でつかんだ。「なんとかしようとしても無理だから。他の矛先が現れない限り終わんないから」 真っ赤な実を口に入れて、「そいつが去るのを待つか、自分がそこから逃げるか……」と言った。  わたしは息を飲んで、その次の言葉を待つ。  男はタネを皿の端に吐き出したあと、つぶやく。 「そいつを消すか」  思わず身を乗り出した。 その言葉を待っていたのだ。 ずっと、一時間半ちかく。  残業を必死で片付けて、約束の時間ギリギリに、指定された喫茶店に入ったが、男は現れず、二十分遅れでようやくやってきた男と話し始めて一時間。ほぼ九割方、男が一方的に雑談をしていたが、なんとか話題を変え、またズレる話題を戻し、ようやく本題にたどり着けた。 このまま一気に話を進めたいので、早口になる。 「そうですよね。新卒からずっと勤めてて、仕事はそこそこ楽しいし、そいつ以外はみんな割といい人で、辞めたくはないんです」  男は生クリームをスプーンですくいながら、うんうんと頷きながら聞いている。 「かと言って、本部長のお気に入りで引っ張ってこられた上司なんで、当面はいなくなることはなさそうで」  わたしはさらに早口になりそうな気持ちを抑えてから言った。 「となると、選択肢はもう、ハルさんに頼る以外ないんじゃないかと……」  心臓が高鳴る。  闇サイトを渡り歩き、ようやく見つけた人と、LINEのやりとりを交わして、ようやく今日を迎えた。 本当に会うべきなのか、自らの身を危険にさらすことになるのでは、などと、さんざん悩みに悩んだ。 どんな恐ろしい外見の人が来るのか、傭兵のような人が現れるのではないか、そんな想像をしては怖気づいていた。 けれども、現れたのはイメージとは全然違い、華奢な体型の、どこにでもいそうな普通の若者、といった感じの男だった。 二十代後半、弟と同い年くらいだろうか。 延々とパフェを口に運んでいく様は、まるで女子のようだ。だからこそ、逆にその佇まいから底知れない凄みを感じた。 その男に今、依頼をした。審判がくだされるときだ。 男は口にあるものを飲み込んだ後、口を開いた。 「わかる。わかるなあ」  これは、依頼を受けてくれる、ということだろうか? 「下半分がコーンフレーク、みたいなチョコパフェあるよね」 「はい?」 「あれって許せなくない?」 「え? あれ?」 「そうそう、あれ?ってなるよね。そういうんじゃないだろ。チョコパフェに求められてるのは、って思うよね」 なにかの比喩なのだろうか? それとも、殺し屋特有のメッセージなのか? わたしの反応を観察しているのだろうか? 何と答えるべきなのだろうか?  ぐるぐる頭を悩ましてると、男は突然姿勢を正し、 「あ、もうこんな時間!」と言った。 「そしたら時間なんで、今日はこのへんで」  へ? まだターゲットも伝えてないのだけど……。 「えっと……、依頼は受けてもらえるんですか?」  片目をパチーンとウインクして 「もちろん! だからここにいるんじゃん」 と満面の笑みを浮かべた。  ダサい。 そう思いかけたけど、打ち消した。ここしばらくの苦労が報われたのだから、喜ぶべきときだろう。 「でも、俺、高いよ」  それは覚悟している。 なにしろ海外でも活躍してきた殺し屋なのだから。 わたしでさえ知る、あの事件にもあの政変にも裏で関わっていた人なのだから。中東の要人にまで重宝されている男なのだから。 どれも、ネットに書かれてたことだけど。 なにはともあれ、わたしみたいな、こんな庶民からの依頼を受けてもらえるだけで感謝をしなくては。 平穏な生活を取り戻すためだ。大学卒業以来コツコツとためてきた貯金をすべて使い果たす覚悟はできている。それでも足りなければ、借金でもするつもりだ。 「じゃ、七千円」  え? 安すぎない? 「次は……そうだねえ、一週間後とかにしよっか」  ああ、なるほど。手付金ということか。それはそうだ。  殺しという深刻な依頼を、一度会っただけで受けるなど、それこそ漫画の中の話だろう。 本気で依頼する気があるのか、信頼できる相手なのか、等々、見極めないとならないことがたくさんあるにちがいない。 そうでもしなければ、彼自身の身が危うくなる。 逆に言えば、今はわたし自身が値踏みされているということだ。 気を抜いてはいけない。 「もっと肩の力抜いていいから。 俺のことも、ハルって呼んでいいし」 大きな目をキラキラ輝かせながら言った。 「ハル……さんですか」 拍子抜けしながら、お札を手渡すと、彼はカバンから財布を取り出した。 そこにはTシャツと同じキャラクターがプリントされていた。 違和感を抱かせるポイントを作っておくと、そこに意識が向かい、顔の記憶が曖昧になる、みたいなことをテレビかなにかで聞いた記憶がある。 あの類の狙いがあるのかもしれない。 ここはあえて触れておくと、こいつは分かってる、なんて思われるかもしれない。 「かわいいですね、そのキャラ」  男は無言でニヤリと笑いながら、すばやく立ち上がった。 「じゃ、また来週に! ごっそさんねー」 「あ、ありがとうございました!」と座ったまま挨拶するわたしの横を通り過ぎる際、すばやく上半身を折りたたんだ。 そして、わたしの耳元で、「まずはさ、そいつをよく観察してみなよ」とささやき、音もたてず視界から消えた。  耳に残る低い声。  背筋に冷たいものが走っていた。こわばった体を動かすことができない。頭の付け根から首全体が細かく痙攣していた。  つづく
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