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「婆さんが死んだよ」
祖父の声はか細く、体は前に見た時よりも痩せていた。
馬場は不謹慎にも (じいちゃんはもう長くはないな)とはっきりと祖父の寿命を嗅ぎ取った 。
事実、祖父はその半年後に祖母に会えた。
悲しみはない。
祖母がいなくなって祖父は一人になった
気丈で人一倍健康体で、酒は飲んでも飲まれないそんな祖父が酒を飲み続け、飲まれて、いもしない祖母の名前を呼びかけては泣き続けたのだ。
生きている事、それこそ祖父にとっての悲しみだったろう。
ある日の深夜、祖父は川に行った。
漁の格好をして網を持って一人で行った。
漁をするには一人では危険だし、小魚を取ったなら、すぐに腹を捌いて川の水で内臓を洗わなくてはいけない。
陸地に上がってすると水道代は馬鹿にならないし二度手間だ。
その仕事は祖母の仕事だった。
祖母がいなくなってから漁を止めていた祖父。
その日の祖父には祖母が見えていたのか、祖父はそれっきり帰ってこなかった。
次の日に下流で祖父の死体は見つかった。
魚は一匹も小舟には見当たらなかった。
葬式が終わった後、馬場は祖父の骨壺を抱いていた
小さな骨壺を股ぐらに挟んで、ぼんやりと庭を眺めていた。
「こいつはよ、儂とずっと一緒だったのさ」
祖母の葬式の時、祖父は縁側の片隅で骨壺の蓋を取り、骨をひとかけら取り出した。
周りの大人達は気付いていない。
「こいつはよ、儂と一緒に墓に入ると言った癖に先に行ってしまいやがった」
一緒だったんだよ。
そう言って 祖父は 入れ歯の前歯でガリガリと骨を噛み砕いて あっという間にごくりと飲み込んだ。
あっという間の事だった。しゃがれた声が馬場の鼓膜に響く。
「龍太郎、婆さんが死んでから儂の周りにはずっと雨が降っているような気がしてならんのだよ。骨が…痛いんだ。骨が。お前はどうだ。背中が痒いか」
馬場は何も言わなかった
ただ黙って、黙って、優しさを込めて祖父の皮と骨ばかりの背中を撫でてやった。
馬場は祖父の骨も 祖母の骨も飲み込んだりはしなかった。
当然だ、気持ち悪い。
祖父母はきっと繋がりに殺されたのだと馬場少年は思った 。
豚野郎が自分の息子だという繋がりに首を絞められ
最愛の妻との繋がりに川に沈み、かららん、ころろん。
からころろん。軽い骨になった二人。
こうなるもんか、と馬場少年は涙なんか流さないで唇を噛み締めた。
この悲しさはきっと永遠ではないのだ、いつかきっと抜け落ちる。
今のこの喪失感ははじいちゃんの卵焼きがもう食べられない事と、無理やりにでもばあちゃんのかき揚げを教えてもらうんだったと言う後悔でしかないんだと馬場は自分の感情を書き換えた。
(じいちゃんもばあちゃんも死んだ。俺はこうなるもんか。俺、まだ動いてら。骨になんかなるもんか)
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