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紅葉の季節
自分の名前が嫌いだった。藤島秋なんて、まるで女の子みたいじゃないか。小学生の頃は、それで随分からかわれたものだ。
俺は夏生まれだし、両親の名前にも〈秋〉の字は入っていない。名付け親である父に訊いてみたいが、無口で頑固な昭和親父のテンプレートのような男なので、話をするきっかけすらつかめない。
今だって連休が取れたから帰省したというのに、黙って新聞を読んでいる。俺の方を見ようともしない。昔からそうだ。
「さあ! 今年の紅葉スポット・ベスト10を発表しますよ!」テレビから声がした。
第三位! 東京都、六義園! 第二位! 京都府、禅林寺! そして第一位は……アナウンサーの声にあわせてテロップが点滅する。画面には真っ赤に色づいた紅葉が映し出される。すると、父が唐突に口を開いた。
「紅葉といえば鎌倉の妙本寺だ」
「なに? なんて?」
「妙本寺の紅葉は見事なんだ。まあ、あそこは海棠の方が有名だが」父は難しい顔で出がらしをすする。「小林秀雄だ。〈花びらは死んだ様な空気の中を、まっ直ぐに間断なく、落ちていた〉」
「なんだそりゃ」
父は片眉を吊り上げ、だからお前はダメなんだ、と言った。いつもこうだ。俺のことを否定しかしない。まったく、どうせ名付けの理由もロクでもないに決まっているさ。
台所から母がやってきて、夕飯を並べる。母はテレビを見て言った。
「思い出しますね、お父さん。新婚旅行で行った鎌倉。あそこも紅葉が綺麗だった」
三〇年前の紅葉の季節――秋の鎌倉。
なるほどね。嫌いな名前だったけど、少し考えをあらためようかな。
だって横目で見てみたら、父の耳が真っ赤に染まっているんだもの。まるで紅葉みたいにさ。
〈終〉
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