子どもの頃のトモ...ダチ...

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「いらっしゃいませ。」 来店したお客に向かい、僕は慣れた微笑みと一緒にそう口にする。 あれから、一年程経っていた。 大学の二回生になっている僕は、そこから少し離れたところにある、丼物のチェーン店でバイトをしていた。 二十四時間営業のその店は、僕にとって都合が良かった。大学で講義を受け、その空き時間や後に大学内の図書館で本を読み漁ったり、仮眠を取ったりする。そして、夜が近付いた頃に出勤し、日付が変わっても続けられるバイトは時間を有効に使える。 僕は空が暗い内は寝付けない。だから、日が昇り始める頃にバイトを終え、家に帰ってお風呂に入って眠り、起きて準備をして大学に行くという生活を送っている。 お客が渡してきた券を受け取り、その通りに調理をする。日付を跨いでしばらく経った頃、店に店員は僕一人、お客も今来ている男一人だった。本当はもう一人店員がいるはずだったけど、風邪で急に休むことになった。バイト一人に店を任せるのは不味いはずだけど、一年程ここで働いて、何でも手際よくできる僕なら一日ぐらい一人でも良いだろうと、杜撰な判断をされていた。 男は、僕がいる時によく来る。ニット帽を目深に被っていて、食べる時以外はマスクをしている。そして、いつも僕のことをじっと見てくる。 「お待たせしました。」 手早く調理を終え、運んだ注文の品をテーブルに置くと、軽く会釈をされた。それにいつも通りに微笑み、すぐに踵を返す。 「あの」 声が聞こえると同時に、腕を掴まれそうな気配を感じる。僕はさっとそれをかわしながら、笑顔で男の方を向いた。 「如何致しました、お客様。」 「あ、あの、これ、連絡」 しどろもどろになりながらも、男は僕に一枚のしわくちゃの紙切れを差し出してきた。掌でずっと握り締めていたのだろう。そこには男の連絡先らしきものが書かれている。 「ありがとうございます。ですが、お客様とこのようなことをするのは禁止されておりますので。」 「あ、店員さんとして、じゃなくて、ボクを、一人の男と、して」 僕の至極当然の断り文句に、男は食い下がってきた。その言葉を聞いて、僕は確信した。この男は、よくある勘違いをしている。 「貴方のことは何も知らないので、判断はできかねます。...それに、僕は男です。女性だと思ってこのようなことをしたのであれば、考え直した方がよろしいかと。」 男が呆気に取られたのがわかった。帽子が邪魔で見えないけど、目はたぶん見開かれている。 「え、そんなに可愛いのに。」 「それは貴方の個人的な主観で、僕は同意しません。」 「え、本当に男の子?」 「はい。」 というか、女性だったら、深夜に一人で店番はさせられない気がする。最近はいろいろ物騒だし。 男がごくりと息を飲んだのがわかった。物凄く嫌な予感がした。 「...し、信じられない。諦めさせるために嘘を言っているとしか思えない。」 「そうではないです。仮に僕が女性だったとしても、貴方のことはよく知らず、連絡先を受け取るのも禁止され」 「た、たしかめさせて、男の子かどうか。」 会話が成り立たなくなった。男の息は完全に上がっている。男の頭には今、僕の服をひっぺがすことしかないだろう。 困った。このまま、どうぞと頷いて確かめさせて、それで終わるとは思えない。この様子だと、確実にそれ以上の行為へと踏み込まれる。嫌だけど、僕は腕力とか、そういう面には恵まれなかった。だから、いつも頭をフル回転させて危ない状況は回避してきたけど、今回は何せ時間がない。 「...はぁ、もう待てない」 男が、僕の肩を掴んできた。勢いがあったせいか、僕はその場で尻餅をついた。男はそのまま上に乗ってくる。肩を押されて、簡単に押し倒される。男が、僕の顔を見下ろしている。 その瞬間、目の前が真っ暗になった。 『どうして、薫瑠(カオル)は男の子なの?こんなに可愛いんだから、女の子に生まれてきてくれれば良かったのに。』 知らない。僕が選んだわけじゃない。そっちが勝手に産んだだけだ。 『薫瑠は本当に可愛いな。男にしておくのが勿体無いぐらいだ。』 知らない。別に僕は可愛くない。そんな気持ち悪い顔で、僕に触らないで。 『カオル。』 不意に、視界が青くなった。綺麗な、眩しいくらいに深い海の色だ。 「カオルっ。」 気付けば、さっきまでいた男はいなかった。 「大丈夫か?」 代わりに、心地よい声が聞こえた。導かれるように、差し出されていた手を握って、それに支えられるように上体を起こした。 「良かった、無事で。」 目の前に、深い青があった。それは暗い外の世界への反抗のように無駄に明るい店内の電灯によって、確かに煌めいていた。 「間に合って、ほんとに良かった。」 そうだ。色素の薄い黒い瞳は、光の加減で、深い青に見える時があった。僕はそれが、とても綺麗だと、ずっと思っていた。 「たくっ、ここの店長は何考えてんだ。なんかあってからじゃ遅い」 「アキトくん。」 大好きな彼の名前を呟いて、その肩口に、顔を埋めた。
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