9人が本棚に入れています
本棚に追加
【06】厄災――現在
あれから七年。
高校生になったあたしは、一人暮らしをしていた。
大きな通りから一本裏に入ったところにある、八階建てのマンション。赤い煉瓦風の外観がかわいくて、あたしは結構気に入っている。
オートロックを解除して、エントランスへ。ポストを覗いたけど、チラシが数枚入っているだけで、他には何もない。
優也にも確認してもらってから、ポストを閉め、一緒にエレベーターに乗った。
六階で降りて、廊下の一番奥へ。南西の角部屋が、あたしの部屋だ。
二重につけられた鍵を廻し、扉を開く。
廊下の向こう、南側の窓からは、レースのカーテン越しに、夕暮れ色の光が射し込んでいる。
靴を脱いで、真っ先に電話機を確認した。
留守電には、何もはいっていない。
ほっと息をついて、鞄を置いた。
見ると、優也も電話のランプを確認しているところだった。
「麦茶、飲むよね? 待ってて」
声をかけて、キッチンへと向かう。冷蔵庫から麦茶を取り出し、氷を入れたグラスに注ぐ。カラン、と、涼しげな音が響いた。
一人暮らしにしては広い間取りのこの部屋は、いつだって綺麗に掃除してある。優也がしょっちゅう来てくれるから。
ソファーの隣のベンジャミンも、瑞々しく元気だ。
その前にはテレビ。それから、中に小物が飾れるガラステーブル。ここには、特にお気に入りのアクセサリーや造花を並べている。
隣の寝室には、お姫様みたいな白いベッドがあって、隣に猫脚の白いデスクが並んでいる。床にはふかふかのラグ。
フリルのベッドカバーも、かわいいレースのカーテンも、全部、叔母が用意してくれたものだ。
父は、八年前に死んだ。殺されたのだ。
殺したのは、優也のお父さん。
父の死後、あたしは叔母に引き取られた。独身で仕事熱心な叔母は、実の娘のように、あたしのことを育ててくれた。このまま一緒に暮らすのだろうと、あたしはぼんやり思っていた。
だけど、あたしが中学を卒業する頃、叔母に、海外赴任の話がもちあがった。叔母は『一緒に行こうね』と言ってくれたけど、あたしは頑として断った。
だって、海外になんて行ってしまったら、もう二度と優也に会えなくなる。
あたしたちは何度も話し合い、結局は叔母が折れてくれた。だから今、あたしはこうして一人暮らしをしている。
優也はというと、頼れる身寄りがなかったらしく、施設に入れられたと聞いた。会いにはいけなかったけど、住所だけはわかっていたから、毎年、年賀状を出してた。
『あけましておめでとう』
『元気ですか? あたしは風邪をひきました。優也も気をつけてね』『猫を飼いたいけど、おばさんにダメって言われちゃった。優也は、ペット飼ってるかな?』『今年はお年玉でビートルズのCDを買おうと思ってるよ! 優也はどうしますか?』
『今年こそ、会えるといいな!』
優也からの返事は、決まっていた。
『今年もよろしく。いつか会いに行くから』
そっけない文面だけど、それは、あたしの宝物だった。
優也と繋がっているというだけで、すごく幸せな気持ちになれた。
優也、優也。
会いにきて。
あの日みたいに。
あたしのことを、迎えに来て。
五枚目の宝物が届いた年の春、あたしたちは再会した。
とても背が伸びていたけど、面影は全く変わってなかったから、あたしは一目で優也だってわかった。
『全然変わらないね』と言ったら、『名前は変わったけどね』と言われた。
優也は、施設を出て、里親に引き取られていたのだ。
苗字は『成海』から『仁科』に変わっていた。
「おまたせ」
グラスをテーブルに置くと、『さんきゅ』と呟いた優也は、
一気に飲み干した。麦茶が大好きなのは、変わらない。
あたしは空になったグラスをもう一度満たしながら、聞いてみた。
「ねぇ、車は? 乗ってるの?」
信じられないくらいお金持ちだという仁科夫妻は、優也のことを実の息子のように溺愛しているらしく、なんと、十八歳の誕生日には専用の自動車を買ってくれたらしい。まるで異世界の話みたい。まぁ、それにあわせて、あっという間に免許を取っちゃう優也も優也だけど。
なんでもできちゃうイケメンスーパーマンは、こともなげに答えた。
「そうでもない。ほとんど乗ってないかな」
「もったいないなぁ。せっかくかわいいのに」
優也の車は、ブラウンとベージュのツートンカラーで、コロンとしたフォルムがかわいい。ミニサイズだから優也が乗るには狭そうだけど、あたしは大好きだった。
といっても、乗ったのは一度だけ。
深夜のファミレスに迎えに来てくれたとき。
「じゃ、毎日の送迎はお車にいたしましょうか、お嬢様?」
「やめて、目立ちすぎて怖い」
優也は答えずに、わざとらしく肩を竦めた。
「あ、そうだ」
不意に大事なことを思い出したあたしは、鞄の中から手帳を取り出した。今月のページを開き、今日の日付に青い印をつける。
「5日、か」
横から覗いた優也が呟いた。
カレンダーは、青丸が5つ並んでる。
「このまま、何もないといいな」
その言葉に、無言で頷いた。
これは、ふたりの手帳だ。
手紙が来た日は赤、無言電話は緑、何もない日には青で印をつけている。複数あったときには、数字も書くことにしている。
あたしは随分前から、ストーカー被害にあっていた。
最初は、父の事件が終わってすぐ。
誰かの視線を、常に感じるようになった。
でも気のせいだと思ってた。
実際、あの頃は何もかもに鋭敏だったから、本当に気のせいだったかもしれない。
けれど、そうではなかった。
三年くらい前から、無言電話や、変な手紙と写真が送られて来るようになった。
最初は何かの間違いかもと思ったけれど、それらは、執拗に繰り返された。誰かが故意にやっているのは、間違いないことに思えた。
無言電話については、番号非表示の電話に出ないことですぐに解決したけれど、困ったのが、手紙だ。引っ越さない限りどうすることもできないし、それに、引っ越したって、また住所がバレるかもしれない。
手紙の内容は『君は俺が守る』とか『寂しくないかい?』とか、最近では、『君に早く会いたい』『触れたい』『ずっと見守っているからね』など、ラブレターのようにもとれたし、自分をヒーローと勘違いしてる人物のようにも思えた。
それより怖いのが写真だ。
いつどこから撮っているのか。
ごく最近の、一週間以内くらいのあたしの写真が数枚送られてくるのだ。
昨日行ったCDショップだとか、優也と歩いているところだとか。夜中、ファミレスにいるあたしの姿をとらえたものもある。
曜日は決まっていなかったけど、こういうのが、一週間に一通くらいの割合で送られてきた。
犯人が、本当に近くにいる証拠に思えた。
警察にも行った。親身になって聞いてくれはしたけど、被害が拡大しない限り対策の取りようはない、と言われてしまった。パトロールを強化する、とは約束してくれたけど、あまり効果は感じられない。
今のところ有効な手段がなかった。
だから、二人であれこれ案を出し合って、ルールを決めた。
ひとりでは外出しない。
手紙は優也のいない所では封を開けない。(怖くなるから)
手紙や電話があった日を手帳に記録する。
こんな感じだ。
以来毎日、優也は送り迎えしてくれる。
『寂しくなったら俺に電話しろ。直ぐに飛んでくるから』
そう言って、ホントに飛んできてくれる。
たとえ、真夜中だって。
最初のコメントを投稿しよう!