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【08】傷痕――現在
「繭? どうかしたか?」
ぼんやりと思い出にふけっていたから、優也の声に驚いた。
「なんでもないよ、大丈夫」
「熱中症か? ぼんやりしてる」
ほらね、優也はやっぱり過保護だ。
あたしはちょっぴりおかしくなって、楽しくなって、言ってみた。
「ねぇ、今度、どっか連れて行ってよ。ドライブしたい」
甘えるように言ってみたら、意地悪そうな笑みで。
「地図、読めるのか?」
なんて言われた。
「大丈夫だよ、アプリが頑張るから」
「なんだ。繭は見てるだけか」
「そうだよ。責任重大だね。頑張る」
「期待してないけど、頑張れ」
優也はそう言って笑うと、腰を上げた。
帰ってしまう!
焦った私は優也のグラスに急いで麦茶を注ごうとした。
飲み終わるまでの数分でいいから、まだここにいて欲しかった。
と、その瞬間。手が滑って、あたしは見事にグラスをひっくり返し、優也の真っ白なシャツの上に、麦茶をぶちまけてしまった。
「あ! ごめ……!!」
「ひでぇ、ビショビショ」
「脱いで! すぐに乾燥機かける」
優也は少し戸惑ったみたいだったけど、あたしは無理矢理シャツを剥いで、そして……見てしまった。
ドキリとした。
お腹の周り、広がった傷跡。
爛れが白くなった、古い見覚えのある傷跡。
久しぶりに見たそれに、動揺した。
けれど、驚いたのは、そこじゃない。
傷が、広がっていることだった。
白くなった傷跡の上に、まだ新しい傷跡があった。
それもひとつやふたつじゃない。
たくさん、だ。
無数に。
無残に。
「優也、これ……」
呆然と呟くあたしの手からシャツを奪うと、優也は言った。
「乾燥するまでいられない。このまま帰る」
素早くシャツを羽織り、玄関に向かう優也を追いかける。
「待って、優也! 誰に!?」
「自分でやった」
冷たく鋭い口調で、優也が言った。
その衝撃的な発言に、頭を強く殴られたような気がした。
視界が歪む。グラグラする。
「昔の傷跡が疼いて、な」
立ち竦むあたしを見た優也が、気まずそうに笑う。
その笑顔が切なくて、あたしは泣きそうになった。
頭にぽん、と暖かな感触。
見上げれば優也が、大きな手であたしの頭を撫でていた。
暖かい瞳は、あの日と同じ。
「俺は、大丈夫だから。だから、そんな顔すんな」
ねぇ、どうしたら。
どうしたらそんな顔ができますか?
どうしたら、あなたのように優しくなれますか?
自分が辛い時に、他人のことばっかり。
優也、優也。
貴方はどうしてそんなに優しいの?
それは、涙が溢れそうなほど。
優也が帰ったあたしの部屋は、太陽を失った地球のよう。
明るいはずなのに真っ暗で、宇宙の真ん中で迷子になったみたい。
ポタリ、ポタリ。
白い床に、涙が落ちた。
別れ際に見た、優しくて儚い微笑みだけが、あたしの心を支配していた。
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