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【07】優也の回想――現在
あの日、俺に起こったことを話すよ。包み隠さず、全てを話す。
繭には隠していたことも、全部。
七年前のあの日、八月十日。クズ――うちの親父は、朝から上機嫌だった。酒も煙草も、いつもより量が多かった。
『おい、喜べ優也。もうすぐまとまった金が入るぞ。大金持ちだ』
繰り返し、そんなことを言っては、グラスを空けていた。
その時の俺にはなんのことかわからなかった。どうせ競馬か何かのギャンブルでちょっとばかし当たったんだろう、程度に思っていた。
けれど、違ったんだ。
クズは、繭の親父さん――綾瀬さんを脅迫していた。
それに気づいたのは、昼飯を食べ終わって、洗い物をしていたときだ。
『優也、今夜は大事な会合がある。お前、外出してろ。日付が変わるまで帰ってくるんじゃねぇぞ』
俺はクズに聞いた。一体、どんな会合なのか。日付が変わるまでなんて、随分遅い時間までかかるんだな、と不思議だった。
するとクズは、下卑た笑いを浮かべてこう言ったんだ。
『綾瀬ってわかるだろ。あの金持ちの綾瀬さんだ。あそこの旦那と、大人の話し合いをするんだよ。で、明日には大金が転がり込んでくるってわけだ。わかったら、邪魔しないようにどっか行ってろ』
そこで俺は、ああ、クズは綾瀬さんを脅迫してるんだ、と納得した。
脅迫の理由も……俺にはうすうすわかっていた。
繭がされていたことを……前日に見ていたから。
アイツは、かなり無防備だった。俺が見ているのも気づかずに、繭に……その……あんなことを……。俺以外の誰かが気づいたって不思議はなかった。おそらくクズも、たまたま通りかかった時に覗いたとか、そんな理由で知ったんだろう。
『ああ、このクズは、繭のことをネタに強請る気なんだ』
俺は心底、自分の親に嫌気がさした。
そうして思ったんだ。
チャンスじゃないかって。
今日、クズと綾瀬の親父は密会をする。
その間に、繭とふたりで逃げられるんじゃないか。
警察に駆け込めれば、そうして俺が見たことを話せば。
繭は、アイツの魔の手から逃れることができるじゃないか。
俺は、クズに『わかった。外出してる』といい子のふりをして家を出た。自転車で音楽小屋の近くまで行って、計画をたてた。
まず、繭を助け出す。
二階の窓から外に出られるはずだ。
綾瀬の親父がいない時間を狙って、管理事務所の軽トラに乗せる。
運転は慣れている。クズの手伝いで、何度も別荘地を走っていたから。
さすがに警察署までの山道は公道だし、無免許運転になるのはわかっていたけれど、そんなこと言ってる場合じゃなかった。
俺は一度、繭の様子を見に行くことにした。
少し離れたところに自転車を停めて、玄関脇の大きな木を登って、繭の部屋の窓を叩いた。それから窓枠をはずして、中に入ったんだ。
……覚えているか?
ああ、おまえはほとんど意識がなくて。
そんなお前の姿を見て、本当に胸が痛んだ。
自分がされたことを覚えていない、と、おまえは言ったんだ。
それを聞いて俺は、『絶対に助ける』と、誓った。
俺は一旦、窓から外に出て、時間を待った。
七時くらいに、綾瀬の親父は出かけるはずだ。
その時がチャンスのはずだった。
俺は管理事務所の軽トラに乗って、繭の別荘の近くに隠れた。
入口からも窓からも、絶対に見えない位置に陣取った。
そうして、時間がくるのをひたすら待ったんだ。
案の定、六時半を過ぎたころ、綾瀬の親父が家から出てきた。
大きなカバン一つを持って、歩いて管理事務所の方に向かって行く。
チャンスは今しかない。
俺は、再び木を登って、繭のもとにたどり着いた。
そうしておまえに告げたんだ。
『二人で逃げよう。逃げなくちゃいけない』
最初はお前、嫌がってたよな。雷が怖いって。
でも、それどころじゃないっていう俺の真剣さを、感じ取ってくれたんだろう。最終的には、頷いてくれた。
それで、ふたりで逃げようと、玄関に向かった。
クズは『日付が変わるまでは帰るな』と言っていたから、話し合いは難航するはずだと思った。時間はたっぷりある。
繭は薬でフラフラだったから、ゆっくりと階段を降りて逃げようとしていた。
そこで……覚えているか。
綾瀬の親父が、戻ってきたんだ。
俺は焦った。
何故? どうして?
話し合いは、まだまだ続くんじゃなかったのか?
何か、忘れ物でもしたのか?
理由なんで、どうでもよかった。
とりあえず、現状を誤魔化す方法を考えなければいけなかった。
俺は、繭をロッキングチェアに座らせ、キッチンの陰に隠れた。
それで精一杯だった。
帰ってきた綾瀬は、全身びしょ濡れだった。
その姿を見て、ああ、外はもう雨なのかと思ったのをよく覚えている。
親父は繭を見つけると、『寝ていないと駄目じゃないか』というようなことを言った。よほど興奮しているのか、目が血走っていた。
それから……その……ああ、隠さずに話すよ。
奴は、繭に襲い掛かったんだ。
正直に告白する。俺は、一瞬だけ迷った。
すぐに飛び出して止めるべきなのか、逃げるチャンスを待つべきなのか。
今思えば、すぐ飛び出してぶっ殺してやるべきだったのに。
そうしてその一瞬の隙に、事件が起きた。
繭が、親父さんを突き飛ばしたんだ。
まさか、薬を使っている娘に反抗されるなんて思ってもみなかったんだろうな。奴はおもしろいくらい吹っ飛んで、暖炉に激突した。
そうしてその上に、飾ってあった猟銃が落ちてきて……綾瀬の親父は動かなくなった。
俺は、慌てて飛び出した。そうして、おまえは、俺と目が合った途端に、……にこっと笑って……それは初めて見る、天使よりも美しい笑顔で……そうして気を失ってしまった。
残されたのは、俺と、親父さんの死体、それに猟銃だった。
隠さなくちゃ、と思った。
このままでは、繭が殺人犯になってしまう。
そうなった理由についても、世間に根掘り葉掘り穿り返されてしまうだろう。
繭を守りたい。
俺はそれだけを考えた。
まず、死体がここにあったら、まずい。
だから、繭と逃げるために乗ってきた軽トラで、なんとか死体を運び出せないか考えた。
幸いにも、軽トラには大型毛布や台車が常備してあった。だから俺はそれを持ち込み、親父さんを包んで、台車も使って、なんとか荷台に乗せた。そうしてその死体を、どこかに捨ててしまおうと思ったんだ。
その時には、もう雨はあがっていて、風が強く吹くばかりだった。
山に捨てよう、そう決意して、運転を始めた。
山道を上がる途中、管理事務所を通った。
すると、管理事務所から火が上がっていた。あの日は嵐で風は強かったけど、雨はそうでもなかった。だから火は猛々しく燃え上がっていて。
火を見た時、すぐに思った。
これは、綾瀬の親父が放火したんだろう。
クズの火の不始末? 確かにその可能性もあった。だけど、今日の奴は、ホントに上機嫌だったんだ。こんな日に、そんなへまをするような奴じゃない。
おそらく、話し合いの最中に揉めて、放火されたんだと思った。
だとすれば、あの血走った興奮気味の綾瀬の親父の様子にも納得がいった。
中には死んでいる、もしくは眠っている、俺の親父がいるんだろう。
助けようとは、思わなかった。
その代わりに、すごくいいアイデアを思いついたんだ。
この死体を中に放り込めば、証拠が残らないんじゃないかって。
その瞬間、山の上に雷が落ちた。
眩い稲光が、昏い空を真っ二つに割るのを見た。
天啓のように思えた。
俺は軽トラを管理事務所の手前に止めて、荷台から死体を引き摺って、火の手の上がる管理事務所に放り込んだ。それから、死体を包んでた毛布も、一緒に燃やしてしまった。
これで大丈夫。
証拠は全部、炎が消し去ってくれる。
あとは燃え尽きたころに、火事に気付いたフリをして通報すればいいだけだ。
いいや、このままぼんやりと眺めていて、『驚いてしまってなにもできなかった無力な子供』を演じてしまうのもいい。
そう思って火を眺めていた時。
背後で声がした。
男の声で『火事だ!』と。
俺は慌てて振り向いた。
見られたのかと、生きた心地がしなかった。
そこにいたのは、いつも巡回している警官だった。
幸い俺が死体を放り込んだのは見ていなかったようで、警官は俺に、消防署に連絡するように命じた。
そう言われたら、拒否するのは不自然だ。
俺は別荘地の端にある公衆電話に走った。
と同時に、警官が火の中に飛び込んで行ったのが見えた。
放り込んだ死体が、別の場所で殺されたものだと気づかれないかひやりとしたが、もう後にはひけない。
俺は消防署に連絡した。
それから消防が来て、警察が来て、とにかく大騒ぎだ。
俺は通報した本人ということで、警察で事情をきかれた。
二人の遺体については、焼死ときかされたので、安心した。
『うちの親父は、綾瀬さんの旦那さんを強請っていたみたいです。別荘の管理のことで、いつも揉めていて。今夜は特に大事な話をするから外にいろって、言われていました』
俺はそんな風に証言をした。
結局事件は、俺の思い描いた通りの形で決着した、というわけだ。
成海は綾瀬を殺した。
後頭部の殴打痕がその証拠。
成海は綾瀬を脅迫していた。
詳細な理由は不明だが、揉めていたことは間違いない。
成海の火の不始末で火事が起こった。
普段からよくボヤを起こしていたと息子も証言している。
つまり、成海がすべての犯人で、綾瀬は被害者。
成海優也は加害者の息子で……別荘で意識不明で発見された綾瀬繭は被害者の娘。
そういう、理想的な形での決着だよ。
死亡推定時刻は、だから、何もおかしくはないんだ。
クズが先に、死んでいたんだから。
綾瀬の親父は、炎の中に、あとから投げ込まれたんだから……俺によって。
これが、俺の話せるすべてのことだ。
繭……今まで黙っていて、ごめん。
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