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【09】あたしの路――現在
翌日、あたしたちは別行動を取っていた。
優也は、別荘地の管理をしているという親戚のところに挨拶に。
あたしも近くまで行こうと何度も誘われたのだけれど、頑なに断った。
「行ってみたいところが沢山あるの。軽井沢って、素敵なところね」
石造りの教会の話や、珍しいお菓子の話なんかを『これでもかっ!』とマシンガントークし続けたら、優也は呆れたように「じゃあ別行動ってことにするか」と折れてくれた。
駅前まで送ってもらったあたしは、昼過ぎには戻るという優也を笑顔で見送った。
そうして……今。
あたしは、警察署の前に立っている。
観光したいだなんて、もちろん、嘘だ。
あたしは、自首をするつもりだった。
今のままではこの先もずっと、優也は犯罪者の息子として生きていかなければならない。
あたしが自首すれば、優也を取り囲む全てが変わる。
優也は犯罪者の息子ではなく、被害者の息子に。
かわりにあたしが犯罪者になる。
十歳のあたしが襲われそうになって、突き飛ばしたお父さんの頭に、猟銃が落ちてきた。運悪くそれで死んだお父さん。
それは正当防衛で、あたしは罪に問われないかもしれない。
まだ僅か十歳。
お父さんのしてきたことを考えても、その可能性の方が大きいだろう。
でも、例え罪に問われたとしても、あたしは自首するつもりだった。
ずっと自分を犠牲にしてあたしを守ってくれた優也を、あたしという呪縛から解放してあげたかった。
七年前の事件から解放してあげたかった。
犯罪者の息子という烙印を外してあげたかった。
だから。
あたしは決意を新たに、唇を噛み締め、警察署に足を踏み入れた。
雑多な警察署、自首するにはどこに行ったらいいか考えた。
七年前の事件を知っている人だと都合がいい。
昨日話を聞いた田中刑事なら一番適任だったけど、見渡しても田中刑事の顔はなかった。
仕方ない、誰かに聞こうか。
あたしはあたりを見渡した。
受付があったけれど、誰も座っていない。
皆、忙しそうに歩き回っている。
壁には、『ピンときたら110番』というよく見る指名手配犯の顔写真のポスターや『幼女連続行方不明事件・情報求む』なんていういかにも事件らしきポスターと一緒に、『振り込め詐欺に気を付けて』『熱中症には注意を』なんて、ちょっとのんびりしたイラストのポスターが並んで貼られている。
『免許の更新はこちら』という案内板が、やたらと存在感をアピールしている。
誰も、あたしのことなど気にもしていないようだ。
どうしよう、誰に聞いたらいいんだろう。
その時。
見慣れた顔を見つけた。
七年経っても全く面影の変わらない、優しそうな、人のよさそうな顔。目尻が下がっていて、穏やかそうな。
あの頃、別荘地を巡回していたお巡りさんだ。
優也が言っていた話によれば、火事の現場にいた警官。
あたしは、運命を感じた。
自首するのに、こんなに都合のいい相手はいない。
面影の変わらないお巡りさんは、カウンター席の中で、何か書き物をしている。随分と熱心で、あたしには気づいていないようだったので、カウンターの前の席にす、と座ってみた。
お巡りさんは驚いたように顔をあげ、細い瞳を見開いた。
ああ、懐かしい。やっぱりこの人だ。
あたしは安心して、声をかけた。
「あの、覚えていないかもしれませんが、あたし、綾瀬繭といいます。七年前ここの管轄であった殺人事件の……」
「繭ちゃん? でしょ? 覚えているよ」
意外にも、お巡りさんは覚えていてくれた。
あたしは嬉しくなって、さらに続ける。
「お久しぶりです。えっと、お巡りさんは……」
「里川といいます。元気だったかい?」
「はい。おかげさまで。里川さん。当時はお世話になりました」
改めて頭を下げると、里川さんは照れたように笑った。
「いやいや、大変だったね。今まで苦労も多かったろう。よく訪ねてくれたね。何かあったの?」
「今日は、ちょっと、大事な用事があって」
お巡りさんの手元をみると、手帳が開かれていた。あたしと同じ日曜始まりのマンスリー。そこに赤い印が一週間に二日ほど記されている。
その日付に見覚えがあって、あたしは、あれ?と思った。
あたしがストーカーから手紙を受け取った日と、見事にそれは重なっていた。
おかしな偶然だ。
あたしはちょっと身構えた。
なんだか危険な予感がした。
「用事って?」
答えるのを少し躊躇って、黙り込んだ。
ストーカーがこの人のはずがない。あたしと里川さんには接点がないもの。だけど七年前の関係者といえば関係者だ。
「話しにくい事かな?」
優しげに尋ねてくれる里川さん。あたしは迷った挙句、『田中刑事は、今日はいらっしゃいますか?』そんな風に聞いた。
「田中さん、今日は非番だからいないよ。僕も、今日はもう上がるところなんだ」
「……そうなんですか」
「けど、大事な話、なんだろう? 良かったら僕の家に来るかい? ゆっくり話が聞けると思うけど」
どうしよう。
どうしたらいいんだろう。
悩んでいるあたしに、里川さんは優しく微笑んで言った。
『話しにくいことでも、じっくりね』
その言葉を聞いて、あたしは里川さんに話してみようという気になった。
この穏やかそうなお巡りさんが、あんな卑劣な写真を送ってきた張本人には思えなかった。それに、もしそうだとしたら、家まで行って話を聞いているうちに何か手がかりがつかめるかもしれない。
「じゃあ、お邪魔してもいいですか」
「もちろんだよ。支度するから、少しだけ待っていて」
『それにしても懐かしいなぁ』なんて独り言を繰り返す里川さんを眺めながら、あたしは優也にLINEを打った。
『あの時のお巡りさん、里川さんの家にいきます。ストーカーと不思議な一致。十分注意して行ってきます』
打ち終わったところで、里川さんがやってきた。
「お待たせ、繭ちゃん。じゃあ、行こうか」
あたしは里川さんと一緒に、警察署を後にした。
すぐに LINEの返信を伝えるバイブレーションがカバンを伝ってきたけど、見ることはできなかった。
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