【02】仁科優也――現在

1/1
前へ
/61ページ
次へ

【02】仁科優也――現在

正門の横に、背の高い影。白い制服を着た優也が、あたしに気づいて顔を上げた。 「おいおい、この暑いのに走るなよ」 そう言われたって、急には止まれない。 優也が言い終わるころには、あたしはもう目の前にいた。 「おまたせ!」 呼吸を整えながら、見慣れた顔を見上げる。 「全然。待ってないよ」 嘘つき。結構長く待ってたくせに。 けだるげな優也の顔を、よくよく眺める。 おかしいな。汗ひとつ見当たらない。 正門の周りには木陰もないし、照り返しだけでも相当暑い。 なのに、なんてことないって涼しげな顔。 優也はいつもそうだ。 いつだって、どんなときだって、汗だくになったりしない。泥や汗に塗れた優也を、想像することだってできない。きっと今までの人生、焦って狼狽えたことなんて、一度もないんだろうな。そのくらい、いつも涼しい顔をしている。 しかも、女のあたしよりずっと綺麗。 肌なんか、透明度が高くて真っ白だし、サラサラの黒髪から覗く瞳は、吸い込まれそうに深い。そのうえ、スラリとした長身にモデル並みのイケメンだから、隣を歩いてると、女子の視線が痛いったらない。 それにしても。UV対策をしているわけでもないのに、どうしてこうも美肌をキープできるんだろう。羨ましいのを通り越して、その秘密が知りたい。 「なんだよ、繭。ジロジロ見て」 凝視していたら、真顔で。 「……あ、見惚れてる?」 「ちっ、ちがいます!」 図星を指され、思わずどもってしまった。 それを見逃す優也じゃない。 「当たり、か」 満足そうな、ドヤ顔。 うう。悔しい。言い返せない。猛烈に悔しい。 「なぁ、繭?」 優也はひとしきりニヤニヤした後、突然あたしに顔を寄せて、そっと耳元で囁いた。 「いくらでも見惚れていいぞ。美形は、そんなの慣れてるんだ」 「はぁ?」 あんまりの言葉に、思わず笑ってしまった。 その勢いを借りて、照れ隠しにまくし立てる。 「なによ、それ! 自過剰! 優也のナルシスト!」 「いえいえ、事実ですから」 「性格悪い」 「自覚してます」 「明日から、もう迎えに来なくていいよーだ!」 冗談に混ぜて、言った。 こうすれば、きっと大丈夫。 優也も流れで、頷くはず。 けれど。 「それはダメだ」 真剣な声音で、キッパリと言い切られてしまった。 一瞬の沈黙。 気まずさを誤魔化そうと、あたしは日傘を傾ける。 紫外線を遮断する黒い布が、今は優也の視線も遮ってくれている。 「だってさ、毎日送り迎えっておかしくない? ……彼氏でもないのに」 クルクルと日傘を回しながら、歩く。 すぐ背後、寄り添うように、優也がついてくるのがわかる。 「ストーカー、怖いんだろ。変な意地張るな」 最後の言葉、聞こえてなかったのかな。 あたしは大きく息を吸ってから、今度はハッキリと言った。 「優也が彼氏だって、間違われても困るから」 「俺は困らない」 しれっと放たれた言葉に、心臓がばくん、と鳴った。 「困らないの?」 「困らない」 「ふ、ふぅん」 動揺を悟られまいと、自然と足早になった。 困らないの? どうして? まぁ、彼女なんて作ろうと思えばいくらでも作れそうな優也だからな。 だから、困らないんだろうけど。 けれど。 でも。 だけど。 それ以上の想像もちらり。 相手があたしだから、困らない? そんな風に考えてしまって、慌てて否定。 いけない、いけない。そんなわけ、ない。 優也は、同情してるだけ。可哀想な身の上に、同情してるだけ。 あたしに、負い目があるだけなんだから。 ……だから。 変な期待はしないでおこう。 吹っ切るために、わざと茶化すように、言った。 「優也はさ、心配性だよね! だから、過保護って言われるんだよ」 「誰が言った?」 「蘭。キング・オブ・過保護だって」 「……言わせとけ」 きまりわるそうな、ぶっきらぼうな口調が、なんかかわいい。 あたしは途端にご機嫌になって、優也の隣を踊るように歩き続けた。 夏の太陽は、容赦ない。 優也とこうして歩く時間は大好きだけど、今日みたいな日には、流石にちょっと憂鬱にもなる。 学校から家までは、徒歩で四十分。雨や雪だと、一時間以上かかる。他のみんなみたいに、バスを使えばもっと早いけど、使おうと思わない。というか、あたしには最初から、その選択肢はなかった。 乗り物は、苦手なのだ。 理由は簡単。大抵の運転手は男性だから。 あたしは、優也以外の男性が、とにかく苦手だった。 「せめて自転車だったらなぁ」 思わず呟いたら、すかさず突っ込まれた。 「あれ? 繭、乗れるようになったのか?」 「乗れないけど! でも練習すれば……」 「やめとけ。そのころには卒業してる」 「え~、酷い! 優也の意地悪!」 腹が立ったあたしは、優也を置いて駆け出した。 少し走って、追ってくる気配がないことに気づく。 振り向くと、 「セミ、煩いな」 鬱陶しそうな響きの声。 優也は立ち止まり、天を睨んでいた。 突き刺すような、鋭い視線。 まるで、そこに鬼でもいるみたい。 つられて同じように天を見上げてみた。けれど、そこには青い夏空が広がるだけで、鬼も悪魔も見当たらない。 あたしは黙って日傘を閉じた。 蝉の声が、幾重にも響いてきて、耳が痛い。 時々、優也は、知らない人みたいな厳しい顔になる。 別人かと思うほどに、鋭い顔つき。 そんな優也を見るたびに、あたしの知ってる優也が消えてしまうようで、どこか遠くへ行ってしまったようで、あたしは凄く不安になるのだ。 優也。優也、お願い。そんな顔しないで。知らない人にならないで。あたしの知ってる優也でいて。いつも優しい優也でいて。 優也のシャツの裾を、ぎゅっと掴んだ。 硬直したあたしに気づいた優也が、まるで心を読んだみたいに優しい顔で声をかけてくれる。 「どうした、繭?」 それは、いつもの優也の顔だった。 あたしは内心でホッとして、でもそれを知られたくなくて、曖昧に笑った。 「ん~? なんでもない」 「そうか? 何かあったら、すぐに言えよ。遠慮すんな」 「うん」 あたしは素直に頷いて、そうしてさりげなく、優也の手を握った。 「彼氏と間違えられたら困るんじゃないのか?」 「困らないんでしょ?」 わざと強気に言ってみたけど、優也は何も言わなかった。 あたしたちはそのまま、そっと指先だけを繋いで、しばらく無言で歩いた。 真夏の太陽。熱気と湿気。揺れる陽炎。蝉の合唱。道路に伸びる黒い影、ふたつ。 まるで、あの日の高原みたい。 あたしは、ぼんやりと思い出していた。 優也と初めて出逢った、あの日のことを。  
/61ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加