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【05】彩の日々――過去
次の日の朝、優也はコテージまで遊びに来てくれた。約束どおり、ラジカセを持って。
金色のドアベルが鳴った時には、ワクワクで胸がはちきれそうだった。
お父さんの部屋で見つけたビートルズのCDを、大音量でかけてみた。優也は『すげぇ。迫力が違う』と呟いて、目を閉じて聞いていた。
あたしも真似をして、隣で目を閉じてみたけれど、やっぱり優也のラジカセで聴くHey Judoの方が何百倍も素敵な気がした。
お昼には、パンを食べた。バターとイチゴジャムをたっぷり塗ったら、優也は『甘すぎ』と顔をしかめた。あたしが『変なの。美味しいのに』と言うと、しかめっ面のまま、それでも全部食べてくれた。
お菓子も沢山食べて、冷蔵庫のジュースも飲んだ。桃のジュースが美味しいよ、と勧めたけど、優也はあまり飲まなかった。その代わり、麦茶を沢山飲んだ。それは、昨夜のうちにあたしが作っておいた麦茶だった。と言っても、水とパックをガラスポットに入れただけだけど。その麦茶を、優也は美味しそうに飲み干した。『これが一番うまい』と言って、何度もお代わりをするから、麦茶はすぐになくなって、2人で笑いあった。『今度は、もっと沢山作るね』と言ったら、優也は少し驚いた顔をしてから、『じゃ、頼む』と呟いて、そっぽを向いてしまった。明日も来てくれるんだと、あたしは幸せな気持ちになった。
その次の日も、優也は遊びに来てくれた。夏休みで学校がないのは、あたしと同じだった。学年も同じ。宿題があるのも、同じ。違うのは、学校が好きか嫌いか、というところだった。
優也は、学校は嫌いだと言った。馬鹿ばっかりで行く意味がない、と吐き捨てた。あたしは、あまり通えてないから、できるなら沢山行ってみたいと言った。友達を作ってみたい、とも。すると、優也は苦笑いしながら『学校にいけば友達ができるわけじゃない』と言ってから、『実際、俺にはいないし』と呟いた。優也みたいに素敵な人に友達がいないなんて信じられなかったけれど、次の瞬間、こう叫んでいた。
「じゃあ、あたしと友達になって!」
優也は一瞬、驚いた顔をしたけれど、すぐにポツリと、
「いいよ」
と照れたように笑った。
こうして、優也はあたしの生まれて初めての友達になったのだった。
それから毎日、優也は遊びに来た。あたしは毎日、麦茶を作った。
優也はいつも自転車に乗ってくるので、あたしも乗ってみたいと言ったら、『繭には無理』と断言された。悔しくて『やってみなくちゃわからないもん』と、優也の自転車に乗ろうとしたけど、座ることすらできずに、転んでしまった。黒いオンボロ自転車は、本当は優也のものじゃくて、誰か大人のものらしい。だから、やたらと大きかったのかと、納得した。『優也くらい背が高ければ乗れたのに』と悔しがっていたら、『いつか教えてやるよ』と言ってくれた。あたしは、それまでに子供用の自転車を買ってもらおうと、心に決めた。
コテージ内の探検もした。キッチンから屋根裏まで見て回った。入ってはいけない、と言われているお父さんの部屋だけは、優也がやめようと言うから入らなかったけれど、それでも大発見が沢山あった。テラスの大窓の上にツバメの巣があることも、二階のあたしの部屋の窓枠が壊れていて簡単に外れてしまうことも、優也が発見したことだ。
料理にも挑戦した。あたしは卵を割ることも上手くできないのに、優也は綺麗な目玉焼きを作ってくれた。お皿にはハムとトマトも乗っていて、お洒落なレストランみたいだった。大喜びするあたしに、優也は『味は保証しない』なんて言ったけど、今まで食べたどんなご馳走よりも、あたしは美味しいと思ったのだ。
こうして、あたしたちは、仲良くなった。
毎日が楽しくて、楽しくて。
いつまでも夏休みが終わらなければいいと、思っていた。
その頃には、あたしの頭もハッキリしてきていて、これなら学校に通うこともできそうだと思っていた。
お父さんが帰ってきたら、聞いてみよう。
あれは、何の薬なの? 飲まなくても平気だよ。元気になったから、お外で遊んでもいいよね?
そうして、残りの夏休みを、優也とずっと一緒に過ごそう。
優也は、来年の夏も多分ここにいる、と言っていた。あたしも絶対に来ると思うから、会えなくなることはないけど、それでも来年の夏休みまで、会えないのは確定だ。そう思うと寂しくてたまらない。
だから、一瞬でも多く、優也と過ごしたかった。
いっそのこと、優也の通う学校に転校させてもらおうか……。
そんなことを考えていた時、小さな音がした。
聞いたことのある音……車のエンジン音。
それから、バタンという車のドアを閉める音と、コツコツという石段を登る音。
お父さんが、帰ってきた!
あたしは焦った。カレンダーを見た。まだ、一週間なんて経ってない。
優也は気づいていないようだった。ロッキングチェアに揺られ、目を閉じたまま音楽を聴いている。
どうしよう、怒られる!
咄嗟に思うのと同時に、こうも考えた。
大丈夫。外に出たのは、バレないはず。優也が、遊びに来てくれただけって言えばいい。
ホントに?
嘘なんて、すぐバレるに決まってる。
でも、大切なお友達ができたって言えば、お父さんだって喜んでくれる。
どうして?
お父さんの喜ぶ顔なんて、想像もできないのに。
だけど、優也はあたしの友達で、素敵なことをいっぱい教えてくれたもの。だから、大丈夫。きっと大丈夫。
なにが?
どこに大丈夫って保証がある? どうしたって、怒られるに決まってる。
あたしは混乱して、そのまま立ち竦んでいた。
どうしよう、どうしよう。
どうしよう、大丈夫、どうしよう。
身体が硬直して、動かない。
それなのに耳だけは、いつもより鋭く、些細な音までも拾ってしまう。
ガチャ、ガチャリ。
鍵を廻す音。
ギィ……。
ドアが開かれた音。
チリ、リリン。
金色のドアベルが鳴る。
ドスン。
大きな荷物が置かれた音。
ポス、ポス……。
スリッパを履いて歩く音。
ガチャ。
玄関ホールの扉が開いた。
「ただいま」
低い、よく通る声が、室内に響き渡り、そして。
……そして。
その瞬間、あたしと優也の幸せな日々は、突然終わりを告げたのだった。
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