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1カ月程前、初めて行く医療機関で検診を受けたが、そこがたまたま商名井不動産浅草橋本店の近くだった。
かつて使っていた駅に降りると、少しだけ懐かしくなり、よい機会なので会社を訪ねてみたが、看板が外されて空き室となっていることを知った。
そのことを知っているかどうか聞いてみることにした。現役営業なら知っていて当然の内容である。
「商名井不動産浅草橋本店って、今どうなっていますか?」
「変わりありません」
島沖螺香は、わざとらしく言った。
「変ですねえ。1カ月程前、たまたま近くに行く用事があったんで訪ねてみたんですけど、なくなっていましたよ。ネットで調べると、どうも倒産したみたいです。知らないんですか?」
「……」
「あなた、本当にRSSの佐藤さんですか?」
疑いの目を向ける島沖螺香に、佐藤の顔色が見る見るうちに変わり、挙動がおかしくなった。
「ア”……ア”、ア”……」
「佐藤さん、どうしました?」
佐藤の目の周辺に黒いノイズが走り、形が乱れる。
「ア”、ア”ア”ア”……ウ”、ウ”ウ”……」
声もかすれて、聞き取れない。
「佐藤さん?」
『ア”ー、ウ”ー』
不気味なうめき声をあげながら、やがて人の形が崩れて散り散りに消えた。
「消えた……」
その場で中林に電話をかけると、佐藤について尋ねた。
「お疲れ様です。営業に佐藤康さんっていましたよね? あの人、今はどうしていますか?」
電話の向こうの中林は、島沖螺香の唐突な質問に一瞬絶句すると、小声で教えてくれた。
『彼は数日前に亡くなったの。半年前、仕事中に倒れて救急搬送され、入院して治療を受けていたけど、一度も意識を取り戻すことなく逝ってしまった』
「そうでしたか。ありがとうございます。ふと思い出したもので。ご冥福をお祈りいたします」
佐藤の幽霊が会いに来たとは伝えられずに、重い電話を切った。
「やっぱり、幽霊だった……」
佐藤が座っていた席には誰もいない。
気配もない。
幽霊は、自分が死んだ後のことを知らない。語れるのは生前の記憶だけ。
質問が過去のことばかりだったから、ピンときた。
商名井不動産浅草橋本店が閉鎖したのは、佐藤が倒れた後だったのだろう。
自分が知らなかったことにショックを受けたのだ。
正体を暴くために聞いたことだが、予想以上に除霊効果があったようだ。
「佐藤さんって、死んでもなお、働いているんだ」
派遣で渡り歩いている島沖螺香には、その忠誠心が理解し難い。
怖さとともに、ほんのちょっとだけもの悲しさを感じた。
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