派遣会社の営業さん

2/2
前へ
/11ページ
次へ
 1カ月程前、初めて行く医療機関で検診を受けたが、そこがたまたま商名井不動産浅草橋本店の近くだった。  かつて使っていた駅に降りると、少しだけ懐かしくなり、よい機会なので会社を訪ねてみたが、看板が外されて空き室となっていることを知った。  そのことを知っているかどうか聞いてみることにした。現役営業なら知っていて当然の内容である。 「商名井不動産浅草橋本店って、今どうなっていますか?」 「変わりありません」  島沖螺香は、わざとらしく言った。 「変ですねえ。1カ月程前、たまたま近くに行く用事があったんで訪ねてみたんですけど、なくなっていましたよ。ネットで調べると、どうも倒産したみたいです。知らないんですか?」 「……」 「あなた、本当にRSSの佐藤さんですか?」  疑いの目を向ける島沖螺香に、佐藤の顔色が見る見るうちに変わり、挙動がおかしくなった。 「ア”……ア”、ア”……」 「佐藤さん、どうしました?」  佐藤の目の周辺に黒いノイズが走り、形が乱れる。 「ア”、ア”ア”ア”……ウ”、ウ”ウ”……」  声もかすれて、聞き取れない。 「佐藤さん?」 『ア”ー、ウ”ー』  不気味なうめき声をあげながら、やがて人の形が崩れて散り散りに消えた。 「消えた……」  その場で中林に電話をかけると、佐藤について尋ねた。 「お疲れ様です。営業に佐藤康さんっていましたよね? あの人、今はどうしていますか?」  電話の向こうの中林は、島沖螺香の唐突な質問に一瞬絶句すると、小声で教えてくれた。 『彼は数日前に亡くなったの。半年前、仕事中に倒れて救急搬送され、入院して治療を受けていたけど、一度も意識を取り戻すことなく逝ってしまった』 「そうでしたか。ありがとうございます。ふと思い出したもので。ご冥福をお祈りいたします」  佐藤の幽霊が会いに来たとは伝えられずに、重い電話を切った。 「やっぱり、幽霊だった……」  佐藤が座っていた席には誰もいない。  気配もない。  幽霊は、自分が死んだ後のことを知らない。語れるのは生前の記憶だけ。  質問が過去のことばかりだったから、ピンときた。  商名井不動産浅草橋本店が閉鎖したのは、佐藤が倒れた後だったのだろう。  自分が知らなかったことにショックを受けたのだ。  正体を暴くために聞いたことだが、予想以上に除霊効果があったようだ。 「佐藤さんって、死んでもなお、働いているんだ」  派遣で渡り歩いている島沖螺香には、その忠誠心が理解し難い。  怖さとともに、ほんのちょっとだけもの悲しさを感じた。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加