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「もし。奪衣婆どのと見受けた」
「ほう。知っておるなら話は早い。六文を渡してもらおうか」
近くで見る奪衣婆はより巨大に見えた。首をありったけ上に向けて、漸く面が見える。肌は青く、頭に角があった。垂れた乳房で辛うじて女であることがわかるだけで、顔つきも肉のつきかたも猛々しい。しばらくすると獣臭がぶわっと鼻をついた。
これが鬼か。信繁は死線をくぐった将でありながら、畏敬のものに恐怖を覚えた。
「申し訳ないが六文は持っておらん」
「それはおかしい。わしゃ鼻が効くんだよ。その具足のなかにあるのはなんだね」
信繁は懐に手をいれた。
確かに銭がある。
ーー佐助か。あやつめ。
逃げろという命令を簡単に聞き入れたのは、今思えば変だった。
余計な真似をと思ったが、使い道はあるかもしれない。
ーーわしは地獄に逝かねばならんのだ。
「銭の匂いには敏感でね。くれんか」
信繁は圧におされて渡しそうになったが、堪えた。
「奪衣婆どの。この六文は他の者にあげてもよいか?」
「その銭を貰えるなら別に構わんが」
「ではそうさせてもらおう」
「待て、ぬしは地獄へ行くことになるぞ」
「それが望むところだ」
「変わった奴よの」
「一つお願いがある。足軽で六文を持っていないものがあれば私の六文を渡して欲しいのだ」
「おい」
信繁の体がひょうと宙に浮いた。奪衣婆がつまみあげたのだ。
「ぬしはわしを小性か何かだと思っておらんか。遣いなどと面倒なことは御免だね」
信繁は汚物を腐敗させたような臭いを浴びた。鬼の目には光がなく、どこまでも残酷になれそうなほど黒い。
だが、信繁は真っ向から奪衣婆と睨みあった。
「面倒だということはできんことはないという意味なのだろう? この通りお頼みもうす」
「ぶはっ」
奪衣婆は信繁が頭を垂れる姿を見ると吹き出した。
「ぬしが真田信繁か」
「左様だが」
「だと思ったわ。わかった、その六文で足軽を助けよう」
言うと同時に、奪衣婆は六文を奪い、直ぐに助走をつけた。ぎゅんと信繁の躯が引き延ばされる。
ふわり。
奪衣婆に投げられた信繁は放物線を描いた。
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