君と見た花は幻か、それとも……

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 夏、ぎらぎらと日差しが照りつく中、食べ終わったばかりのお弁当箱を片づけた。  今日もダメだったか。  まぁ、昨日だって今日だって明日だってダメだろう。  私がどんなに“彼”のことを考えたって、“彼”は現れたりなんてするわけない。  多分、“彼”は私が都合よく作りあげた幻想なんだから。  冷たいお茶を一口飲んだとき、見ぃつけたという声が後ろからした。  この声は後輩の菜月ちゃんだろう。  振り向くとここまで急いできたのか、肩で切りそろえられた髪が揺れている。 「紗月先輩、相変わらずここにいるんですね。ていうか、食べ終わって、なにしていたんですか?」 「ちょっと考えごとをね。今日もこの後無事に業務が終われますようにって」  彼女は私のかわいい部下の一人だ。  大学卒業して七年。  もうすぐ三十歳になる私は、残念ながら男性の縁には恵まれないけれど、かわいい部下の縁には恵まれている。  考えていたことをごまかすように笑うと、菜月ちゃんはたしかにと相槌を打ってくる。 「昨日も佐々木君のおかげであやうく終電逃すところでしたもんね。吉城(よしき)さんがいなければあの時間には終われませんでしたよ」  今年、部署に転属してきた佐々木君という同期がとにかくやらかすのだ。私もヒトのことはあまり言えないが、大きなミスではなく小さなミスを積み重ねて大惨事にしてしまうタイプで、それを収めたのが同じ同期入社の吉城さん。佐々木君もいいやつではあるが、吉城さんとは天と地の差がある。彼がいなければ、無駄なタクシー代がかかったかもしれない。 「しっかし、やっぱり先輩って、変ですよね」  飲み終わった水筒のフタをしたとき、そう言われてしまった。どういうことか尋ねると、先輩やっぱり変ですと呆れられてしまった。 「だってこんな暑い中、外でお弁当広げるなんて私だったら絶対に嫌ですよ」  菜月ちゃんの言うとおりだ。  ここは木陰だけれど、それでも照り付ける日差しで着ている服がびしょびしょだ。汗を拭かないとオフィスにはエアコンが入っているから、風邪を引きそうだ……――いや、実際にこないだ引いたばっかりだ。 「ふふふ。普通はそうだよね」  わかってはいる。  いるけれど、どうしても“彼”を探し求めてしまう。だって、“彼”は……―― 「気にしないで、こちらの話だから」  おもわず笑ってしまったから菜月ちゃんに怪訝な顔をされたが、それでも私は()の幻想をぶち壊せずにいた。  だって、“だれか”に会えるかもしれないんだから――  私が“彼”を知ったのは幼稚園の年少、秋口だった。  田舎から引っ越してきたばかりの私は当然、だれも知らない。  もうすでにそこには仲良し集団がいて、後から入ってきた私のことなんか、だれも見向きもしなかった。  ありがたいことに私は構ってもらいたがりではなかったおかげで、一人でいることは苦痛ではなかった。積み木で遊んだり、ブランコに揺られてたりと、ほかの子たちと一緒に遊ばなくてもそれはそれで楽しめていた。多分、私は子供ながらに付き合いの面倒くささを知っていたのだろう。  そんな私に“彼”が声をかけてきたのは、転入して間もなくのころだった。  なんて言われたのかは覚えていない。それでも手を引っ張っていく“彼”に一度は抵抗したかもしれない。けれど、“彼”は私を無理しない程度で誘ってくれた。  晴れの日は砂場でお城づくりをしたし、雨の日はおままごとやお絵かきをした。それに、雪が降れば一緒に背より少し高い雪だるまを一緒に作った。 “彼”との過ごした時間は、母親が迎えに来る時間を忘れるほど楽しかった。  やがて時が流れ、幼稚園最後の初夏になった。  ある日、“彼”と一緒に園長先生の手伝いで園庭の水やりをしていると、ポケットからビニール袋に入った黒い種を見せてくれた。 「一緒にこの種を植えよう」  どうやら家から持ってきたもののようで、それをここに植えたかったらしい。  園長先生は水やりを欠かさないことを条件に、幼稚園の備品であるプランターを貸しだしてくれた。  半円型の黒い種から咲く花は何色だろうかと思ったが、“彼”も知らなかったらしい。一週間経ったころ、かわいらしい芽が出た。ほかの花とは違った様子だと“彼”と目を丸くして、そこでもどんな色の花が咲くのだろうかとじっと観察していたが、結局わからなかった。  しかし、そのあとしっかりとした葉っぱが出たころ、“彼”は突然、幼稚園に来なくなった。最初はたった数日、風邪でも引いたのかと思ったが、園長先生をはじめ、大人たちに尋ねてもなにか言いにくそうな顔をしているだけ。 “彼”がいないから、仕方なしに一人で水やりをしていたが、全然気分が晴れなかった。そんなとき、二人で植えたはずのプランターがなくなった。最初は先生たちがどこかにしまったのかと思ったけれど、そうではなかったようで、幼稚園のどこを探しても見つからなかった。  結局見つからなかったからその植物のことは諦めることにしたが、それでも“彼”のことは忘れられなかった。  きっと、それが私の初恋だったのだろう。  小学生になっても、中学生になっても、高校生になっても、私は彼を見つけだすことはできなかった。なぜなら、“彼”の名前を憶えていなかったからだ。母親に聞いても、まるで神隠しにあったかのように“彼”の名前だけすっかり忘れてしまっているのだ。  探しようもなかったけれど、それでも忘れられない想いを抱えたまま、私はずっとお日様のもとでお昼ご飯だけは食べ続けてきた。  だって、“彼”が笑っているのは、ずっとお日様の下だから。 “彼”以上にお日様が似合う少年なんて、きっといない。そう思っていた。  ある会社が休みの日の昼下がり。  昨日まで会社総動員で、大規模なコンペに向けた作業を行っていたせいか、めちゃくちゃ疲れていた。昨日も吉城さんがいなかったら、どうなっていたことだろうかと思うだけでぞっとする。  お昼ご飯をいつものようにお日様のもとで食べた私は、まとわりつくような熱い空気に負けて、窓を開けっぱなしで寝てしまっていたらしい。もうちょっと夢を見ていたい気分だった。  というのも、“彼”が出てきたのだ。  それも、あれから二十四年経った現在の姿で。残念なことに顔は見えなかったけれど、それでもはっきりと私にはわかった。あの声は“彼”のものだと。 『二人で植えた花の色は……色だったよ』  聞き覚えがある声だったけれど、どこで聞いたのかは特定できなかった。寝ぼけ眼をこすって、冷えたお茶を飲もうとしたとき、テーブルの上に置いてあったチラシが目に入ってきた。 《樽定(たるさだ)幼稚園 夏祭り  日時:七月十八日(日)十七時~》  私が通っていた幼稚園の夏祭りが今日、開催されるらしい。どうやら地域住民も参加していいらしく、このチラシが折りこまれていたようだった。そこには小雨決行と書かれているが、雨の心配はないだろう。  今までもこういうことをやっていたのだろうか。  初めて気づいたけれど、せっかく気づいて、予定もとくにないから見にいってみるか。多分、あのプランターはないだろうけど、それでもなんとなく探しにいきたかった。  夕方、せっかくだからと浴衣を着て幼稚園に行くと、あのときの思い出がよみがえり、それでも“彼”の名前は思いだせないが、足は自然とプランターを置いた場所に向かっていた。  薄暗い時間だったけれど、その場所はまるで光が当たっているかのように色とりどりの花が咲き乱れていた。  あの花だった。 「綺麗に咲いているね」  まったくだ。あの花が、あのプランターで咲いていた。  一年草だから、私たちが植えたものではないが、それはたしかなものだった。  しかし、それ以上に私は驚いていた。今の声は……--今の声は今日の昼、夢に出てきた青年の声じゃないか。  そう思って、慌てて振り向くと、そこにはつい昨日まで一緒に仕事をしていた人が立っていた。 「君もこの花を見に来たの?」 “彼”は私にそう問いかけた。 「ええ、そうよ。あなたはなにをしにここへ?」  まさか“彼”が“彼”なわけない。  こんな人気のないところに来るもの好きはそういないだろうと思っていたが、それでも否定したかった。  でも、彼はニッコリと笑って、私の頭をなでる。 「僕もだよ。ずっと君に声をかけたかった、ずっと君のことが好きだったよ、音羽紗月さん」
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