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第10章
春国は春が終わりかけているにも関わらず、満開で咲いている桜の木の下に立っていた。
季節外れの桜は風に吹かれると、儚げな桃色を春国の上にも散らす。一つ手に取り、ふう、と息を吹きかけた。
「綺麗だねえ、狐のお嫁さま」
小さな子供がうっとりとした顔で春国を見上げ、笑いかけた。そして手に持った花を渡す。
小さな紫色の花をいくつもつけたその花は雪解花という。
幼い頃、春国が有雪へと贈った花である。
珍しい花でそのあたりに生えているものでもない。
「これをどこで……?」
「ん、あそこのかっこいいお婿さんっ」
子供が指を差した方向には黒い紋付袴の有雪がおり、こちらへ向けて手を振りながら、近づいてくる。
「あ、お父さんが呼んでるっ」
子供は有雪と入れ違いになり、父親のもとへと走り去っていった。
「子供に頼まないで、ご自分で渡したら良いでしょう」
「怒らないで、桜の下で佇んでいる春ちゃんがあまりにも綺麗で眺めていたかったんだ」
そう言われると悪い気はしない。有雪は事あるごとに春国の容姿を褒めるが、嫌ではない。むしろそれに見合うだけ、いつまでも美しくいようという気持ちすら湧いてくる。
「本当に綺麗だ」
持っていた雪解花は有雪に取られてしまった。それを耳元付近へ差し入れられる。視界の端で紫色が揺れた。甘い香りも漂う。
「ああ良かった、この日を迎えられて」
二人はこれから神前で結婚式をあげ、新たな人生を歩み始める。
婚姻の儀を終えた後、藤白神社は花町宮家当主の有雪を筆頭の宮司、春国を最高位の神子として新体制をスタートさせた。
新しい二人が特に力を入れたのは儀式や神事の再解釈であった。古文書や古典、果ては大昔の帳簿まで引っ張ってきて、それらを紐解き、時代にあった現代風の解釈をする。そして不要な儀式や時代にそぐわない神事を見直し、廃止したり、簡略化したり、逆に新しい儀式や神事を新しく始めた。
反発はあったものの、根気良く説得し、時には有雪の弟の嶺雪の力も借りながら、良き信仰を集められるように努力した。
その中で、春国は『みなに開かれた信仰』と題して、安藤花卉店をもう一度再開させ、時には自らが店頭に立ち、花や植物を販売した。今まで神子は山奥の神社から降りて来ず、市井の人々から信仰されても、ほとんどみなに顔を見せたことはない。
そんな神子が自ら花を売ってくれると言うこと、また春国の美貌も評判となり、店は繁盛した。
そして五年の歳月の後、春国は成人した次代の神子に位を譲り、神子を引退。有雪と婚姻した。
今日は二人の夫婦としての初の晴れ舞台、結婚式である。
春国は白無垢を着ていた。地面に擦ってしまうので、打掛は着ておらず、角隠しもまだ被ってはいない。白く、整えられた耳が露わになっていた。
有雪の方はというと、古典的な黒の紋付き袴だ。羽二重の羽織には白く花町宮家の家紋が刺繍されている。
「有雪さん、これから末長くよろしくお願いします」
春国は有雪に向かって頭を下げた。どうしても式の前に伝えておこうと思っていたことであった。
「こちらこそ、春国さん、よろしくお願いします」
春国と同じように有雪も頭を下げたのを雰囲気で感じ取る。
春国さん、なんて有雪に呼ばれたことはない。何だか他人行儀なその初めての呼ばれ方に春国は笑ってしまいそうになる。
目線を上げると、俯いたままの有雪の肩が揺れていた。
「あっくんっ」
大きな声で有雪を呼んだ。
「あはは、春ちゃんっ、自分で呼んで笑えてきちゃった、あと改めてかしこまるとなんか恥ずかしいね」
「おかしな人ですね……」
二人が笑い合っていると、さあ、と風が吹き、また花びらが散る。それらを掴もうとしたとき、手に冷たいものが当たった。
「あ、雪だよ春ちゃん」
雪にはまだ早いはずだ。春の終わり頃とはいえ、桜も咲いている。しかも天気は晴天だ。雪が降る際特有のどんよりとした雲はない。
こういうあべこべな天気を古来より、狐の嫁入りと呼ぶ。
春国は有雪に手を取られ、腕の中に閉じ込められた。
「寒いね」
春国は迷いなくきつく抱きしめ返す。
「はい、とても寒いから」
離れないでください、という言葉は合わさった口内へと消えていった。
だけど言葉は必要ないだろう。有雪と春国は離れることはもうないだろうから。
雪と桜が散る中、二人はしばらく口付けていた。
終
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