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第9章
またひとりで洞窟にいる。
神官たちは何も春国に話しかけなかった。まるで逃げ出したことなどなかったことのように、以前と変わらず、儀式の準備をする。
謝罪をするべきかとも思ったが、何を言っても意味がないと思い、必要以上は春国も喋らなかった。
今度は刃物を持たされていない。茣蓙の上に座布団が敷かれ、その上に座ると後ろから目隠しを施される。
(今度は神官たちが目隠しをするのではないのですね)
視界が闇で覆われる。口を開けるように言われ、素直に従うと、口の中に何か丸薬のようなものが入ってきた。水とともに飲むように指示され、渡された湯飲みの中に入った水で流し込む。
本来、『婚姻の儀』は神子候補の発情期に合わせて行うが、今回はその時期から大きくずれている。次に春国の発情期が来るのはきっかり三ヶ月後だが、それを待たずに行うので、飲んだ薬は発情を誘発させるものだろう。
春国が薬を飲んだのを確認すると、準備をしていた二人の神官が去って行くのがわかった。
てっきりこの二人が最後まで神事を行うと思っていた。
春国は茣蓙の上で横になる。手首は拘束されていないから、目隠しは外そうと思えばいつでも外せるが、そんな気も起こらなかった。
『婚姻の儀』は、無理やり発情期を催させられた奉種の青炎が尊種の怪物に抱かれても、快楽に屈さなかった、という逸話に由来する。まさか本当にここまで再現するなんて思ってもみなかったが、逆に言えばここまでしないと神子にはなれないということなのだろう。
けれど、初めてはやはり有雪が良かった、と今でもその思いが燻っている。
何も言わずに出てきてしまった。それこそ、お礼や感謝の言葉もなしにだ。
ぐすりと鼻を啜った。もう有雪と会う機会は永久に失われてしまった。これから春国は神社の敷地内で生きていく。一度、逃げ出したから、外には出られない。それは次の神子候補が現れるまで続く。
涙が目を隠している布に吸い込まれていった時、がさりと音がした。誰かが近づいてくる。
目隠しのせいで辺りの様子が見えないから、どれだけの時間が立っているのかもわからない。
春国は身体を強張らせた。相手役の神官たちが来たのだ。
そして寒いはずなのに、身体が火照っていることにも気がついた。薬が効いてきたらしい。
春国は微動だにせず、待ち受けた。
この儀式に関して、覚悟ができているとは言い難い。けれどももう逃げない、という覚悟は決まっていた。
「春ちゃん、大丈夫? 何された? 痛いところとか、気持ち悪いところはない?」
「あ、ぇっ」
聞こえてきた声に耳を疑い、春国は驚愕した。先ほどとは違う意味で身体を動かせずにいると、そっと抱き上げられる。膝の上で横抱きにされているのがわかった。
ふわりと求めていた有雪の香りが鼻腔をくすぐった。
「目隠しを外すよ」
次に飛び込んできたのは眉を寄せている有雪の心配そうな顔だ。
「な、何で、貴方が」
有雪はまっすぐ春国を見つめている。その不安に揺れる瞳に気がつくと、はっとし、質問に答えを返した。
「何もされていません、発情期を催すための薬を飲んだくらいで……」
「な、熱は? どのくらい発情してる? クソ、今は薬持ってないぞ」
「まだ全然、このくらい平気です」
春国がそう答えると、有雪にきつく抱きしめられる。実は薬が徐々に効いてきていたが、心配をかけさせないためにもあまり言わない方が良いだろう。少し苦しくなってきたが、春国も有雪の背に手を回す。有雪の身体が小刻みに震えているのがわかる。
「ごめんね、ごめんね、俺が最初から家を継いでおけば、春ちゃんのことも何とかできたのに」
家を継ぐ、とはどういうことだろう。
有雪は『安藤花卉店』を継いだのではないのか。
「……あっくんは花屋さんではないんですか?」
「……本当は、違う」
有雪はがばりと春国から身体を離す。二人は再び見つめ合うことになった。
そして、どこか遠い目をして、自嘲気味に有雪は笑った。
「全部言うよ、驚かないでくれる?」
「ええ、わかりました」
有雪にも春国の知らない何か秘密がある。だがそれが何か不都合な真実であっても受け止めよう。
春国はそう決意した。
「俺の本名は安藤じゃない、店は母方の実家だけど、とっくの昔に廃業してて、それを無理やり継いだんだ。俺の本名は花町宮有雪。花町宮って春ちゃんなら知ってるだろ? 藤白神社とか神事の一切を取り仕切る四大貴族の一つ、で、俺はそこの道楽長男坊ってわけだ」
春国は言葉が出ず、ぽかんと有雪を見つめる。
花町宮家なんて噂でしか聞いたことがないような、上級の家柄だ。吉良家なんて会うだけで何ヶ月も待たされるだろう。
「本当なら家を継がなきゃいけない立場なんだけど、無駄な権力争いとか腐敗しきった神事の管理体制に嫌気がさして、親父と大喧嘩して出奔して、花屋を無理やり再開させたってわけ。花は昔から好きでさ、いつか花屋やりたいって思ってたし、それに引っ越してしまった春ちゃんを探すのにもちょうど良かったよ。まあ神子さまなら、情報が入ってくるわけがないんだけど。あとさ、俺の母親は花が好きでさ、病気で死んだんだけど実家からいつも見舞いだって言って大量の花が届いてた。で、子供の俺は春ちゃんの気を引きたくて、いつもそれをあげてた」
確かに有雪が春国にくれた花は高価なものや珍しいものが多かった。
「ごめんね春ちゃん、俺が大人しく最初から家を継いでいれば春ちゃんのこともすぐに気づいてあげられたのに。俺、あの日に春ちゃんと出会うまで春ちゃんが神子候補だってことすら知らなかったんだ、ごめんね、ごめんね」
有雪が春国の着ている服が神事用の衣装だと気がついたのは、実家の影響なのだろう。
本来、当主として教育されてきた有雪は花町宮家の特殊な教育や教養も施されてきたのだ。
「いいえ、あっくんは、有雪さんは儀式から逃げ出してきた私のことを匿ってくれたり、怪我だって手当てしてくれました、薬も下さった。ただの幼なじみってだけなのに……」
「ただの幼なじみだなんて思ってないさ、俺は春ちゃんのことがずっと好きだった。昔も今もずっと、これからも好きだ」
有雪の言葉にぱちくりと目を開ける。
「私の発情にはそんなに反応しないって……」
「発情とか身体の相性だけが好意の全てじゃないよ、それにあれは俺の痩せ我慢。春ちゃんが尊種と奉種だってことを気にしているんじゃないかと思って、嘘ついた」
ちょっと恥ずかしげに有雪は目線を逸らす。
「初日の発情の時、ばっちり反応してたよ、本当なら今すぐにでも抱きたかった。けど強姦魔にはなりたくなくて、薬を飲んで、春ちゃんが寝た後、めちゃくちゃシコったよ」
それを聞き、春国も顔を赤らめる。
「すみません、変なことを言わせてしまいました」
「いいよ」
気まずい沈黙が流れる。
先に口を開いたのは春国だった。
「その、あっくんはどうしてここへ来たのですか? 相手役の神官として、ですよね?」
有雪も白色の神事用装束に身を包んでいる。おそらく相手役の神官だと思うが、確信は持てない。
「そうだ。春ちゃんの相手は俺だけだ、それだけは嶺雪に納得させた。春ちゃんの身体は誰にも触れさせない」
「嶺雪?」
「弟だよ、春ちゃんがいなくなった時に店に来てただろう」
あの洒落た格好をした男性は有雪の弟だったのか。
「嶺雪に頼んだんだ、春ちゃんを解放してくれって。そしたら俺が当主に戻るのが条件だって言われた。もちろん快諾したよ、春ちゃんが神子になりたくなくて神社から逃げ出したんだと思ったから」
「その、私は……」
「春ちゃんがいなくなって、嶺雪を問い詰めたら、春ちゃんは自分から神社に戻ったって言うし、もう俺、わけわかんなくて、春ちゃんのことを何も知らない自分が情けなかった」
「ご、ごめんなさい……私が嘘をついたり、何も言わなかったから、有雪さんや周りを混乱させてしまいました」
有雪だけでなく、兄の高国の顔も思い出す。
「あっくん、私もあっくんが大好きです、あっくんがくれた雪解花を押し花にして、持ち歩いて、神社でいつもあっくんのことを考えていました」
春国は衣服の中から栞を取り出した。これだけは無くすまい、奪われまい、として大切に持っていた。
「初め、誰とも知らない神官たちと発情期に性行為をして、快楽に溺れなければ神子になれる、という儀式のことを穢らわしい、と思い、嫌悪し、神社から逃げ出しました。けれども私はね、山から降りてきてこの国の民たちの生活に神話が強く根付いていることを知ったんです」
有雪は黙って春国の話を聞いている。
「私は私に与えられた役目を果たします、もう一度、婚姻の儀をやり直します。そして神子になります」
不安げな顔をしている有雪を今度は春国から抱きしめた。
「本当は嫌ならやめようって提案しようとしてた。性行為をしたふりをして、明日二人で逃げようって」
「……ごめんなさい」
「謝らなくていい、春ちゃんが神子になるなら、俺も花町宮をきちんと継ぐよ、花屋もきっぱり辞めて。中途半端なことはしない」
「あっくん、有雪さん」
春国は身体の位置を変え、有雪と向かい合う。
「抱いてください」
「わかった」
唇が塞がれ、肉厚な有雪の舌が口内へ入り込んでくる。
口付けは二度目だが、深いものはしたことがない。以前は嶺雪の邪魔が入ってしまったから、あれは未遂に終わっている。
不慣れな春国は有雪の舌を追いかけることで精一杯だ。それに薬が本格的に効いてきたようで、いちいち敏感な反応をしてしまう。
「もう息、上がっちゃった? 苦しい?」
「ぅ、ぁ、まだ、大丈夫……れ、です……」
呂律が回っていないのは発情期だからだろうか、それとも口付けで舌が回っていないからだろうか。
「そう、もっかいするよ、まだ緊張してる? 身体ガチガチ」
緊張しないという方が無理だろう。有雪には余裕があるように見えて、自分ばかり必死なようで恥ずかしい。
「身体に触りながらしよっか」
「待っ、んぅ」
衣服の帯がしゅるしゅると解かれ、腹に空気が触れた。下着はつけていない。恥ずかしくて、待って、と言ったつもりだが、抗議の言葉は合わさった口の中に消えていく。
胸元に有雪の指先が到達し、さわさわとそこを撫でている。桜色をした乳首に指先が触れるたび、びくびくと身体が震えた。
口付けの心地よさと乳首から与えられる快楽により、余計なことは考えられなくなっていく。
口が離された時、思わず、もっととでも言うように、有雪の唇を追いかけてしまい、軽い口付けで宥められてしまった。
身体が熱っぽい。肌が敏感になっている。
「春ちゃん、可愛いね、やらしい気持ちになってきちゃった?」
「お、おそらく……薬が効いてきたのかもしれません」
口付けと乳首への刺激だけで、春国自身も反応している。後孔も濡れた感覚があった。
「でも、まだ本調子って感じじゃないね」
「私の発情期では……何とも感じませんか?」
以前、有雪は春国の発情にはあまり影響を受けないようだ、と言っていた。もしかしたら身体の相性は悪いのかもしれない。
不安そうな春国の表情を見て、有雪は優しく笑いかけた。
「俺も脱ぐよ、そしたら俺がどれだけ春ちゃんのことを欲しがってるかわかってもらえるし」
有雪の裸。見たいか、見たくないか、と聞かれればものすごく見たい。だが、いざ有雪が脱ぎ始めるといけないものでも見ているような気がして落ち着かない気分になる。
有雪は自分で帯を解き始める。そして一度、春国から離れると立ち上がり、解いた帯と脱いだ衣服を無造作に投げ捨てた。
しっかりと有雪の裸を見たのはこれが初めてだった。
抱きしめられたり、抱きしめたり、そういう触れ合いは何度かしている。その際に感じていた、衣服越しの有雪の身体でもきちんと筋肉がついて、骨太で、がっしりしていることはよくわかっていたものの、改めて有雪の肉体を見ると、惚れ惚れするほど恵まれた体格であることがわかる。
薄明るい室内で、腹筋の陰が色濃く映えている。線の細い春国には終生つかない類のものだろう。
その下へと目をずらしていき、それが目に飛び込んできたとき、思わず目を覆った。
「うわぁー」
濃い草叢の中に春国のものとは比べものにならないほど大きな有雪自身がそそり立っている。
「え、何?」
尊種の性器とは総じてあれくらい大きいものなのだろうか。他の尊種の性器を見たことがないため、比べられない。
「なんでも、ないで……しゅ、す」
「言えてないよ、もしかして本格的に発情してきた?」
笑いを含んだ声に恥ずかしくなる。覆った掌の隙間から、有雪の様子を伺った。
「春ちゃん?」
有雪が前髪をかき上げ、春国の名前を呼んだ。
「あっ」
「ん」
春国の異常に気がついた有雪が近づいてきた。顔を隠していた手を強引に除けさせられる。少し乱暴なその動きに胸が高鳴るのを感じ、それとともに急速に発情の気配が高まっていく。
「顔真っ赤、匂いもしてきた」
「ひん」
すん、と首筋で息を吸われ、当たった吐息にさえ感じている。こんな発情期は初めてだった。
「俺の裸を見て、発情期が本格的に始まっちゃったの? 案外、春ちゃんもやらしいんだね」
「ち、違いま、しゅ、ぅっ」
「呂律が回ってないのが何よりも証拠だよ」
以前の発情期の際、春国は発情すると呂律が回らない、ということがバレている。
まだ胸がドキドキする。有雪の裸体が間近に迫ってきて期待しているのはもちろん、いつも長めの有雪の前髪がかき上げられ、額が露わになっただけであんなに格好いいとは思わなかったのだ。
「ひゃっ」
焦ったくなった有雪が春国を押し倒した。そのまま首筋を舐められる。そして、ちゅ、ちゅ、と音を立てながら、下へ降りていく。唇が身体に当たるたびに腰へ、ぞくぞくと快感が溜まり、自身も硬くなっていく。
春国の足の間に顔をずらして行った有雪は勃ち上がり、先走りで濡らしている春国自身には触れず、際どいところに口付けを落としていった。
その動きはもどかしい。もっと他に触れて欲しいところがある。
「あっ、あ、あん」
腰を揺らすと、濡れた春国自身が有雪の頰に当たる。
有雪はにやり、と笑った後、そのまま春国自身を咥えた。
「あっ、待って、あ、ゃ、あぁっ」
かっこいい有雪が春国の陰茎を咥えている。その視覚的な暴力に耐えきれず、思わず目を瞑ると、舌の動きや口内の感触がより鮮明になってきた。
口淫などもちろんされたことはない。
「で、出ちゃ、うぅ、離してっ、やだぁ」
春国のお願いは聞き届けられず、有雪の口の中へ盛大に射精してしまった。
「いっぱい出たな」
深い射精感にまだ意識が返って来れていない。仰け反らせた腰はびくびくと震え、空気を取り込むように口は大きく開けたままだ。
「だ、出して……汚い……」
「もう飲んだ」
かあっとまた顔が熱くなる。咥えられ、舌や口内で自身を愛撫されただけでも気が遠くなるほど恥ずかしかったのに、その上、射精したものを飲んだ、と言われ、もう気絶しそうだった。
「気持ちよかったでしょ?」
「ひゃ、ひゃい……」
返事するだけで精一杯だと思ったが、気持ちよくなったのは春国だけだ。春国は有雪自身にすら触れていない。もう少し春国が頑張らなければ、性行為にはならないだろう。
今からしようとしている行動を考えると、死ぬほど恥ずかしい。
「あ、あっくん」
ぷるぷると震えながら、春国は足を開き、片膝を持った。
有雪の目の色が変わった。今、春国は有雪に全てを晒している。射精したばかりなのに淡い茶色の草叢の中で半勃ちになっている春国自身、きゅと上にあがっている双球、愛液で濡れそぼり、ひくひくと開閉を繰り返す後孔。
「全部、あっくんのものです……好き、にしてくだしゃ……さ、い」
自分で言ったセリフが恥ずかしすぎて、また目を瞑ってしまう。
「……春国」
名前を呼ばれ、春国は恐る恐る目を開ける。
有雪の顔が目の前まで迫ってきていて、春国は驚いた。
「あんまり煽らないで」
有雪はそれだけ言うと、やや乱暴に口付けた。先ほどとは違い、春国の反応を見ながらの口付けではなく、貪るような口付けである。最初驚いたものの、春国はだんだん溺れていった。
夢中で口付けに応えていると、濡れた後孔に指先が触れられ、様子を探るように浅い入り口付近に指が含まされたのがわかった。
「ん、んぁ、あぁ、ふぁあ」
「痛くない?」
こくこく、と首を縦に振る。痛くはないが、違和感が凄まじい。ゆるゆると抜き差しされると、水音が漏れてきた。
「すごい濡れてる、嫌な感じはしてなさそうだね」
触れられるのは嫌じゃない。だが有雪はどうなのだろう。今、春国は有雪から愛撫を受けるばかりで有雪の身体には触れていない。
「んっ、もうそこ、いいからっ」
「ダメだよ、初めてなんだから」
「しょ、こっ、だめぇ、変っ、やぁあ」
有雪が腹側のある一点を押さえたり、指でこりこりと擦ったりしている。
「ここが春ちゃんの気持ちいいところ、覚えるまでやめないよ」
「もう覚えたぁっ、やっ、ひぐっ、ぅあっ、あぐ、んんーっ」
強制的に無理やり上り詰めさせられる感覚はまだ怖い。自分が自分でなくなりそうな快感に身を任せるにはまだ経験が足りなかった。
行き過ぎた快感による怖さで涙が溢れてくる。我慢していると指が体内から引いていった。安心してほっと息をつくと、今度は二本の指を含まされ、春国は緊張した。
「また身体が固まってきたよ、大丈夫大丈夫、今、触れてるのは俺だよ」
「あ、あっくん、有雪、くん」
名前を口に出すと、幾ばくか落ち着く。
「そうそう、身体の力が抜けてきた。春ちゃんはいい子だね」
二本の指が引き抜かれた後、次は指が三本揃えて入れられ、中をゆるくかき混ぜられる。
ぬちゃぬちゃと水音がし、尻たぶの方にまで愛液が垂れていた。
「あっ、ふ、あ、あっくん」
「んー?」
「は、入りそうですか?」
さっきから射精したり、気持ちいいのは春国だけだ。有雪は痛いほど勃起させながらも、我慢強く春国の身体をいじることに専念している。
「焦らなくてもいいの、時間はまだあるし……」
「嫌、はや」
春国は急いで口を押さえた。
自分は今、何を言おうとした?
『婚姻の儀』は快楽に溺れないことを証明する儀式だ。だから発情期に開催され、尊種の神官たちと性行為をする。
「春ちゃん? 固まってどうしたの?」
春国は、有雪に挿入をねだる言葉を言おうとした。
そんな言葉を言ってしまったら、快楽に屈したと判断されてしまうだろう。いや、むしろもうそんなことを考えてしまった時点で失格なのかもしれない。
じわりと涙が滲む。
「わ、私はもう、神子にはなれにゃ、な、い、かもしれません……」
「な、なんで……」
「快楽に耐えなければな、らないのに、私は浅ましくも、挿入を、ね、強請ろうとしてしまいました……」
沈黙が流れる。素直に思ったことを全て打ち明けた春国は有雪の顔を見ることができなくて、自分の手で顔を覆った。
「あっくんとせっかく触れ合っているのに、うぅ、こんなに、きもちいいのにぃ」
また涙が溢れてくる。春国の本意としては、大好きな有雪とどんな形であれ、心を通わせ、身体を繋げることができたのだから、思うままに与えられるまま、快感を享受したい。だが、今は有雪と思うままに行う性行為ではなく、あくまで儀式としての意味合いが強い。しかもその儀式では快楽に溺れることは禁忌とされていた。
「俺が相手だから、我慢できないかもってこと?」
「は、はい……」
しくしくと涙を零しながら、素直に頷く。しかも抱いてほしい、と言ったのは春国だ。
「そうだね春ちゃん、これは儀式だから我慢しなきゃいけないね」
つかまって、と腕を取られ、抱き起こされた。
有雪の言葉にはどこか意地悪な雰囲気が感じ取られたが、春国は何も言えなかった。
「挿れて欲しいの?」
「ぁ、か、噛むのは、はぅっ」
「噛んでないよ、舐めてるだけ」
春国は膝立ちになり、有雪の腰を跨いでいる。有雪の眼下には無防備な白い喉元が晒されていた。
有雪は軽く喉元に吸い付いたり、唇で柔く食んだりするだけだが、時折歯を立てるのでその感触が怖い。
有雪から与えられる刺激に気を取られていて、有雪自身が後孔へ当てられていることに春国は気が付かなかった。
「んっ、あぇ、入って……」
「ほら身体の力を抜いて」
「んっ」
綻び、濡れた後孔へ猛った有雪自身が入ってくる。身体の中心が割り開かれていく感覚は初めてで、圧迫感が勝っているはずなのに、腰の奥が甘く疼き、春国はまた口を押さえた。
身体の中でどう感じるのか、心の中でどう思おうのか、他人にはバレないものの、声に出したり、口に出せばわかってしまう。
「くっ、春ちゃん、締めすぎっ……もうちょっと力抜ける?」
「んんっ、んーっ」
鼻に抜けた声で返事をする。口を開けば何を言ってしまうかわからないからだ。
堪えきれず、尾がばたばたと揺れている。何か興奮している時の春国のくせだった。
頼む、尻尾も身体も鎮まってほしい。
そう思うと余計に身体へ力が入ってしまった。
「ほら大丈夫だから、安心して、何も怖いことなんてないから」
「で、でも、こ、婚姻の、儀、だから……、ちゃんと我慢しないと、神子に、なれなっ、あぁっ」
「動くよ」
腰を掴まれ、固定される。動く、と言われ、どうすれば良いかわからず、ひとまず有雪に抱きついた。
「あぁっ、あ、あ、だ、だめっ、んーっ、んんっ」
律動に合わせて有雪の湿った息遣いが耳をくすぐる。
身体の奥を容赦なく突かれ、春国は目を白黒させた。触れている部分はどこかしこも熱い。特に繋がっている部分はそこから溶けてしまいそうだ、とも思った。
「どう? 気持ちいい?」
その質問に気持ちいい、と答えそうになり、春国は頭を横に振る。
しかし有雪が浮かない顔をしたので、春国は言い方を変えた。
「あぅ、ちがっ、お、溺れるほど、ではっ」
本音を言えばものすごく気持ち良いし、快楽に身を委ね、本能の赴くまま有雪を求めてしまいたい。
否定してしまったが、身体も心も溺れる寸前であることを春国は理解している。
「ふうん、まだ余裕がありそうだね」
「よ、余裕なんて……ありませっ、あ、あぁ〜っ」
春国の返答のせいで機嫌を損ねてしまったようで、有雪は無言で春国を押し倒した。腰のところに座布団が来るように調整される。そうすると身体の中で当たる位置が変わり、春国は背を仰け反らせた。
「尻尾は? 痛くない?」
「い、痛く、にゃい、ですっ、ぅ」
押し倒された時、タイミングよく足の間に垂らすことができた。有雪も踏まないよう、気をつけてくれたおかげで、身体の下敷きになっているということはない。
律動がまた再開された。今度は春国に抱きつかれていないため、動きに制限はなく、有雪は大きく腰を動かしている。
「ん、ぁ、そこだめっ、いやっ」
「だめとか、嫌とか、注文が多いなぁ」
笑いを含んだ声に春国は赤面する。
「じゃあどうやったら春ちゃんは納得するの? ほら、教えてよ」
律動が止み、軽く腰を揺すられる。
「んっ」
どう、と言われても、性的な行為に疎い春国にはわからない。
「快感に溺れない、行儀の良い性行為ってやつを春ちゃんが教えてよ」
「そ、そんなの、知りませんっ、ひっ、ああっ」
先ほどまで触れられていなかった春国自身を掴まれ、上下に擦られる。先走りと、後孔からの愛液で有雪の手は滑り、痛みはない。
果実のように赤みを帯びた先の方を重点的に攻められ、自然と春国の足が曲がる。後孔に埋められたままの有雪自身を締め付け、つま先が丸くなった。
性的な絶頂へ達する時、春国は身体を丸めようとする。快感を我慢して、体内に抑えようとするからだった。
今も自身に触れられ、絶頂に達しようとしているものの、それを我慢している。先ほど有雪の口淫でわけもわからない内に達してしまい、今度はそうはならないように努めているのだ。
そんな春国の様子を感じ取り、有雪は優しく声をかけた。
「春ちゃん、快感に溺れない性行為なんて無理なんだよ」
無理じゃない。現に青炎さまは快楽に屈せず、怪物を倒し、国に春を取り戻し、死んでいった。
「無理では、ありませっ……」
「春ちゃんは誰としてるの?」
「あ、あっくん、有雪くん……」
「そう、俺も春ちゃんとしてる、愛しくて、可愛くて、美しい春ちゃん」
額に口付けられた。そのまま瞼、鼻筋、頬、唇にも軽く。
「発情期に大好きな人とまぐわいあっているんだから、気持ちよくて当たり前なんだよ。生贄みたいな形で捧げられた青炎が憎い相手と、例え発情期にまぐわっても快感なんて得られるはずがない。青炎は怪物のことなんか好きじゃないんだから」
諭すように優しく、言葉を選んで話す有雪の思いは春国の頑なな心を溶かしていく。
震える唇で、春国は話しかけた。
「わ、私、気持ちよくても……良い、んですか? 怒られませんか? はしたない神子だと呆れられませんか?」
「知らない神官たちの前で、初めてなのに乱れまくったらそりゃあ淫らだの、はしたないだの、と言われるかもしれないけれど、春ちゃん、相手は俺だよ」
そうだ。ずっと好きだった有雪が相手だ。口付けも、口付けのその先も全て有雪が良かった、と渇望していた。
だから気持ちよくても良いんだ。
「まあ別に好きじゃない相手と性行為をして気持ち良くなってもいいんだけど、その話はまた今度しようね」
春国は返事の代わりに自分から有雪へと口付けた。それに何か言いかけていた有雪も応えてくれる。
口付けに夢中になっていると、腰の律動が再開された。有雪は春国の顔の横に手をつく。今度は容赦なく、春国の最奥目掛けて、有雪自身の切っ尖が体内をわり開いていった。
春国自身は春国の腹と有雪の腹の間でもみくちゃにされ、それすらも不規則な快感となり、すぐさま絶頂へと押し上げられていった。
「あぁ、来ちゃっ、あ、あ、あ、あぁん」
「俺も、はっ」
一際強く、最奥を突かれ、春国は息が詰まった。そのままぐりぐりと押し付けられ、程なくすると、熱い迸りを体内に感じた。
それを自覚すると、春国も身体を震わせ、絶頂へと達し、濡れた自身から白濁を腹へとぶちまける。
二人とも絶頂に達し、無言になった。荒い息遣いで呼吸を整えようとする。
「気持ちよかったか?」
「はい」
今度は否定せず、素直に頷いた。春国にとって初めての性行為だが、この行為がこんなにも満たされるものだと初めて知った。
でもそれは相手が有雪だからだろう。神官たち相手に性行為を行っても、このような充足感はきっと得られないはずだ。
「あっくんは……どうでしたか?」
「よかったよ、最高だった」
「嬉しいです、んっ」
射精を終え、萎えた有雪自身が引き抜かれる。こぽりと音を立てて、愛液と精液の混じった生ぬるいものが少し溢れた。
そして再び口付けを交わす。これは合図もなく、どちらともなく近づき、唇が合わさった結果であった。
有雪も口付けがしたいと、同じ思いでいたことが嬉しくなる。
お互いに入ってきた舌を甘く噛んで、相手の反応を見たり、わざと強く吸い付き、驚かせたりと、戯れのような口付けを交わし、最後にはお互い見つめ合い、笑い合って、軽い口付けをした。
「春ちゃん、まだ発情期は終わってないよね?」
有雪の言わんとしようとしていることはよくわかる。
射精して萎えていた有雪自身が再び勃ち上がり始めたのが見え、恥ずかしくなり、春国は目を逸らした。
「いや、もう終わってしみゃ、みゃ…」
「うん、まだ終わってないね」
背中から抱き起こされ、春国は有雪の膝の上に座らされた。
尻に有雪自身が当てられており、狭間に何度も擦り付けられている。少し腰を落とせば入ってしまいそうな雰囲気に気が落ち着かず、そわそわとしてしまった。
「もっかいしよ、けどその前に」
「あ、もうっ、わっ」
有雪は春国が落ち着くまで静かに抱きしめてくれていた。
「春ちゃん、結婚しよう」
「は、ぇえっ?」
有雪の胸の中で小さく抱きしめられるまま、縮こまっていた春国は思わず素っ頓狂な声をあげて上を向いた。
結婚? 神子はそもそも結婚できないだろう。何を思って、そんな突拍子もないことを言い出したのか。
けれど怒る気にはなれなかった。
「お気持ちは嬉しいですが……」
無理ですよ、とは言い難く、春国は口籠る。
「次の神子候補が見つかったんだ、あと五年もすれば成人する」
それは初耳だった。神子は次の神子候補が見つかり、その神子候補が成人すれば代替わりとなる。
代替わりとなれば春国は自由に生きていける。神官として神社に残ることもできるし、下に降りて何か商売を始めた神子もいた。だが、神子候補というものはなかなか見つからない。あと五年後に成人する神子候補、という存在はかなり貴重で、本来ならば喜ばしいことだ。
けれど春国はまた浮かない顔をした。
「新しい神子候補の彼は承知しているのでしょうか、このような儀式があることを」
春国は何も知らず、婚姻の儀に臨んだ。そして傷つけられ、紆余曲折を経て、最終的には有雪と出会えたものの、何も知らない処女の奉種が行うにはあまりにも心身の負担が大きい。
「そこなんだけどさ」
有雪は真剣な顔をして、春国を見つめている。弱い風が吹き、春国は寒さを感じて身体を振るわせた。
「儀式や神事の見直しをしないか」
有雪の言葉に驚き、春国は何度も瞬きを繰り返す。
それは考えたこともなかった。
「そもそも山奥に神子一人だけで放置しておくだけでも危険なわけだし」
有雪は腕の中の春国をきつく抱きしめる。
「俺と春ちゃんで古文書や古典を解釈し直すんだ。新しい儀式が追加されるかもしれないし、古い儀式は廃止されるかもしれない、簡略化できるものは簡単に済ませて、誰も傷つかない、次代へと続いていける信仰を目指そう、それで全てが終わり、無事に春ちゃんが神子を引退したときには、俺と結婚してくれ」
「喜んでっ」
ここまで考えてくれていたのなら断る理由が思いつかない。春国も有雪にきつく抱きつく。
「私も、あっくんと結婚したいです、あっくんと神社を共に変えてゆきたいです」
「良かった」
返事した有雪の声は少し震えていた。
風が吹いたときに覚えた寒さは徐々に消え去っていく。
不安はある。自分と有雪にそこまでの手腕があるかどうか、と問われれば、あると断言はできない。
だが、春国はここで諦めたりしようとは思わなかった。
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