1. はじまりは唐突に

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1. はじまりは唐突に

「あんた、俺をからかってるのか⁈」  こんな場面で、こんな小娘相手に声を荒らげるのが大人げない上に、周りの連中に示しがつかないとわかってはいたが、それでも止まらなかった。 「からかっているつもりはない」 「あのなあ……」 「ここは海賊たち御用達の酒場で、出入りする女性はほぼ全員が彼らの相手をすることを生業としていて、ここの二階は宿屋になっていて『そういう目的』のために使われている。そうだろう?」  なおも言いつのろうとした彼の言葉を遮って、目の前の少女はごく冷静に、だがどうやってもその見た目に似つかわしくない口調でそうのたまった。 「そして私はまとまった金が必要な理由があり、あなたはいかにも羽振りがよさそうだし、外見も好ましい。ゆえにあなたに私を買って欲しい、とそう言っている。それがそんなにおかしなことか?」 「……『買う』の意味、本当にわかってんのか?」 「古風に言えば春を(ひさ)ぐ、もっと有り体に言えば、金銭と引き換えに、あなたに抱かれる、ということだろう?」  (けぶ)るような淡い金の髪と、真っ直ぐにこちらを見つめてくる真昼に船の上から眺める深い海のような碧い瞳。線は細いがゆったりとした服の上からでもはっきりとわかる柔らかな女性らしい体つきは十分に男をそそるだろう。今はまだ若さが匂い立つようだが、あと数年もすれば絶世の美女と呼ばれるようになるのも想像に難くない。  対する彼はと言えば、無造作に伸びた長い黒髪に灰色の双眸(そうぼう)、無精髭まで蓄えたただの船乗りだ。長身と鍛えた体躯のおかげでそれなりに女にはもてるが、どう見ても品の良さそうな、それも下手をすれば歳も十は離れていようかという目の前の少女に声をかけられるような心当たりはなかった。  思わず絶句して、だがようやく彼は、いつもは賑やかすぎて隣の声ですら聞き取りにくいこの酒場内が、しんと静まり返り、誰もが目の前の少女に注目していることに気付いた。単純な好奇の眼差しはもとより、それよりはるかに危険で下卑たものも。まずい、と思うまもなく、少女の肩に無骨な手がかかる。 「お嬢さん、そんな奴ぁほっておいて、俺と、どうだい?」  舌舐めずりせんばかりの声に、少女がわずかに片眉を上げて、自分の肩にのせられた手に目を向け、一呼吸置いてから、その手の持ち主を見やった。海のように凪いでいた眼差しが、凍つく氷に変わったように見えたのは気のせいだろうか。次に来る展開に備えて思わず身を強張らせた彼の予想とは裏腹に、少女は表情を和らげ、穏やかな声で闖入者に声をかけた。 「ありがとうございます。この酒場を紹介してくれた人は、危険な人物が多いが根は皆良い方ばかりだと言っていたが、本当のようだ。こちらの方との話し合いがまとまらないようであれば、ぜひお願いします」  花のように可憐に微笑まれ、下卑た表情を浮かべていたはずの男も毒気を抜かれてぽかんと見惚れている。それを見計らったかのように少女はすっと身をかわして立ち上がり、彼の真横に近づき耳元に口を寄せた。 「さて、あなたが私を買ってくれないとなると、私はあの男に身を委ねるしかなくなるようだ」  それだけ言うと、先ほどよりもさらに無邪気な微笑みを向けてくる。何をどうしてこの少女が彼に目をつけたのかはわからない。だが、ここは先ほど彼女が言ったような安全な場所では決してない。そして、確かに彼が断れば、これ幸いと先ほどの男が手を伸ばしてくるのは間違いない。ある意味、彼女の運命は彼が握っていると言って過言ではない。というよりは、握らされていると言うべきか。  長い航海を経て久しぶりに馴染みの島に戻ってきたばかりだというのに、何故こんな厄介事に巻き込まれなければならないのか。天を仰ぎ、それから彼はおもむろに少女を抱き上げた。 「本当に後悔しないんだな⁈」 「何しろ初めてなので、後悔するかどうかもわからないな」  絶世の美少女から次々と投下される、火に油を注ぐような言動をこれ以上周囲の野獣共に聞かせるわけにはいかない。彼は深いため息をつきながら、一晩の宿代を店の親父に放り投げると、そそくさと階段を上がった。  少女を抱えたまま一番奥の扉を開き、そのまま寝台に放り投げる。念のため、貧弱ながらも一応は設置されている扉の鍵を締め、腰に下げていた剣を鞘ごとはずすと、寝台に横たわったままの少女をまたぐように覆いかぶさり、頭の両脇に肘をついて首元に顔を埋めた。真っ白な肌はきめ細かく、しみひとつない。ほんのわずか、どこかで嗅いだことのある花の香りがする気がしたが、定かではなかった。  柔らかい肌と香りは、かれこれ数ヶ月も女ひでりだった男の本能に容易に火をつける。反応した男の部分に、それまで平静だったはずの少女が驚いたような目を向けてきたのを見て、頭の奥がスッと冷えた。だが、このまま引き下がるのも癪な気がして、彼女の脚を自分のそれで押し開き、証を押し付ける。 「あんたが望んだのはこういうことだぜ?」  自分でも思った以上に熱のこもったかすれ声に驚くとともに、少女の目元がわずかに朱に染まるのを見て、冷えたはずの頭に血が上る。衝動のままに、少女の顎を捉え、深く口づけた。無意識にか逃れようとする身を脚で押さえ込み、両手で顔を押さえて舌を絡めると、びくりと怯えとも快感ともつかない震えが伝わってきた。  顔を上げ、目を合わせると、少し潤んだ、それでもひどく静かな視線が返ってきた。 「何やってんだ、俺は……」  子供相手に、と頭をかきながら身を起こそうとすると、不意に腕を掴まれた。 「やめないで」 「……何⁈」 「お願いだ」  ぶっきらぼうな口調には、それでも切実な響きが隠しようもなかった。眼差しにも微かな怯えと、それでもすがるような光が浮かんでいる。 「あんた一体……」 「私は運命からは逃げられない。ならせめて、自分で選べるものは選び取りたいんだ」  運命、とずいぶんと大袈裟な言葉は、だが笑い飛ばすには相手が美しすぎたし、眼差しが真剣すぎた。そして、男としてこれ以上何が選択できただろうか? 「今だけでいいんだ。私を、抱いて欲しい」  熱っぽい声と瞳で誘われて、抵抗できる理性は、彼にはもう残っていなかった。
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