【瞭】

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 隣の部屋のドアが閉まる音が聞こえると、やっと彼の手から解放された。 「り……」  また声を上げてしまいそうになる私に向かって、瞭は人差し指を口に当てる。  ドクンと胸が高鳴った。  さっき彼に触れられた唇が、じんじんと焼けるように熱い。 「……絵のこと、誰にも言うなよ」  彼は小声で言った。  私はこくりこくりと何度も頷く。  画用紙には、鉛筆のデッサンで大きな鉄格子の扉と、その前に佇む、マントを羽織った王様の絵が描かれている。  “王様シリーズ”のワンシーンであることが、すぐにわかった。 「すごい……」  どれだけのあいだ見惚れていたのかわからないくらい、私は身体から魂が抜けたようにその絵に没頭していた。  瞭は慌てた様子で、「もう見んな」と言って画用紙とイーゼルを片付けてしまう。 「どうして秘密にしているの?こんなに素敵なのに」  片付けている瞭の耳が真っ赤になっていることに気付いた。 「……下手だからだよ。慧に比べたら」  確かに技術的には慧さんの方が上だと思う。それに、絵の持つ雰囲気が二人とも対称的だ。  審美眼のような瞳でものを捉え描き出す慧さんの絵に対して、瞭の絵は、自分の中にある想像力を外に放出しているみたい。  どちらの絵もずっと眺めていたくなるほど美しく、愛に溢れている気がした。 「座れば?」  そう言ってデスクチェアを促してくれる瞭に面食らう。すぐに追い出されると思ったのに。  彼はベッドに腰かけると、おにぎりを頬張り始めた。 「……今日は、悪かった」  なんの話をしているのか、すぐにわかった。  彼に非はほんの少しもないのに、気に病ませてしまうことが苦しかった。 「……絵もそうだけどさ、俺は慧より劣ってるから、お前のことも、慧のように守れない」  切なげな顔で目を伏せる瞭に目を奪われる。  彼は慧さんの言いつけを守れない自分に嘆いているのに、それでも私のことで瞳を曇らせる彼に胸を熱くさせてしまう自分が、とても滑稽で、とても浅はかに思えて辛かった。 「ねえ、あの手紙……」  小声で瞭に問いかける。 「ずっと書いてくれてたの、瞭なんでしょ?私、あの手紙を読むのがすごく楽しみだった。心の支えっていうの?あれがあったから、今まで前向きに生きてこれたのかもしれない。ちゃんと、お礼言えてなかったから……」  はにかんで微笑みかけても、彼は笑い返してはくれなかった。  それどころか、まるで慧さんのように、冷たい怒りのようなものを目の奥に潜ませている気がした。 「瞭……?」 「バカじゃねーの?……あんなもん、子供騙しの偽物だよ」  まるで固めた砂をぎゅっと握った時のように、心がぽろぽろと脆く崩れていくのがわかった。 「適当にネットでそれっぽい言葉を見つけてコピペしてただけの紙切れだ」 「なんでそんなことまでして……」  だったら、手紙なんて送ってくれなくてよかった。ぶつけようのない悲しみと怒りが、涙に変わり静かに頬をつたう。 「それが俺の役目だったからだよ。お前を金銭的に支えるのが、慧の役目。精神的に支えるのが……俺の役目だった」  役目という酷く無機質な響きが、ますます私を追い詰めた。  瞭は立ち上がると、涙を拭う私の手を強く掴んだ。 「泣くな。お前が泣くと心臓に悪い」  苦しそうな目をする瞭。それも慧さんに責められるから?  悔しくて手を振り払おうとするけれど、彼の力には勝てずに強く握られるばかりだ。 「もうやめて。どうしてそんなことをするの?私が憎いんでしょう?嫌いなんでしょう?」  だったらいっそ、出会わなければよかった。私のことなど放っておいてくれればよかったのに。  瞭の左手は私の頬に触れ、ゆっくりと涙を拭った。  苦しそうな、でもじっとりと熱を帯びた瞳に、予感通り、ついに私は囚われてしまったのだった。 「そうだよ。憎いよ」  瞭は顔を近づけて言った。 「俺達は、憎らしいくらいお前を愛してる」  息が止まりそう。  目を見開いた私の唇を、彼の柔らかな唇が塞いだ。  目の前の世界が、一瞬にして全く別のものになってしまったような感覚だった。   「受け入れろ、紗良。それが、お前と……お前の母親の罰だ」  
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