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案内された信さんの部屋は、リビングから一番近い、一階にある部屋だった。
この洋館には珍しく、畳のある和室だ。
ふと、昔母と二人で住んでいたアパートの部屋が蘇り、懐かしさを覚える。
信さんらしい、とても清潔で温かみのある空間に、さっきまで張りつめていた心身が少しだけほぐれていくのを感じた。
「見せてみて」
引き出しから絆創膏や消毒液を取り出すと、すぐに傷の手当てをしてくれる信さん。
その真剣な眼差しを見つめ、再び母の面影と重ねた。
信さんがお母さんだったらどんなに幸せだっただろう。
そんなことを思いかけて、心の中で首を横に振る。
違う。私はあの母が良かったのだ。
生前の母は見惚れてしまうほどに美しく、それは外見のことだけではなかった。
とても優しく、真っ直ぐで、私のことも大切にしてくれた。
記憶は薄れていっても、写真や私に残してくれたたくさんの手紙を見ればわかる。
私は母を愛していた。それは今も変わらない。
「信さん、」
静かに呼びかけると、彼は穏やかに私の話を聞く準備を始めた。
「さっき言ってくれた、……私が許したら、誰かが救われるって話」
「うん」
「お母さんもそうだったらいいなって思います」
「……お母さん?」
「はい」
うまく笑えているかはわからないけど、口角を上げて信さんを見た。
そして、信さんに重ねて母のことを見つめた。
「お母さん、十年前に自殺したんです。……この地で。近くに大きな川があるでしょ?あそこに身を投げて死んでしまったんです」
信さんが青ざめた顔で私を見ている。
こんな話を聞かせてしまうのが少し申し訳なくなりながら、それでも私は続けた。
いずれ今日、慧さんと瞭にも打ち明けるつもりだから。
「私ずっと、母は一人で亡くなったと思ってたんです。でも、そうじゃなかった」
「紗良ちゃん、」
「きっと……ううん、間違いなく。母はこの館の主人と一緒に命を絶ったんです。おそらく心中でしょう。愛し合っていたんだと思います。そのせいで……二人のお母さんも……」
母は人として許されないことをした。
そのせいで、多くの人を傷つけた。
償っても償いきれないことだと思う。
だけど私は、私だけは母を許す。
母の気持ちが理解できてしまったから。
私も、恋を知ってしまった。
「……違うっ」
突然、信さんは力強く私を抱き締めた。
さっき刻んでいた玉ねぎの匂いがうっすらと香った。
彼はこちらがびっくりするほど、肩を震わせながら泣いている。
「違う……違うんだ。……ごめん」
「信さん……?」
「ごめん……僕のせいだ……ごめん」
どうしてそんなことを言うのかわからずに、ただ信さんの背中に手をまわして抱き返すことしかできない。
玄関から物音がして、私達は身体を離した。
微かに森野兄弟の声がする。
____審判の時だ。
「……私、行かないと」
「待って紗良ちゃん!」
引きとめる信さんに頭を下げると、部屋を出た。
リビングから声が聞こえ、深呼吸をしてノックをしようとしたその時。
「冬になる前に、魔女狩りを終わらせないと」
慧さんの低い声が、侵食するように身体中を巡った。
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