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Report.1
ダブルベッドの上では、今日も背中合わせをした二人が横になっている。LEDの照明に棚までついたそこには、トオルが実家からもってきた漫画本などが置いてあり、今や、ペラ……ペラ……と間隔を置いた紙のめくる音が室内には響いている。
未だ慣れぬハルカが、トクントクンとした自らの胸の鼓動を衣越しに感じるなか、当初こそ戸惑いこそすれ、たまに鼻歌も口ずさむトオルは、すっかり我が物顔といったところだ。そして、
「よいしょ……」
などと、呟くとベッドは揺れ、ゴトリとした木製のものが動く音がしたと思ったら、ミュートした音量でもって、ギターのつま弾くサウンドが、寝室に広がっていく。
そのなんとなくの無意味な言葉の羅列でもって、コードを探すようにしながらメロディーを紡ぐスタイルが、ハルカ自身、聴いたことのないフレーズならば、
「あら、新曲?」
と、思わず、振り向いてしまった。
トオルは胡坐を組んでギターを構えていると、
「うん。ちょっと、いい感じだと思うから……ICレコーダー、どこやったっけ?」
「ん、それなら、ここに」
そして、トオルの問いかけに即座に対応できるのも、ハルカならではといってよかっただろうが、それは、即座に思い出したトオルの、「そういえば、そこだ」などという言葉とシンクロしてしまえば、二人の手は、ベッドの一角の棚の箇所で重なってしまった。
途端にこうなってしまえば、互いの空気は紅潮してしまい、「あ、ごめん」などと、トオルの方から慌てて手をひっこめる始末である。ハルカは、流し目をして、レコーダーを渡した。
もう一度、ハルカが、背をむけるなか、トオルは、ギターと声でもって、レコーダーに新曲の素材となるものを吹き込んでいる。そして、ボソリと、
「はぁ……ライブしてぇな」
と、呟いた。
この刹那、ハルカにとってみれば、とてもやりきれない感情がうごめいてしまう。
数度の瞬きで空気を見つめた後、彼女が言ったことといえば、
「……時間、うまく、つかえば、またできるわよ」
と、いうものだった。
トオルは苦笑のようなものをしたかもしれない。ただ、「や~、しばらくは無理だろ~」などとも続けると、ハルカは、振り向きたくなる心境をこらえるのに必死だ。そして、
「……明日も早いですしおすし、じゃあ、寝ますかねー」
一通りのことが終わったらしいトオルは、自分の寝る側に置かれているギターフォルダーに、自らの得物を安置しようとしていて、その声は、思いっきりあくびなどをしながらな様子だ。
「……消すわよ」
こうして、ハルカの一声とともに、室内は真っ暗となっていく。たまに、スンとした鼻から通る息などがどこからともなく響くなか、
「……俺、やっぱ、居間のソファとかでいいよ?」
とは、この状態になってから、何度かトオルがもちかけてきた自分の寝る場所についての提案である。
「長官の話、聞いてたでしょ? 私には『観測』の任務が与えられてるの。こうするほかないじゃない」
それは新年をむかえ、特務庁にトオルが入庁した後、E階層の一角の、長官、副長官と並ぶ眼前にて告げられた、ハルカに対する任務であった。
相変わらず、机上で両手を組み、眼鏡の向こうはギョロリとした長官であったが、いよいよ「後継者」が自ら志願したことに、悪くもないといった様子も感じとれる、それは決して春がきたことへの高揚感があったわけでは決してなかった。ただ、
「ええっ! トオル……長瀬と二人で、ですか?!」
「親父……」
彼らが組まれたバディのミッションのひとつが、要するに特務庁宿舎にあるハルカの部屋にて、共に共同生活をすること、だったのだ。驚くハルカの隣では、トオルが苦笑を隠せない。
「そうだ。言った通り、長瀬は、これまでにない、対異星種最遭遇者だ。既に同盟国だけではない箇所に情報は動いている。五代は、研修の他に、この最遭遇者の護衛と24時間体制による観測を担ってもらう」
「はっ!……で、ですが、お言葉、なのですが……」
「親父~あのね~……」
「二人で暮らしたこともはじめてではないだろう。これは決定事項だ。班長は検体の反応を粒さに観測しろ。報告は、全て副長官を通せ」
「だからね~おやっさんね~」
「長瀬、ここは職場だ。我々は親子ではない。私のことは長官と呼べ」
そしてギロリとした眼は、またも、物言いに誤解も与えかねない視線で、ヘラヘラとした自らの息子に冷たい北風でも放ったようだった。
ハルカは、それまでの彼らを知る故に、任務の動揺よりも、思わずトオルの反応の方が気になったりもしたものだが、つい、心配げに見つめた先では、切り揃えられた自らの髪などを軽くかきかき、「それもそっか……」などと、トオルは頷いたりしていて、
「……まあ、よろしくおなしゃーす。長官、副長官、あーんど班長さん」
と、ハルカの思いもよそに、真っ直ぐに白い歯を見せる始末である。
(変わったなー)
あの日、富士の樹海から戻ってきた同居人に、彼女が覚えた印象がそれである。そして、それは既に慣れぬ労働に明け暮れた疲れで寝息もたてはじめているようだ。
(ほんと、変わった……)
ハルカは、スマホを開いていて、トオルについての記録のために画面を撫でていた。ただ、それもしばらくすると、穏やかな夜の空気のなか、画面をオフにし、ふと、寝返りを打てば、その闇のなかの背中をじっと見つめながら、「おやすみ……」と呟く頃には、ハルカもうつらうつらとしていて、そのままに瞳を閉じてしまったのだ。
タイミングにはいたずらがつきものであったりする。なにか母性の奥底がくすぐられる感覚がして、ふと、次にハルカが目を開いたときには、トオルの頭部は、すっかりハルカの豊かな胸のなかに収まっていて、自らの腕が既に抱きしめてあげてるふうだったりすれば、慣れとは恐ろしいというものだったが、思わず赤面はしたものの、その腕のなかで、心地よさそうにしているいつもの顔があれば、つい、愛おしさが勝り、ハルカはそっと、トオルのカットされた髪を撫ではじめた。
更に、喉を鳴らす猫のようにしていたのはトオルであったが、その声が、「フラン……」などとむにゃむにゃとすれば、ハルカの乙女心はムッとするというものだ。
(……なによっ)
だが、その体勢は維持したままに、ハルカはふてくされて目をつぶった。
既に常人の感覚ではない研ぎ澄まされ方をしているのもハルカであった。ハッと目を見開いたときには、既にトオルの姿は自らの胸のなかになく、ただちに、それだけではない異常をも感じ取ったハルカは、枕元の銃すら手に取ると、音もなく駆け出したのだ。
ただ、そこにあったのは、ここ最近の、二人の暮らしのなかの異常だった。
今や、リビングでは、夜の都会の星空の窓を見上げたトオルが、どこの言葉なのかもわからないようなものを呟きながら、夢遊病者のようにしている。
否、それだけであったなら、自らの上司に提言したように、ハルカのいう精神的な症例、というのが妥当であったかもしれない。
ただ、キッチンにある食器類はガタガタと音を立てはじめていて、今宵は、本人が寝床変わりにするといったソファすら音もなく宙に浮かんでいる。
電源を消し切ったはずのテレビ画面すら勝手に点滅を繰り返すなか、ハルカは、「トオル―!」と、名を呼び、彼のことを取り戻そうとすることも最近のよくあることだった。
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