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翌日
こうして、今日も、まるでSF映画にでてくる宇宙船のような通路には、ハルカが立っていて、腕を組み、目の前にある、近未来すぎて無機質的ともいっていい自動ドアの一角を、心配げに見つめているのである。
やがて、そのドアは、音もあるかないかの速度で開くと、パッド端末を手にした白衣の副長官が現れるので、ハルカはすぐさま直立の体勢をもって、それに応じる。
副長官の眼鏡の向こうの視線は、そんなハルカをじっと、一瞬、見つめたが、
「もう一度、確認をしましょう。はいって」
「はいっ! 失礼いたします!」
そして、副長官に対し、改めて直立をもって応じると、ハルカは室内へと入っていく。
更に奥にあると思われる室内には相変わらずのブラインドがかかっている、PC等が置かれた、副長官のオフィスルームは、彼女が白衣姿であることも手伝って、まるで、医療室の雰囲気にも似ていたが、一角の座席では、相変わらず、トオルが、ホルスターに苦戦する姿をみせるなか、
「……で、今回は、あなたの部屋のソファも浮かんでいた、というのね」
と、ハルカが送ったメールの書面を、パッド状で確認しながら、副長官は構わず話しはじめる。
「はい。映像資料もあればよかったのですが……申し訳ありません」
もはや、その場で情が先行していたハルカにとっては、トオルの意識を戻すことで手一杯となっていた。
省庁に所属する人間としては、当然の職務まで間に合わなかったことに、ハルカは反省していたが、そんな彼女の態度には、なにも答えず、
「で、長瀬君が覚醒したと同時に、ソファは元の位置に戻った」
「はい」
「まるで、何事もなく」
「はい」
「途端に急落したとかいうわけではないわけね」
「はい。まるで、それまでが嘘みたいでした。食器類に関してもいつも通りです」
「一度、弾みでナイフが壁に突き刺さっていたことがあったわね。でも、それが元通りになったときと同じ?」
「はい。まるで、巻き戻しを見ているか、のような……」
「長瀬君」
そして、眼鏡の眼差しは、尚、ホルスターに苦戦している、ハルカの部下に向けられる。
「うぇ?」
「ちょ、副長官に、なんて返事の仕方してるのよ」
相変わらず、トオルはホルスターに苦戦し、ハルカが目に余る思いでいると、察した副長官が促してやれば、改めて礼をもって、ハルカは、自らの部下の元へと駆け付ける。
「今回も、あなたとしては、熟睡してた、というのね」
「はあ、まあ。いや、俺、また、立ったまま寝てたのかよ、みたいな?」
「ちゃんと、はい、って言って! 敬語!」
とうとう、トオルにホルスターを自分が付けてやりながらも、ハルカは厳しい表情で注意する。
「……以前に、テレビが勝手に点いたことがあったわね。そのときのような衝動は?」
「衝動って……だって、あんときだって、今って、番組、なにやってんだろって思ったくらいっすよー。いや、今回も全然、寝てましたし」
「テレキネシス……いや、それとも違う、なにか……」
そして、副長官は、端末の画面を、しばし、見つめては、なにかを考えるようにしていたが、やがて、PCの前に着席すると、
「引き続き、レポートと検査、これを繰り返すしかないわね。今回も情報の蓄積には、非常に有意義だったといえるわ。戻っていいわよ」
「……はい! 失礼します!」
「おつかれしたー」
今日も、ハルカにとってはあれこれ問いただしたい衝動をぐっとこらえるタイミングが訪れる。だが、とりあえず、部下の相変わらずな言葉遣いに、「こら」と言いつつも、自分の仕事に没頭しはじめた副長官を前にしては、退室せざるを得ない。
これら一連の流れもハルカたちにとっては、最近のルーティンのひとつとなっていた。かくして、今、二人は、ミレニアムはとっくに過ぎて久しいが、に、しては、過去に誰もが思った21世紀を、そのままに体現しすぎているような自分たちの職場の通路を歩き始める。
「ねぇ、トオル」
「んー?」
「その……検査、どうだった?」
「どうだった、って。いつも通りな感じだよー。なんかCTスキャン、っての? なんかそんな感じのが頭の周り、グルグルしたりしてさー」
「……そう」
それは、決して、副長官が、ハルカに見せることのない、トオルに施されるときに使用されるであろう機器類のある一室のことである。どんな処置が行われているかは計り知れないが、これからも同居人には改善の見込みはないのかという一点のみに置いて、ハルカの心は揺さぶられる。また、その度に交わされる言葉としての、「フラン・ファイル」というワードがよぎる度に、心のなかの夢想の領域には、赤い角の生えた乙女の姿が思い浮かんでしまい、女心は、つい、メラメラと燃えてしまう。
そんな横顔のことをトオルは知ってか知らずか、とりあえず、じっと見つめたりなどした後は、
「しょうがねーよー」
「なにがよ」
ムッとしたままにハルカが見上げれば、長身は、両の手を頭の後ろにしたりして前を向いている。
「なんせ、存在自体が秘密の組織だぜ? あれも秘密、これも秘密、とくれば、詮索なんて野暮なこと、って感じ?」
「…………」
最近のトオルの変化のひとつと言えば、聞き分けがいいということだ。
ましてや、本人の大好きな音楽のことなら多少の忍耐も有り得ようが、これは本人の大嫌いな仕事のことなのである。
樹海から帰ってきた男は、かつての笑顔はそのままに、まるで、急に精神的に成長したようだ。と、
「あっらー。五代さんじゃ、あーりませんかー」
という一声に、ハルカが、ふと我に返って、声のあった方を振り向けば、
「四谷課長!」
と、思わず声をあげてしまった。
「元気そうでなによりでござんす。お父さんもお母さんもその後、お変わりなーく?」
「は、はい! ていうか、課長、ここ、E階層ですよ?」
「そ・そ・そ。私、此処も兼任してるんでござんす。では、ごきげんよう」
こうして謎の男が去っていこうとしていると、その背を見るトオルの表情は、多少はムッとしていて、
「……誰、あいつ」
「こら! また! 私が以前いた第三一般課の、元上司よ」
「……ふーん」
「なんか、私のお父さんとお母さんと昔、知り合いだったみたいで……本人には内密にって言われてんだけど」
説明を続けながら、ハルカもふとよぎるのは、トオルに言われた通りの、この組織全体に蔓延している秘密主義の空気だ。
ただ、ひと昔前のトオルであったりすれば、その秘密の暴露にすら躍起になったかもしれないが、誰に似たのかそこまでの欲もないハルカであれば、その話はそれきりに、いよいよ自分たちに与えれたオフィスルームの一角に着くと、慣れた手つきでその自動ドアを開け、そこには、向かい合わせとなったディスクなどが真ん中に佇んでいたりすれば、
「ほら、無駄話は終わり。支度して、いくわよ」
などと、バディの方を見上げる。
「うい~」
トオルの相変わらずなとこは、ライブハウスの現場上がりが消えない物腰だろうか。
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