空を渡って

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空を渡って

「……て、いうか、やっぱ、合わねぇ」  並列された飛行機内の座席では、ゴウゴウと鈍い響きがそこはかとなく聞こえるなか、日本人離れした座高の低さ故に、早速、トオルが自分の座席に不満をたらたらにしていて、「これで十時間はマジきついってー」と続ける。  そんな姿にすぐ隣に座るハルカは、呆れるように、鼻でため息をひとつつき、 「あなた、グァムいったとき、このまま本国にまで渡りたいだとか、興奮してたじゃない」  と、かつての思い出でもってなだめるようにする。 「仕事と旅は別腹だろ。てか、親父もケチじゃね? なんでエコノミーなんだよ。こういう場合はビジネスクラスだろ」 「あのねー。どこで誰が見てるかもわからないのよ? これはカモフラージュ。あなたもそれらしく振る舞って」  ハルカが言う通り、今、二人は完全な私服姿で、外見でみれば、そこらあたりのアラサーカップルといった具合で、彼らのスーツ姿といえば、今頃ケースにしまわれ、貨物室のなかに佇んでいることだろう。  ただ、自らの座席に設えられた台の上にある、粗末な機内食のメニューを食器で転がしたりしているトオルは、 「誰が見てるっていうんだよ……」  と、なんともいえぬアイロニカルといった雰囲気だったのだが、 「……見てるわよ」  唐突に、彼に近づいたハルカが耳元で囁くようにすれば、若いころと何一つ変わらない、甘い香りが揺れ、思わずドキリとしたトオルが彼女に視線を移したが、その表情は、いつにもましてプロ、といった横顔で、 「……おそらく友邦、でしょうけどね」 「え、なら、MIB?」 「しっ! だから、誰が聞いてるかわからないって言ってるでしょ?!……なにも、真相に近づこうとするのは、国だけじゃないわ。ライターの地獄耳もバカにできない」 「て、てか、ほんと、ハルカ、ガチでそういうとこ、すげくなったよなー。トムクルーズの女版の映画できそう」 「なによ、それっ……まあ、敵陣だとしても、一般人もいるこの機内で何かをしてくることはないでしょ。あなたもなるべく移動は避けて」 「移動、避けて、って……え、トイレは?」 「なるべく、いかないで」 「えーーーー?!」  こうして、トオルの悲鳴も闇夜に消えるフライトは北太平洋をこえていき、ロサンゼルス空港に降り立つ晴天の頃には、それまで窓からのぞくと見慣れぬ雄大な山々の風景にはしゃぎ、自分は夜と朝の丁度真ん中辺りを通るのもこの目にした、などと、興奮気味に語っては、着陸前の機内食がシンプルでもご機嫌、といった長身だったのだが、早速、時差にやられた惰弱な体質は、とうとうこみあげてくるものに叶わず、今や、駆けこんだトイレの前にて、ハルカはキャリーバッグを手にしては壁によりかかり、半ば呆れたふうにしながらも、周囲への警戒は怠らない、と、いった具合だ。  間もなくして、フラフラとなったトオルが現れると、「……いそぐわよ」と、腕時計の表示も気にしたハルカがサングラスを瞳の上に覆い、同じようにすることをトオルに促す。  ガラガラとさせたバッグを共に付き添われながら、こうしてイグジットを出る二人には、西海岸の、もはや、すっかり夏といっていい、陽気な日差しが注ぎ込み、初めての本土に、行き交う車の大きさの規模なども母国と違えば、よれよれの体ながら、トオルの少年のままのココロなどが、サングラス越しに瞬きを繰り返したが、いよいよ手にしたスマートフォンで何かを確かめながら慎重に歩を進めるハルカは、まっすぐに前を見つめたままである。そして、 「ここね……」  と、呟くか否かのタイミングで、眼前には乗用車が辿り着いたりして、「Oh~、How long time no see~!」などと運転席から降りて現れた、キャップをかぶったアメリカンの男には、トオルがパチクリしたものの、その英語に被せる形で、「到着ご苦労。特務庁特別班『かぐや』」と、全く違う意味の口の形で、真意を伝えるテクニックをハルカが読み取れば、 「ハ、ハロー……乗るわよ」  と、長身を見上げて促すのだった。 「……お前たちの銃だ」  いよいよ車に乗り込んだところで、ハンドルを握ったままに、運転席から、後部座席にいる二人に、水面下に渡されるように置かれたのはゴトリ、ゴトリと、音をたてたハルカたち愛用の銃装備一式である。 「どうも」 「えー、おじさん、なんか日本語、上手いっすねー」  そして、ハルカがそれを受け取るなか、未だいまいち事態のわかっていないトオルなどが天然などをかましていると、思わず、上司として物のひとつも言いたくなったハルカは、隣をきっと睨んだりしたが、クスリともしない、青い目の、髭ツラは、一瞬、バックミラーでチラリと一瞥をくわえたものの、 「特務庁の権限としてできるのは、ここまでだ。後は、アメリカ政府直轄機関に手渡すことになる。先ず、二人には、ロス市街のモーテルに泊まって待機してもらう」 「了解」 「え、おじさん、俺らと同じ特務なの?」  ハルカが素早く装備一式を手持ちのカバンにしまいながら応答していると、トオルは、持参したミニギターのリュック状のケースのなかに未だに、あぐねるようにして、それらをしまえずにいる。 「あなた、なにしてるのよ」 「や。だって、メインじゃないにしろ、銃ごときに、自分の楽器、傷つくの嫌だし」  早速、夫婦漫才の様相を呈してきたものだが、 「……早速、お出迎え、といったところのようだがな。ただし、奴さんとしても前代未聞の案件だ。事は慎重に期したいってとこだろう。とりあえず監視下には置かれるが、友邦だ。そこまで気にすることもない」  そして、髭ツラ男は構わず話を進め、後部座席に貼られたスモークフィルムの視界越しの、自分たちと共に行き交う車の列たちなどに瞳を移すと、ハルカは、「了解」と、もう一度、簡潔に答えたのだが、 「えー? なに? なんのこと?」  とは、長年の付き合いのなか、ハルカにとって、たまに頭がいいのか、バカなのかわからなくなるトオルが、尚も、ギターとともに、武器を隠すことに抵抗と苦戦を感じている姿であったりするのだった。  やがて、辿り着いた宿泊施設は、ブラインドの窓も開ければ、青々とした木々の庭も憩いの、モーテルというよりもコテージのデザリングで、友邦の厚遇を感じつつも、ドアをあけ、そうそうにハルカが行ったことと言えば、バッグから取り出した銃を構えると、一室、一室をチェックしては、「……クリア」と呟くことであり、ポカーンとしたトオルは、リュックとなってるギターケースを背負ったまま、キャリーバッグとともに、佇むしかできなかったが、一通りを終えたハルカが戻ってくる頃には、未だ、時差ボケからくるこみ上げる想いと共に、途端に、大きなユニットバスの一室に向かって入れ違いのように駆け出し、その長身の背をさすってやるために、ひとつ、ため息をついた上司は、今、ゆっくりと歩き出すのだった。
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