異国の空で

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異国の空で

「あのまま、ロスにいたかったな~」  ベッドのアメリカンサイズな上に居座るトオルは、今や、その上に広げたデリバリーで頼んだ食事をかっこむところだった。 「しょうがないでしょ。仕事できたんだから」  そして、ハルカなどは室内に置かれたテーブルと椅子にきちんと腰かけていて、箸を運んでは答える。  BGM変わりというわけではないが、室内の壁面に設置されたテレビモニターには、二人の見慣れぬ番組が映りこんでいて、丁度、なにかのアメリカンジョークにジングルのような笑いがドッと起き、 「やー。けど、こういうとこは性に合わねーわー」  タイミングよくベッドから弾みをつけたトオルは、既にシャッターのおろされた窓に近づくと、少しばかりそれを歪ませてみせて、すると、そこにはラスベガスの街の、ギラギラとした夜のネオンなどが垣間見える。 「でも、ある程度の自由は許してくれてるし。不便がないようにもしてくれてるし。よかったじゃない」  そして、ハルカは、ロスのモーテルに到着し間もなくして現れた、自らもMIBのメンバーを名乗る日本語の達者な、宿のオーナーに渡されたクレジットカードを、つい先刻も夕食のために使い、テーブルの上に置いていたのを、ふと、手に取った。 「てか、ここのモーテルもMIBのもんなんだろ? あと、店によっちゃ、全部フリーって、流石アメリカ、特務の親父たちもそういうとこ、見習った方がいいと思うよ。知らんけど。に、しても、ユニバ、いっときたかったな~」  初日の時差ボケからくる体調不良も忘れ、その後、ここぞとばかりにチャイナタウン、コーリアンタウンで舌鼓をうったトオルは、すっかり観光気分だ。ただし、誰に似たのか真っ直ぐに真面目なハルカなどは、 「こらっ。それでも、誰が聞いてるかわからないんだから。滅多に言わないっ」  と、気まぐれな弟でも叱る姉のような気持ちになって呆れる。  それに応じるトオルは肩などすくめ、少しおどけるような表情でも作ってみせると、もう一度、どっかとベッドに腰を下ろし、立てかけていたミニギターをひろうようにすると、ギターストラップもなにもついてないそれを、お手軽といったふうにつま弾きはじめては、鼻歌まじりをはじめた。 「…………」  ふと、ハルカは、すっかり短パン姿となって、音楽を楽しんでいる同居人の姿を久々に見た気がした。また、 「そういえば、こっちきてから、ぐっすりね」 「えっ?」 「『ファイル』よ。データになるようなこと、起きてないじゃない」  五代ハルカは慎重にして言葉を選ぶ。  それは特務庁のエージェントとして、彼女の性格を考えれば、異国にきて尚、任務に忠実であるからこそ、導きだすことのできる答えだ。  いくら、アメリカンサイズのベッドひとつぶんが、自宅のセミダブルと変わらないからとはいえ、ひとつぶんのなかに、共に寝ることを、照れつつも上司として部下に命じたのは、彼女も人の子で、「任務」という名の詭弁の態度であったかもしれないが、「異常なし」と、スマホの画面の文字を結べることは、ハルカの感情も考えれば、尚更、嬉しいものである。 「えっ? そうなの?」  とは、翌朝、しっかり本人よりハルカの方が早く起床するので、証拠も残らないが、相変わらず毎夜、その豊かな胸を気づけば枕変わりにしていることに気づいてない長瀬トオルである。  そして、自らの腕のなかで包み込んでやっているにも関わらず、本人の口からふともれる名は、赤い角の乙女の名なので、乙女心は複雑なのだが、ハルカは何事もないように、「ええ」と、すましてコクリと頷いた。  こうして、幾日かがすぎていけば、流石のハルカだって緊張感もとけ、非日常を初恋といっていいままに気持ちをひきずってきた者と過ごしていけば、今宵もまるで自らの胸のなかに習慣のようにもぞもぞとしている相手を受け止める刹那、ふと、瞳を開いたとしても、あとは、一際に愛おしさに任せて抱きしめ、また、眠りへと落ちていくのも当たり前となっていった。  ただ、その日、彼女の意識が夢の世界の縁辺りを彷徨い始める頃、 『––ルカさん』  と、まるで、無線のように聞こえたそれは、非常に穏やかな声質のものであれば、聞こえなかった箇所も含めても、自分のこととは思えなかった。ただ、声は更に輪郭を帯びていくと、 『ハルカさん』  と、しっかりとその名を呼ぶではないか。  ただ、男性とも女性ともわからない声質ながら、穏やかであることは変わらず、同時に、なにか、その相手の感情のようなものが、ハルカのなかに入ってくると、尚更、それは、とても、驚くほどの凪ともいっていい静けさで、いつしかのフランが投げかけてきた、トオルに対する慕情の激しさとは対照的ですらあった。 (…………)  だが、そこまでのことを、ふと、振り返ることができた刹那、ハルカにとっては、デジャブとともに、「違和感」のようなものがもたげはじめてきて、瞳を瞑る彼女の眉間がピクリと動いたのを、本人は知らない。 『そうです。あの方と同様、今、あなたの心にシンクロしています』  すると、夢現なはっきりとしない世界のなかに立つハルカの目の前には、ふっとして、突如、黒い、驚くほど大きな瞳を二つ顔面に並べた、異形の姿が現れるではないか。 (……異星種?!)  職業柄、すぐにそれが何かを判断できたハルカであったが、唐突であれば、目をつむる表情は、またピクリとした反応を表す。 『怖がらないで。わたしはオグマ。全アーシアンの味方です』 (…………!)  穏やかな感情の伝播は相も変わらず続いている。ただ、気づけば、ハルカを見下ろすようにしている、その輪郭は、異様に手足が長い影、といったふうな姿であるものの、大きな二つの瞳の表情は、まるで無表情であるかのようなイメージだ。  また、こんな状況であれば、意識は一気に覚醒へと動いていく。すると瞳は開いたが、なにも驚いたことは、目の前に映る、モーテルの暗がりのなか、まるで二重写しのようにして、オグマを名乗る影は、尚、ハルカの視界のなかに焼き付いているかのようにしているのだ。そして、もう一度、『怖がらないで』という声が響いた刹那、胸のなかでは、「え、え~……」というトオルの声がもれたのだが、今度は、特務庁のレポートなどでしか知らない「金縛り」の現象であるかのように、ハルカの体は、身動き一つとれないのである。 「トオ、ル……?」 「ハ、ルカ……?」  どうやらともに覚醒しているようだ。加えて、「な、ん、これ……」と、混乱する声が続けば、気づけば、元恋人の胸のなかにいるだけの驚きではないようである。 『二人とも、怖がる必要はありません。わたしはオグマ、全アーシアンを見守る者の一人です』 (…………!)  事態はどうも、ハルカだけでなく、トオルも共有している様子である。 『はるばると、ご苦労様でした。トオルさんに関しては、慣れない異国で大変でしたね。全て、感じていましたよ。本来ならわたしの方から出向きたかったのですが……』 (…………!) (…………!!)  ふと、なにか、少々の悲しみが、オグマの影からハルカたちのなかに伝わる。 『……ただ、彼らも、精一杯の考えの結果を導きだしたようです。明日、あなたたちに会うのをとても、楽しみにしています』 (…………!) (…………!!)  そして、その一言とともに、今や、金縛りはとけ、二人の行動は各自自由に感情を発露しそうになるものの、『……お眠りなさい』などという一声が体内で響けば、ハルカたちは、まるでなにごともなかったかのように、再び、深い眠りのなかに落ちていってしまった。  翌朝は何度もなるインターフォンとノックの音に、漸くハルカの意識が戻るころ、「……っせぇな!」という一声で、自らの胸のなかにあったぬくもりの方がガバッと起きては、ダダダ! と、ドアに向かうところで、漸くエージェントとして覚醒したハルカが銃を構えて後を追ったのだが、既に、そのときには、トオルはドアを開けていて、その向こう側となにやら英語でやりとりしているのである。  そして、ハルカが玄関先に辿り着く頃には、 「……お迎えでごんす」  と、トオルは振り向いた。  アメリカの夜明けから朝にかけて差し込む空の輝きの下、そこには、彼女も現場で見慣れた黒服に黒ネクタイの男たちが立っていて、サングラスごしに、トオルからハルカに視線を送ると、 「……Good morning M,s Haruka Godai,It's a pleasure to meet you too.」  と、淡々として続けるのだった。
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