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彼らは魔族に変容させれた時点で記憶を失うか、奪われるかされている。こうなってはどんな説得の言葉も届くことはない。ともすれば、殺すか殺されるかの選択しか残されてはいなかった。
だが、自分の後ろの町民たちがその決断をできるのか?
ジェルデは咄嗟にそう思った。町民たちは直感的に敵が自分たちの身内だと気が付いているだけ。アーコが語り、ルージュが用いた資料も見ていない彼らがどうして覚悟を決められるというのか。
仮にそれを事前に知っていたとしても、命のやり取りを経験したことがない小市民に、自分の身内を殺してでも生き残るという選択が取れるものだろうか。ある程度の覚悟をしていた自分たちでさえ、淡く湧き出る希望を握りつぶせずにいると言うのに。
そして、皮肉にも一番先頭に立っていたジェルデが一番最初に決断を迫られた。
妻と子だったものが、訳も分からず自分に刃を向けてくる。
「タスドルッ! オロッパスッ! ワシだ、ジェルデだ!!」
無駄だと分かっているのに、ジェルデは叫ばずにはいられなかった。そして、その叫びは思った通り全くの無駄だった。
妻だったものは叫び、息子だったものは恐怖に顔を歪ませながら武器を突き出してきた。すると覚悟や責任を心が感じる前に、ジェルデの戦士としての本能が身体を動かした。武器を握る手に力が入る。
だが。
ジェルデの握った刃は振るわれることはなかった。
突如として自分に襲いかかってきていた先頭集団の何名かが、首から鮮血を噴き出しながら次々と倒れていった。ジェルデも仲間たちも敵さえも一体何が起こっているのか、まるで分からずに呆けた顔を曝している。
「やあああぁぁっっ!」
全員がその気合いの籠った声に反応する。
その声が聞こえた先には編み髪を靡かせて、二刀の剣に血を滴らせるトマスの姿があった。そこまで目視してようやく、全員がトマスが攻撃を加えたのだと理解をした。だが、それは同時に彼女に対して得も言われぬ感情を覚えるきっかけとなった。
俺の家族を殺した。
私の友達を殺した。
僕の恋人を殺した。
あいつが…殺した……!
トマスに殺害された魔族にゆかりのある者たちは一様にそんな感情を芽生えさせた。それは他ならぬジェルデ自身もそうだった。
それでも尚、トマスは変貌させた魔族たちに刃を向けた。先程までは自棄になって攻勢に出ていた魔族たちも容易く数人を瞬殺したトマスを前にすると、戦意は一瞬で削がれ数名が背を向けて逃散し始めた。
それを見て、何人かは安堵の表情を浮かべている。とにかく、逃げて生き延びていてくれれば、もうそれで構わないと咄嗟にそんな思考を巡らせている。だが、それも空しくトマスは足に力と魔力を込め、逃亡する者たちにも攻撃を仕掛ける体勢を見せた。
「よせ! トマス!!」
ジェルデはトマスを制止した。けれども、それはトマスが音もたてずに跳躍した後の事だった。
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