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慧くんとは、大学に入学して直ぐに知り合った。
サークルや部活の勧誘で人がごった返し、ガヤガヤと賑やかな正門前で、しかしその瞬間、静寂に包まれた。
「あ、」
彼は私と目が合うなり、口をポカリと開けて驚いた顔をした。
まるで、時が止まったかのようだった。
「え…?」
対して私も、「誰だこの美男子は?」と目を丸くしてその視線を受け止めた。確かに私を見ているよね?と、疑いようの無いくらい、真っ直ぐに、彼は私を見ていた。
「………あの。…良かったら、お付き合いを前提に、友達になってくれませんか?」
「え…」
なんて面白いフレーズなのかな?と、思った。
こんな美男子にそんな事を言われて、心踊らない女子はまず居ないだろう。
「私で良ければ。喜んで」
例に漏れず、私もそれを受け入れた。
途端、パッと、花が咲くのを見た。
「ありがとうっ……!」
なんて、美しく笑う人なんだ、と。
私は全身を持って感動した。
それが出会い。
そして、今に至る。
大学二年生になった私達は、既に付き合って一年と半年になる。
何故、彼が私にそう声をかけてくれたのか。そういえば聞いたことがない。
買ったチーズケーキを箱から皿に移し、テーブルに運んで、二人で向かい合って「いただきます」をする。淹れてくれた紅茶を一口飲んで、ケーキをフォークに指してから、何気無く尋ねてみた。
「そう言えばさ、慧くんは、なんで私に声をかけてくれたの?」
聞いて、ケーキを一口放り込んで食べた。直ぐにチーズケーキ特有の甘さが口一杯に広がり、幸せな気分になる。やっぱり、バスクチーズケーキは間違いない。美味い。
うーん、と声だけ唸らせながら、慧くんもレアチーズケーキを一口食べた。その所作一つ一つにもつい、見とれてしまう。
「んー、一目惚れかなぁ」
「えー?またまたぁ」
「俺に前世の記憶があるって言ったら、カコちゃん、信じる?」
「えっ?」
驚いてその目を見れば、慧くんはさらりと髪を揺らしながら首を傾げて笑った。
浮世離れした美しさだと、思った。
他の男子と何もかもがまるで違う、大人びた慧くん。
何故か私を見て驚いた顔をして、
何故か私と付き合いたいと言ってくれた人。
そう言えば、私は慧くんの事を何も知らない。
好きな色も、好きなアーティストも。
好きな本も。好きなお菓子も。好きな紅茶も。好きなテレビ番組も。
慧くんはいつも、私の事ばかりだった。
この、チーズケーキもそう。
私が両方で悩んでいたから、二つ買った。慧くんはそう言えば、いつもそうだ。
私の好きな色の、お揃いのブレスレットを付けて。
私の好きなアーティストの曲を、一緒に聴く。
私の好きな本を読んでくれて感想を言い合い、私の好きなお菓子を手土産に、私の好きな紅茶を淹れて、私の好きなテレビ番組を一緒に見る。
「…………そうなの?」
私は吸い込まれるようなその澄んだ瞳から目を逸らせないまま、逆に、その一番深いところを覗き込んでやろうと思った。
首を傾げずに尋ねれば、ふふ、と笑って、目を逸らされる。
肩を揺らしながら、彼は俯いて笑っていた。
「そんな、本気で…」
冗談だったの?と、今度は首を傾げて聞いたら、「そうだよ」と笑って返される。でも、視線は手元のチーズケーキを眺めていた。慧くんが私の目を見て話さないなんて、滅多にない事だ。
「そっち、一口頂戴?」
「あ」
お皿に半分こずつ乗っているのに、フォークに刺したまま食べるタイミングを逃して宙に浮いている、私のバスクチーズケーキを食べられてしまった。
「あ、こっちも美味しいね」
ペロリと舌で唇を舐めるそのしぐさも、俗っぽさを感じさせない。絵になった。俗世から、彼は切り離されている。
「私のバスク…!もうっ!じゃあ、私も慧くんの一口貰うからね!」
私はもう、考えるのを止めた。
目の前のことを、楽しむのが一番だ。
慧くんの前にある皿のバスクチーズケーキをフォークで刺して、一口食べる。
「んっ!ま!」
「ふふ。俺、カコちゃんがチーズケーキ食べて笑ってる顔が一番好きかも」
片肘を付いてにこにことこちらを眺める彼に、私は少し頬を膨らませる事にした。
「……私、慧くんの好きな食べ物、知らない」
「えー?なんでも好きだよ」
「嫌いな食べ物も、知らないよ」
「んー。特に無いかな」
のらりくらり。
ふわふわと。
この人は、こんなに掴み所のない人だったのか。
「あ、ほっぺ。付いてるよ」
言って、彼の指先が私の頬に触れて、指に付いたそれをペロリと舐め取られる。
視線を合わせて、にこり、と笑う。
「……!」
かっこ良……。
顔中が熱くなり、自分が赤面しているのが鏡を見なくても分かる。
兎に角、かっこいい。ひたすら、かっこいい。
なんで、私なんだろう…?
先ほど放棄した筈の疑問が、また顔を出す。
「ねぇ、私達。前世でも付き合ってたの?」
え、
驚いた顔をして、沈黙が訪れる。
まさかそんな顔をされるなんて思っていなくて、私の方もびっくりしてしまった。
「……」
「……ぁ、…あの、だって、慧くんみたいにカッコいい人が…どうして私の彼氏なんだろうなぁって……」
「……そんなの、カコちゃんが可愛いからだよ」
ほっとしたように。
でもそこに、少しだけ哀愁めいた息を吐いて、彼は徐に私の髪を掬う。
私が可愛い?
そんな、まさか。
パッとしないこれまでの人生を思い返した。確かに、慧くんが初めての彼氏と言うわけではないが、これといってモテた験しもない。可愛いとちやほやされた記憶もない。自分としても、自分の外見に成績を付けるなら、「良」くらいだろうと思う。辛うじて、「不可」ではない。「可」よりは欲も混ざって、「良」。「秀」なんて、烏滸がまし過ぎて言えたものではない。
「………ねぇ、今日は泊まっていい?」
「えっ、何を改まって…。そうするんだと思ってたよ」
「ふふ。ありがとう」
花が咲くように笑う。
ほだされてしまう。いつも。
誤魔化されていたのだと、やっと気が付いたけど、「まぁいいか」と流されることにする。
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