雅やかなる聖地にて。

30/35

103人が本棚に入れています
本棚に追加
/187ページ
「お、おお……何と、何と言う事か……有り難うっ、有り難う、冷泉……っ!」  感極まりつつ旭は、そう強く冷泉へ伝え肩を震わせ出す。更に、のめった身を崩れさせ、突っ伏したのだ。旭は、今初めて己の生まれ持った立場を幸運であると、心で父と母へ感謝の念を抱いた。己の様な男、此の地位無くば、斯様な処へは辿り着け無かったろう。況してや、心より敬愛する夢紫氏へ会う事等と。そんな熱い思いに涙して居たのだ。が、冷泉との温度差は物凄い。なもので、思わず座する半身を引いた冷泉の表情は複雑そう。  気を取り直し、冷泉は誤魔化しの咳払いをひとつ。 「御約束でしたので。旭が其処迄喜んで下されば、甲斐も御座いました」  顔を上げた旭は、冷泉の手を硬く握り締め満面の笑みを浮かべる。 「冷泉のお陰で、初版の特別保存用が完成するよ。冷泉も、署名を有り難う」 「いえ。あれ位どうと言う事は……」  そうなのだ。当然ながら、冷泉の署名は一番に手に入れて居た旭。本来、冷泉にとって斯様な依頼は理解の範疇に無い。にも関わらず、惚れた弱味か、望みのままに筆を走らせたと。因みに、現在蛍雪の手元にある其の初版。今頃は当然、其の署名を目にして居ろう。幼き頃より冷泉を知る彼は、其れをどう思うて居るのか。  握られた手を冷泉も握り返すと、其のまま旭の身を己の方へと引き寄せる冷泉。 「え、えっ、と……」  おさまった冷泉の腕の中で、旭は顔へ熱を籠らせる。こんな雰囲気でもやはり、気の効いた言葉は思い浮かばずの様だ。
/187ページ

最初のコメントを投稿しよう!

103人が本棚に入れています
本棚に追加