真の推しとは。

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 官吏が顔を上げる頃には、冷泉の背は離れていた。 「あ、え……東宮妃様……っ」  めげない青年官吏。冷泉は顔のみ軽く動かして視線のみを向けた。 「後宮へ戻らねばなりませぬ。後は、適当な御方へ。失礼」  其れは煩わしさ故に、少々低い声と瞳も冷たくなったやも知れない。しかし、青年官吏は何故か此れに逆上せた様に顔を赤らめ、へたりこんでいたと云う。  一方の冷泉は、先程より後宮へ向かう速度が早まった。思えば、本日は数名の官吏へ斯様な足止めをくらっていたと思い出す。故に、中々旭の部屋へ辿り着くのも時を要したのだから。後宮を出たら出たで、煩わしくもありと苛立ちの中であった。  と。此の流れを、偶然影より間の当たりにした者がひとり。其れは。 「――旭っ。貴方は一体何をして居るのですかっ」  公務にやって来た瑠璃であったのだ。旭の部屋へ足を進め、腰を下ろすなりの一声。旭はと言うと、何の事かと引き気味に。 「か、開口一番何だと言うのだ。毎回毎回……」  取り敢えずの突っ込みを。瑠璃は、執務机を挟み僅かに身を前のめりに。其の表情も些か険しく。 「見ましたよっ。先程、東宮妃様へ寄る青年官吏をっ……頬を染めて、嬉しそうに……っ」  憤りを込めて吐き出された瑠璃の言葉へ、旭の胸が不安を交え大きく脈打った。 「え……う、嬉しそうって、れ、冷泉殿が……?」  少し震えた声であったかも知れない。しかし、興奮冷めやらぬ瑠璃。そんな旭の変化を、気に止めるに至らず。 「いいえっ、其の官吏がよっ!あぁっ、腹立たしいっ、羨ましい……っ!」  そう愚痴と共に頭を抱える瑠璃。旭は、安堵の一息。 「そ、そうか……」  緩んだ口元に我に返り、旭は慌てて両手で覆った。幸い、瑠璃はまだ俯き頭を抱えている。旭は、口元を覆ったままで己の今の心情に狼狽えていた。どうしたのだろう、先程瑠璃の報告に不安になり、続いた言葉には本気で安心してしまったのだから。
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