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とある結婚式場。こんな所ではおめでたい事しか無い。それは当人達にとっては当然の事。
その日、未森史親は純白のタキシードを着て緊張をしていた。こんな場面になって緊張しない人間が居るなら見てみたい。そんな思いも有るのだが、今は文句を言う相手も居なくて、取り敢えずため息を吐くしか無かった。
天気は秋の涼し気な風が吹き寒くもない、お日様がポカポカと暖かい。これはいわゆるお日柄も良いと言う事だろう。そんなものは解っているけれど、どうにも落ち着かない史親は割り当てられた部屋で、動物園のトラの様にクルクルと歩き回っていた。
「新婦さんの用意が出来ましたよ」
式場のスタッフにそう言われて、緊張しているので史親は「ハイッ!」と声を飛ばしてしまって、笑われてしまったが、それでもスタッフからはお祝いの印象しかない。
もちろん今日は史親の結婚式の当日だった。プロポーズからの約一年は生きた心地がしなくて、長いと思っていたその日々もいつの間にかに終わっていた。
それでも嬉しい日でもある。今、新婦控室のドアをノックしてその向こうから返事が聞こえている。史親にとって最愛の人。それは間違いないのだった。
ドアを開けると、そこにはウエディングドレスをまとった川来須友華が居た。普段はニコニコとして背も低いので小動物の様な可愛さの有る人物なのに、今の雰囲気はとても美しいとしか言いようがない。違う人なのではないかと思った史親だったが、振り返った時に史親を確認して笑った姿は友華そのものだった。
「馬子にも衣裳とは良く言ったもんだ」
取り敢えず自分の冷静さを演じる為にそんな思っても無い事を史親は言うのだが、その言葉に友華は史親の思った通りのリアクションを取った。
友華は頬を膨らませて、眉間に皺を寄せるとプンスカと怒った。
「そんな風に言わなくても良くない?」
もちろん本当に怒っている訳では無い。このくらいは二人のコミュニケーションにしか過ぎない。証拠に友華の口元にも直ぐに笑みが浮かんだ。
「ゴメンって、でもこんな日が訪れるなんて思っても無かったな」
「そーだねー」
やっと緊張も無くなった史親が友華に近付いて、ため息と一緒に呟くと、なんとも軽く友華が返していた。
二人は職場恋愛で、仕事の出来る史親が引き抜かれて入った会社に、事務員として勤めていた友華と結婚する事になった。
周りでは友華が上手い事将来有望な人間を捕まえたなんて言われて居たりもする。しかし、それは間違いだ。
確かに史親は仕事が出来る優秀な人間なのだが、別に友華がそれを狙った訳でも無いし、なんなら事務員としての友華の実力は秀でているので、それをやっかんだ人間が居ると言う事。
「まさか、あのいじめられっ子で弱虫の未森と結婚するなんてなー」
更に言うなら二人の出会いは会社では無かった。時間は十五年程遡る。
どこにでも有る普通の公立の中学校だった。当時の史親は今の様に身長も高くなく、チビ助で細い身体をしていた。その上に内向的な人間だったので、いじめっ子からしたらかっこうの目標だった。
いつもの如くいじめられている史親が対抗する事も無く、いじめっ子グループから遊びの様に叩き、蹴られていた時だった。それを止める人が居た。史親からしたらヒーローの登場だ。別に先生でも上級生でも良かった。
しかし、その時に現れたのは同級生のそれも人よりも小さな女の子だった。その女の子はヒラヒラといじめっ子達を投げ飛ばしてしまい。哀れないじめっ子グループは脱兎のごとく逃げるしか無くなった。
「ちょっと! 男ならもうちょっとシャンとしたらどうなの?」
しかし、その女の子はいじめられていた史親にも優しくなく、泣きそうになっていた史親に対しても怒鳴りつけていた。それが友華だ。
「あの時は衝撃だったよ。女の子が救けてくれたのもそうだったけど、怒られるんだもんな」
「フミくんが弱っちかったからだよ」
「合気道の有段者から見たらみんな弱いだろ」
友華は子供の頃から合気道を習っていて、それでそんなに強くなっていたのだが、そんな強い友華に史親が惚れるのには時間が掛からなかった。
元々は強さへの憧れの方が強かったのかもしれない。史親は友華に誘われて合気道を習い始めた。
「アレって勧誘だったの?」
「……ち、がうよ」
当時から合気道場は人気が無くて、今ではもう師範も年老いて道場を閉めてしまっているが、当時も風前の灯火だった。
その状況を今になって思って史親が聞いたが、友華からは焦っている返答なので、どうやら予想は当たりだったらしい。
それでも史親にとっては楽しい日々だった。儚い恋心を抱いて、友華との同じ時間を共有した。そんな事がいつまでも延々と続くのかと思っていた。
続く筈もない。中学が終わると次は高校進学で、もちろん学力に合った学校へ進む事になる。
友華の成績はそれほど悪くも無かった。市内の普通よりちょびっと頭の良い高校にギリギリだが進めた。
違ったのは史親の方。しかし、それは学力が無い訳では無かった。全くの逆で、史親の成績はかなり良くて、普通に県下有数の進学校への入学となってしまった。
田舎街に住んでいた二人の距離は百キロ以上も離れてしまう事になる。そうなるとすればもちろん告白となるのが当然の図式なのだが、いくら合気道で鍛えたとしても史親の弱気は治ってなかった。
史親は友華への想いを抱いたまま高校、そして大学へと進学をした。
いつかは消えてしまう恋心だと思った時も有った。しかし、史親の心にはいつまでも友華の笑顔が居座っていた。
もうそれは病気と思えるくらいになって、働き始めヘッドハンティングによって会社を移ったらそこで運命の再会をした。
「会社で再開した時って直ぐに解ったの?」
「そりゃもちろん。トモカの笑顔は忘れなかったからな」
史親はそこには自信がる様に話して居たのだが、対する友華は疑いの目でしか見てない。
「単純に名前で解ったんじゃないの?」
「そんな事無いって」
確かに会社で再会した時に史親は、友華の事を一目で気付いていた。
事務作業を任せるなら友華にと先輩から教えられたが、その時は名前も聞いて無く、後の史親の歓迎会で自己紹介を受けた時に、
「川来須さん! 憶えてる?」
と史親は嬉しそうに言った。
残念なのは友華が直ぐには史親の事を解らなかった事。
「あの時はショックだった。三年道場に通ったのに忘れられてたなんて」
「だって、あんまりにあの弱虫とイメージが重ならなかったんだよ」
確かに史親の身長は高校になっからやっと伸びて、弱々しい印象だった顔つきもすっかり青年になっていた。
それでも史親からしたら忘れられない人の友華だったので、その時の事はトラウマになってしまう程だった。
しかし、史親が伸びたのは身長だけでは無くて、仕事ができる事からそれは史親の自信にもなっていたので、友華への恋心を眠らせておくことは無かった。
それから史親は友華へ真っすぐなアプローチを繰り広げた。友華も断ったりはしたのだが、もう弱虫では無かった史親に折れる様に付き合い始めると、とんとん拍子に結婚まで辿り着いたのだった。
「トモカと付き合えた時は嬉しかったなー。ホント夢にまで見てたから」
「しつこい男だよね。でも、これで良かったと思うよ」
二人の事をあらかた話し尽くして史親はいまだに嬉しそうな顔をしているが、その横で友華が不敵な笑みを浮かべていた。
「フミくんはいつからあたしの事を好きだったの?」
「それは今も話したでしょ。ヒロインが現れた時だよ」
「ふーん、そんな最近の事か……」
この言葉に史親は首を捻るしか無かった。
それは二人の出会いからだったのだから、最近と言われる事では無いだろう。それでも友華の事を見るとニコニコとしている。
「どーいうことなの?」
「あたしの方がもっと昔っから好きって事だよっ!」
答えを聞こうと史親は聞いたのだったが、答えはもっと解らなくって、友華はそんな返事をして史親にデコピンをしていた。
どんなに考えても史親には友華との思い出なんてそれ以前には無かった。元々中学では校区が一緒だったが、小学校ではずっと離れた所に通っていた。
そうなると偶然にでも会わなければ接点は同じ街に住んでいると言う事くらいなので、有り得ないとしか思えない。
「誰かと間違ってない?」
難しい顔をして友華に聞いたが、そんな言葉はクスクスと笑われてしまうだけだった。
「そんな事無いよ。未来の親友さん。こんな名前なんだから間違わないって」
それは史親と友華の中学の同窓会で語られた事だった。
二人はもうその時に付き合っていて、旧友から恋人になった事から同窓会では話題になったのだが、それよりも二人の名前をもじった事で冗談になっていた。
未森史親と川来須友華。苗字と名前からそれぞれ一文字取ると未来と親友となる。酔っぱらった人には十分な笑い話になってしまった。
しかし、それはあくまでも数年前の事、どちらかと言えばそれこそ最近の事なのだ。
「それは飲みの席での笑い話でしょ?」
友華はそれまで笑顔だったのだが、その時に照れの様な顔をしていた。
「あたしも子どもだったから、その頃は楽しかったんだよ」
俯き加減にしながら友華は呟いた。存分に照れている様子。
しかし、それでも史親には解らない。
「やっぱわからない」
「じゃあ、思い出させてあげよう。アレは保育園の頃だよ」
友華はそれから遠い昔の事を話し始めた。
友華も史親も保育園に通っていた。とは言えそれでも別々。しかし田舎街なので普通は公立幼稚園で保育園は私立だった。
私立なんてそうは有るものでは無い。二人の通う保育園は系列の所だった。
そこでは時々合同の行事が有って、キャンプや運動会そしてお遊戯会なんてのはいつも一緒だった。
「どう? まだ思い出さない?」
友華は話し進めて、合間に聞くが、史親は返事をしなかった。
もちろん二人の出会いはその頃だった。友華も低身長で背の順で並ぶと、二人はいつだって一番前。そうなると、なんだかんだでペアになる事は多かった。
共に戦い、共に遊んで、共に協力をしていた幼い日々の事を友華はしっかりと憶えていたのだ。
「あたしが恋したのはあの時だったんだよ」
女の子には特別な思い出。人を好きになった事なんてそれまでに無かったのだからその人の事を忘れる筈が無い。
「なのに、中学で再会した時は弱っちくて。そんで今まで忘れてるし」
ブスッと友華は膨れてしまっている。でも、その時にはもう史親は全てを思い出して顔どころか耳まで真っ赤にしていた。
「まあ、許してあげるって。お子ちゃまだったからねー」
ポンポンと友華は史親の肩を叩いた。けれど、史親は照れ臭い顔をしながら、友華の事を抱き締めた。
「なんだよ。思い出したの?」
「思い出したよ」
「ウソ臭いな」
「とっちゃんの事が好きだから結婚して」
そんなあだ名で史親が友華の事を呼んだ事なんて無い。保育園の時を除いては。
「その呼び方は照れるなー」
友華もその事を憶えていて、クスクスと笑いながら抱き締められているのに、照れてしまって顔を伏せていた。
「俺も違う呼び方をされてたよね」
もう史親は全てを思い出している様なので友華も観念した様に照れるのを辞めた。
「フーくん。あたしも好きだよ」
そんな風に二人の出会いを思い出した時に、部屋がノックされた。
「準備が出来ましたが?」
会場のスタッフが今日の主役の二人を呼びに訪れたのだ。二人は一度深呼吸をして見詰め会うと、返事をして控室から出て会場へと向かう。
「本当に冗談みたいな名前だよね」
友華が言った二人の前には未森史親、川来須友華、結婚式場と案内版が有った。
「これも良いとすら俺は思う」
呟いてから二人は拍手に包まれて進む。
おわり
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