君といる夜は、めまいを感じる。第六夜。

1/1
前へ
/6ページ
次へ

君といる夜は、めまいを感じる。第六夜。

君といる夜は、めまいを感じる。 第六夜。 7228676c-1b3d-44d7-8f07-67eb23fcdc81  本当に、どうしてこうなった。またも、学年成績トップ10位以内女子とテーブルを挟み、向かい合っている。しかも、土曜日という休みの日に会っているなんて………。ぼくたちは恋人でもなければ、友達でもないのに、こんなの不自然だろ。数時間前の事、秋物の服を買っておこうと電車に乗ると、同じ車輌に乗り合わせていたという成績トップ10女子に背後から声をかけられ、またも変な声を出してしまった。また、いつかみたく、小さく笑われ、文句を言う。それから、ふた言だった。「へー、偶然だねえ。わたしも服を買いに行くんだよー」という返事が事の始まりだ。何故か、そのままショッピングモールまで一緒に来てしまった。あまり君の事を知らないから、どんな会話をしていいのか分からず、逃げようと入る事にしたシアトル系コーヒーショップの前で運悪く「あ。わたしも喉が乾いてたんだー」と言われたのだ。少しは他人の事とかを考えたらどうだろうか、と思いながら、口に運んだホットコーヒーで感じる熱で、唇が火傷した事を知った。 「まさか、君みたいな人がゴミ拾いなんてしてるとは、思わなかったなあ」 「あー……そう。……そうかもね」  本当に、だから何?という感情しか湧かないが、口には出さない事に……した。ゴミ拾いは気付いてしまったからやっているだけだ。ぼくという人間がどうこう言う話じゃないし、この間、公園の掃除に協力してくれたのは同じ思いを持っていたか、ぼくの行動に賛同してくれたのかのどちらかじゃなかったのか。その場の空気とかノリで合わせたとか、そういうのだったら長く続かないと思うし、苦痛になるだけだから早めに止めた方がいいと思うんだけど………………、 「……んだよねー。ねえ……?君はどう思う?」 「え?……あー…………え、と?」  また、話を聞いていなかった。こんな所で成績トップ10女子と話すなんて思っていなかったから、言葉すら用意していなかった。フレーバーティーを飲む君とする会話など、どうでもいいとまで思っていたのだが、やっぱり気まずい。面倒くさい事になりそうだな、と思った時、 「まだ眠れない……のかな?」 「え?……あ。いや?最近は…………ちょこちょこ寝てる」 「そか。よかった」  君が安心したようにヨルの反対側にある柔らかな笑顔をするから、また驚いてしまう。君には関係………無い、のか?ここまで干渉されていて関係無いとか、それこそどういう事だろう。そもそも、この成績トップ10女子との関係は何だ?確実なのは、彼女ではない。そんなやり取りを交わした覚えが無い。クラスメイトではあるが……友達なのかと聞かれると怪しい。どちらにせよ、どうして、ぼくに関わるような面倒くさい事をするんだろうか。 「あの……さ。どうして、ぼくに関わろうとするんだよ?」  目をまん丸にして無言で驚かれた。そして、表情に少し血の色が加わり、大きく息を吸い込むと「いやあ…………ほんと、きみ変わってんね」と、首の後ろに手を回し縮こまる。はっきりして欲しいから、それはどういう意味なのかと聞こうとした。だけど、その言葉がぼくの口から出る事を知っているように、誰もいない左隣のテーブルに視線が逃げられる。だから、小さく聞こえない声で「なんだよ」とだけ言って、口に運んだコーヒーでまた火傷する。ちらちらと横目で見てくる君が横顔のまま呟いたのだ。その声は拾うだけでも苦労する声量だった。 「まあ……ね。きみに関わりたい理由は色々あるよ」  だから、その理由を教えて欲しいと言ったのに面倒になり「ふうん」と、深追いはしません、の意味を込めた相槌を打つ。それから、君の顔がこちらに向けられ「きみさ…………昔の兄に雰囲気が似ていたり……とか」と話始めた。兄って、楽器を弾いてバンドをしているとか言っていた兄妹か。カップのふちを指で撫でる君に、どういう風に似ているの、と聞くと表情が曇る。何か、まずい事を聞いてしまったのだと思い、頭の中で言葉を探す。すると囁くのだ、ヨルが。  恋じゃないのか。  どうして、今、こんな言葉。関係の無い言葉に焦り、頭の中で取り出したい言葉が手に付かず「その………いや、まあな…………?」と絡まった言葉たちが躓きそうになって、喉で詰まる。君がまた大きく空気を吸いながら天井を見上げ、深く身体の奥から何かを吐き出して、うつむく。そうして、上目遣いにぼくを見ると、小さく、ふふっ、と笑った。 「いやー……ね。身体を壊す前のお兄ちゃんに……似てたんだよ、きみ」  成績トップ10女子の表情筋が左右非対称で意地悪な笑顔を作っているのに、ヨルとは反対側にいた。もしかして、ヨルが言っていた『ぼくの健康を心配していて……』だとしたら、ぼくは君に謝らないといけない。あの時は、君を一方的に疑い、ヨルに悪く話してしまった。ヨルがああいう性格で諭してくれなければ、ぼくは反省する事なく君を…………、 「あとさっ……まあ、ねっ?実は…………好きだった人が似たような感じで死んでて……さっ」  なんだそれ?そんなのぼくに………いや、違う。関係なく、無い。重なったのか。その人とぼく、そして、兄が…………。 「ぼくはそんなにまで……まずい表情をしてたのか?」 「そう……だね。だから、もう嫌だな、って思ってさ」  元々、夜が眠れなかった訳じゃないんだ。ただ、頭を駆け巡る言葉にならない、あいつを捉まえようと追いかけていただけだ。そうしていたら、眠られなくなってしまった。そんな時、ふと思ったのが、人生は毎日を生きるという事だけでも苦労するのに、執拗にまで干渉しようとする誰かの存在と、それに絡みつくような種々の問題が、嫌で、嫌で、仕方がないという事に気が付いてしまった。だから、それら雑音を遮る口実に音楽配信サイトを漁っていたら、あの音楽に出会った。  ────I feel The Earth move under feet ……  そう唄うそれが、恋の歌だという事は分かっている。ただ、叩くように響かせるピアノと少し掠れた歌声、語感に綴られた想いが、ぼくにまとわりつく毎日と重なり共感したんだ。音楽ってやつが、初めて良いものだと思った。イヤホンで耳を塞ぎ、鼓膜の近くで鳴らすロックンロールに溺れて腕の中へ沈む。苦しい訳では無いけれど、楽しい訳でも無い毎日は、その音楽と出会って、少しずつ変わっていった。実態の見えないあいつを追いかけ出会った音楽と、月夜に出会ったヨルという可憐でいて、泥のように染み付く妖しい存在。どちらも優しくいて、力強く、激しかったから惹かれた。少し掠れていて、美しく澄んだ声に酔ったんだ。  新しく買った服は、ヨルに受けが良くて「いいじゃないか、少年!本当にいい!」と、ぼくの周りをくるくると回りながら観察される程だった。何が良いんだろうか………正直、流行りとかは知らないし、分からない。ただ、成績トップ10女子の意見も参考にしながら、悩み、考え、選んだだけなんだけどな。だから、何を良しとして選んだのかなんて“良かったから”や“気に入ったから”としか、説明が出来ない。 「だとするなら、尚、良い。………そうだな。小娘より先に、わたしが優しく一枚一枚脱がし、教える色々の方が良くないか、少年?」  また、そうやって異性と色欲を匂わせ揶揄う。「うるさいなー」と赤くなった顔で目を逸らすと「ふふっ、不健全少年」と、また笑われるのだ。そして、珍しく、神妙な表情と優しい声で「どちらにせよ、良い事だ。わたしから覚めようとしているからな」と言って、背後にまわり、ぼくの肩に手をかけて、ぼくより低い身長が爪先で立つ。「ねえ?いつも言っている『目覚める』ってさ……」と言うも、ヨルは肩越しに覗き込み、頬を擦り合わせてくるのみ。背中と顔で感じる微熱と耳元で鼓膜を揺らす、熱く少し掠れた声。 「少年は、わたしの好みだったから引き留めて、食べてしまうつもりだったのだけど」  明らかにヨルが……胸を押し当てたりとか、性に対するそれらを意識させるように身体を寄せているように思う。だから、爪先から脊椎を通って、頭のてっぺんまで走る快感に似た悪寒は、きみが言っていた『食べる』という言葉に“性行為”を期待し、本能で反応するのは、君の“物理的に食す”という意味からくる恐怖への悪寒がするんだろ。でも、確か何かの本か心理学か何かの記事で読んだ事がある。最上級の愛情表現は噛んだり、食べたりって………………。 「ところで少年?少年から少女の名前を聞いた事がないな?」  あ……え、嘘だろ。そういえば名前を知らない。 「好きな女の名前も知らないのか」 「いや……だから…………」  何故か、そんな事を考えたはずのない学年成績トップ10位女子の事に歯切れ悪く、言葉を濁してしまう。  それは、恋じゃないのか。  ヨルの声が、頭の中で、耳元で鳴る。 「少年はわたしに深い愛を教わり、少女に淡い恋を追う」 「……何それ?」 「ふふっ、いま作った」  たぶん、それがヨルの言った最初で最後の戯けた言葉。そして、ヨルから提案された新しい…………、  翌日、学年成績トップ10位女子と、いつもの町を歩き、いつもの自動販売機で格安のジュースを買って、いつもの光で四角く切り取られた公園へと向かった。今日は、ぼくの頭の中にある叫びたい事や社会への反抗に対して、最初に賛同してくれた仲間を君に紹介したいんだ。 「うわわわわっ!噂に聞く“猫会議”に参加できるとはーっ!」 「そいつらをそうやって相手にすると……手、すっごく臭くなるよ」 「え゛っ!!?うわっ!ほんとだっ!?ほんとだっ!!!」 「それと、たまに痒くなる。ノミとかかも」  夢の世界で野良猫と戯れていた成績トップ10女子に、現実を教えると「うわー!手がべたべたするよっ!!ねえっ?この手はどうしたら良い!?」と半分パニックになりながら、持っていたウェットティッシュで手を拭く顔が半泣きだ。その姿に、何故か………くすっと笑ってしまう。………あれ?ぼくが、こんな穏やかな気持ちになったのって、いつ以来だ…………?  少年はわたしに深い愛を教わり、少女に淡い恋を追う。  ヨルの声が聞こえた。だから、昨晩、きみに『やってみろ』と言われた事を………言われなくてもやるよ。 「ところでさ、君の名前はなんて言うの?」 「えっ!!?」  あ、まずい。眉をひそめて、光を多く取り入れる為に丸くなった目と、水分を大量に溜めた瞳。そして、少し仰反るように引いた上半身は、人間が拒否反応に耐えている姿だ。そりゃあ……ドン引きするか。こんな学校の有名人である君と話したり、ゴミ拾いや服を買いにまで行ったのに、名前を知らないなんて普通じゃないよな。 「ふふっ、そっか。そっか。きみは私の名前を知らないのかっ」  首を傾げて、その声、その言葉、その表情で言う君は困った眉の形をしているのに、口元は嬉しそうな大きな三日月だ。なんだよ、それ。こっちは真面目に聞いているんだ。よく一緒にいる人間の名前を知らないとか、おかしいから知りたいんだよ。 「耳貸して、教えてあげる」  だから、顔を寄せたんだ。 「ふふっ、これくらいで驚くとかー、可愛いねっ」  頬に小さく触れた柔らかな熱を確かめるように、手を当てた。  この星は回っていて、空が落ちそうだから、  鼓動が早く打ち、動揺してしまう。  きみといるときは、いつも。  元々、夜が眠れなかった訳じゃなかった。あんなにまで執拗に「食べろ」と言われ、それに腹を立てていた朝食は用意されているだけでも感謝すべき事だった。あんなにも息苦しかった電車や街の雑踏は、今となっては息を止める事もなく、また躓き立ち止まる事もない。息をしている事すら忘れるくらい自然に息をしている。流れるように躓かず、歩く事が出来る。いつの間にか、ぼくも“みんなの中のひとり”だ。みんなの中のひとりとして、悩み、考え、選び、行動している。夕方の電車内で、同じく大勢のひとりたちに押し潰されそうになりながら、辛そうにしている誰かに席を譲る誰かを見ていた。  改札を出ると夏に向かう空に夕陽が浮かんでいた。今日も一日が終わったな、と、呟き、やさしい気分になる。辺りを見渡し、走ってバスに向かうおじさんに「おじさんも、お疲れさま」と心の中で呟いた。家の方向に足を向け、いつかの家に帰るという事が憂鬱で、足取り重く、遠回りまでしていた事を思い出した。今やどうだ。家路に着くという事が、こんなにも嬉しく幸せで、浮かびそうなくらい軽くなってしまうなんて思いもしなかったよ。 「ただいまかえりました」 「おかえりなさい」  家というやつが、こんなにまで居心地が良く安心する空間だなんて愛おしくて仕方がないから、迎えてくれる笑顔の君を抱きしめてしまうんだ。 「ふふっ、なにかなー?きみが甘えるなんて珍しいねえ?」 「いや、特に。何も」  夕食だって、君と、友人と、大切な人たちと食べるだけで、何倍にも美味しくなるなんて知らなかったし、下らないと思っていた何気ない会話は、涙が出るくらいに楽しいものだった。  今日は疲れているはずだった。早く寝ようと、早めにお風呂も入った。フレーバーティーを飲む君が座るソファに並んで座り、楽しみにしていた本を読もうと開く。だけど、なんだかカップの縁を指でなぞる、君といる夜は……………、 「ちょっと散歩に行ってくるよ」 「こんな時間に?…………うん。気をつけていってきてね」  カンカンカンカン、と、アパートの外階段を軽快な音を立てて降り、道路の真ん中に立つ。周りの家々にいるはずの家族たちは寝静まっていて、生活音が聞こえない。夕暮れに仕事から嬉々として帰ってきた道が、ここには誰もいない世界みたいに無音だ。鼓膜が音を探して、高い周波数で鳴る。しばらくすると、遠くから線路を刻む電車の音を見つけ“寂しがり屋の音”も、いつの間にかいなくなっていた。子どもの頃は、この何かや誰かを探す音が大嫌いで、胸が切なく締め付けられる感覚に、身体を折ってまで耐えていたのに、今や、そんな感情や胸を抱きしめるなんて事すらしない。だるめの息を吐いて、空を見上げ、驚いた。それは星が見えない事よりも、いつから空を見上げる事をしていないのか思い出せない事に驚いたのだ。就職の関係でこの町に引っ越して来て、もう何年だろうか。ここでは星が見えないって、今、知ったよ。  夢を見ているみたいだな………………だから、今夜は星を探しに行く事にした。まず、暗闇を探すにはどこがいいだろうか、と、歩き出した三歩目で、こんな時間に外出しているというだけで悪い事をしている気がして、ドキドキしていた夜がそこには無く、むしろ、夜に飽きてしまったから寝ていたいと思うようになってしまった自分に寂しくなる。 「公園はどこも狭いんだな」  いつも通勤で使う駅までの途中にある公園も生まれ育った町のそれと同じく、また狭い。こんな所で子どもたちは、どうやって遊ぶのだろうか。ぼくらはどうだったのだろうと思い出そうとするも、浮かぶのは広さの加減が存在しない公園と、涙が出そうになるくらい温かな忘れかけの想い出ばかりだ。それ以外は何も浮かばないから、今は存在しないそれらに唇を噛む。  あの頃のみんなは元気にしているのだろうかと思いながら辺りを見渡し、ベンチの下にゴムボールが落ちているのを見つけた。それを拾い上げ「キャッチボールくらいは出来るみたいだな」と、再び空を見上げ目を閉じる。視界が、夜よりも暗くなり、敏感になった聴覚が音を探す。夜の音が聞こえたから、ゆっくりと空気を吸った。  よるのにおいがする。 「久しいな、“元”少年」  誰かが背中に手を添え、少し掠れた声で囁いたように思う。 「もう、わたしには会いに来るな」  肩にしがみ付くような人間にしては軽く、気のせいにしてはおかしな重みを感じ、それが爪先で立ったようだったから、公園の砂が、じりっ、と鳴いたように聞こえた。頬に唇のような柔らかな熱さが触れ、身体に腕のような細い存在感がまわされると、背中にコツンと額が当てられ埋めるような、そんな感じがしたんだ。 「これで、さよならだ」  彼女は名前を“夜”と言った。  どんどん不器用になっていくぼくらは、あの日、言葉に出来ず、もがいた事を、しっかりと言語化出来ている。それなのに、今度は声にする方法が分からなくなってしまった。ただ、ひとつ言える事は、この言葉にならなかった感情の名前を知る為に、ぼくらは“よる”と遊んだ事があると確信に変わる。猫が身体をすり寄せてくるような意図の分からない魅力に、安心と休息だけではなく快楽へも誘い、抜け出せなくなった奴もいる。人懐っこく、壊すくらいに魅力的で、常に美しくも危険な雰囲気をまとい、耳元で囁かれる官能的な声は平常心までも忘れさせる。  ぼくらの恋人、そして、友達。  きみと過ごした夜は、めまいを感じていた。  眠れぬぼくらと遊び疲れるまで、一緒に過ごしてくれた“よる”との出来事は、ある意味、ぼくらの“秘事”だ。そこから生まれた何かが、前へ進む理由として存在している。寂しいけれど、君に飽きてしまったぼくらは、大きなあくびをして夜に眠っている。  闇に浮かぶくらい青く燃え思い、  溶けそうなくらい白く、春に萌ゆるもの。  ぼくらの“よる”を思春期と言った。 夜更かしは、おしまい。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加