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―日本、東京。
港区にあるフレンチの五つ星レストランで、賢木廉と藤堂千香はフルコースを楽しんでいた。
賢木は千香のために、都内の夜景が見える一室を貸し切ったらしい。
「ボルドーを頼む。彼女にも同じものを」
注文を取りに来たワインウェイターに賢木はそう告げると、膝に置いたナプキンで口を拭った。
千香はデザートのシャーベットにも手をつけず、窓の外の景色を眺めていた。
「何だ、拗ねたような顔をして。この前の事をまだ怒ってるのか」
「別に」
俯いた千香に賢木はやおら取ってつけたような笑顔を作ると、千香の細い手首を掴んだ。
「千香」
千香が怯えたような目を向ける。
「ロンドンで危ない目に遭ったそうじゃないか。気づいてやれなくてすまなかった。これからはいい夫になるから、だからどうか許して欲しい」
口調はどこまでも優しいが、千香の手首を掴む手首には力がこもっていた。
「れ、廉、離して…。い、痛いわ…」
千香の口調に、賢木は手首を掴む力を少しだけ緩めた。
その時賢木の懐に入れた携帯が鳴り、拘束から逃れた千香はホッとした。
賢木は着信に舌打ちをしたが、液晶画面を見ると瞬時に経営者の顔へと変わった。
「取引先からだ。少し外すよ」
そう言ってレストルームへと消えていく賢木の後ろ姿を見送りながら、千香は
先ほど賢木に掴まれた手首を見つめた。
手首には、くっきりと爪の後が残っていた。
―彼なら、絶対こんなことはしない。
英国にいるお人好しの警察官を思いだし、泣きそうになった。
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