紳士的な男と、アリスと呼ばれる少女の話

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「お目覚めですか、お嬢様。」 第一声は穏やかな声だった。 「······おや、まだ眠っていらっしゃる。何度もお声掛け致しましたのに、全く。」 二言目は溜め息混じりの、やや呆れた声音だった。 そう言われても瞼が開かないのだから仕方がない。眠い。もう少し寝かせて欲しい。二度寝も三度寝も許されていいだろうに。 「いけません。御予定に遅れてしまいます。」 ······あれ?予定なんてあったっけ? 「ええ。お茶会が御座います。絶対に、遅れてはなりません。」 ······?お茶会、予定、······お嬢様? ああ、そうか。これは夢だ。確実に誰かと言葉を交わしているが、私はお嬢様ではないのだから。 「嗚呼、いけない。来てしまう」 カチカチカチと秒針の音が鼓膜を揺らす。小さいのに随分と耳に残る音だ。 ふわりと自分の体が宙に浮くのを感じる。 「さぁ、行きますよ。───アリス。」 私のこと、だろうか? 訳が分からないまま、ようやく瞼を開こうとしたが眩い光によって阻まれる。 目を瞑った刹那、眩しい感覚は既に消え去った。ゆっくりと目を開くと、辺りはブルーモーメントに包まれた森の中だった。手入れの行き届いた薔薇のアーチ、青やピンクや紫の、彩色豊かな薔薇が花咲く木々。縦長のテーブルの上、白で統一されたティーセットがポツリと置かれている。 ふわり、と地面に降り立ち、彼は私をゆっくり降ろした。 「ようこそ、アリス。お茶会の時間ですよ。」 ティーセットだけが置かれたテーブルにその男の手が触れると、あっという間に多種多様のスイーツが現れる。羊羹、饅頭、桜餅、柏餅、ドーナツ、シュークリーム、シュトーレン、ごま団子······種類も季節もバラバラで、想像していたお茶会のお菓子とはちょっと、いや、だいぶ違うことに戸惑いを隠せない。何からツッコミを入れるべきか。 この光景が事実なら、私は記憶喪失にでもなっているのかもしれない。 目の前の男は小さなキャンディの雨を降らせながら、それはそれは愉しそうに笑う。紳士的な雰囲気とは反対の、あどけない微笑。あぁそうだ、と思い出したように呟き、人が入れる程のお菓子の家まで出現させた。 長身痩躯。男の前髪は長めで瞳の表情は読み取れない。燕尾服を来ている辺り従者なのだろうが、何故か帽子屋の帽子を着用しており、社会的な立ち位置はよく分からない。或いは好んで着用しているだけなのか。そもそも、私との関係は─────。 「アリス、もしや私のことが思い出せないのですか?」 見覚えのない光景、事象。思い出す以前の問題だ。 「えぇと······。」 返答に悩んでいると一陣の風が通り抜けた。色とりどりの薔薇の花びらが舞い、はらり、はらりと落ちていく。 彼の揺れる前髪の間から優しい瞳が覗く。彼岸花のような、哀しくも強い意思の感じられる、鮮明な緋色だった。
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