紳士的な男と、アリスと呼ばれる少女の話

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薔薇の花びらが一枚、ひらりひらりと宙を舞い、降りた先のティーソーダの池にぷかりと浮かぶ。 優しい声がした。 「嗚呼、此方にいらしたのですね、アリス。···え?人違い、ですか?いえ、間違いなくあなたですよ、あなた。···ふむ、私が誰なのか、"また"お忘れのようですね。まったく、あなたという御方は。」 男は困ったように微笑んだ。 「怖がらなくても大丈夫ですよ。どうぞ此方へ。」 木漏れ日の差す森の中。 見渡す限りの広く青い空はサイダーのようだ。プクプクと立つ泡は小さな雲へと姿を変え、魚の形をした和菓子─────若鮎が、空を泳いでいる。 「お菓子のお魚が空を泳ぐなんて、夢でも見ているみたい」 少女は目を輝かせ、屈託のない笑顔を見せる。さながら、初めて遊園地に遊びに来た子どものようだ。 お茶会の後。木陰に座る彼女は次第に微睡み、やがて瞼を閉じた。 光の泡となり、彼女の姿はゆっくりと消えてゆく。 外の世界で眠り続ける彼女は、その都度記憶を失い、幾度となくこの世界を訪れるだろう。 「···おやすみなさい、アリス。何度でもあなたをお迎えいたしましょう。」 空へ向かう光の泡沫を見送り、ガラスのティーカップに注いだ黒糖ラテにコンデンスミルクを追加し、銀のティースプーンでゆっくりと混ぜながら言葉を紡いだ。
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