さよならリッケンバッカー

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***  右腕の、傷だらけの機械式時計は休まず時を刻み続けた。  季節は順に巡っていった。  早いもので──あの蜃気楼のような一夜から、今日で丸二年が経とうとしている。  この二年という月日は世間や音楽シーン、そして俺という人間を緩やかに、しかし確実に変貌させた。  まずもって言えることは自称・稲村ヶ崎が生んだスパイクヘアのロックスター、キヨジローはもう存在しない。今ここに存在するのは年収四百万、年間休日百五日の量産型零細企業戦士ことキヨジロー、もとい清田二郎(きよたじろう)、三十二歳甲斐性なしである。    ちなみに、所持していた二本のギターは半年間の無職生活中にすべて売り払ってしまった。うち一本はいただき物である。二十五歳の誕生日に元メンバーらからプレゼントしてもらったグレッチの名器、ホワイトファルコン。  苦楽を共にした愛器を手放してしまうことにもちろん抵抗はあったが、貯金も心もとなく、このままでは生活がままならない。背に腹は代えられなかった。ネットオークションに出品したそれは、そこそこな額になった。二本合わせて四十万。その夜、久々に口にした好物のはんぺんチーズフライは、涙と、ほんの少しの罪悪感の味がした。 「ふああ……」  七月三十一日、昼下がり、快晴。  くたびれた社用車の中、外回りにいったん区切りをつけた俺は今、絶賛小休憩中。  果たして、昨日との違いもいまいち判然としないような、相変わらず代り映えのしない一日だ。思いつつ、ネクタイを緩めつつ、生温い缶コーヒーを一口。次いで眺める手垢だらけのスマートフォン。SNSの通知が四件。そのすべてに一通り目を通したあと、何気なくアクセスした某巨大ニュースサイトのトップページには、とある女性シンガーソングライターの特集記事が。  普段ならばあえて避けているような音楽系の記事に不覚にも興味を惹かれてしまった理由は、その見出しにあった。  気鋭の新人メイ・ザ・サマー、夢は大きく五大ドーム制覇!    どことなく懐かしさを孕んだ響き。気づけば目を凝らし、ぐっと食い入るように液晶を見つめている俺がいる。    インタビュー形式の記事はデビュー秘話から始まり、最新ミニアルバムへ込めた想い、そして来月開催予定の四都市レコ発ツアーについての意気込みといった流れで進められていった。  掲載画像に写る、偉く年季の入ったリッケン620を抱えたこのメイ・ザ・サマーなる装飾過剰眉ピアス女が、二年前の夏に相棒を手渡した小娘、小夏芽生その人だという事実に気づくまで、さほど時間は必要としなかった。  決定打となったのは、影響を受けたアーティストについて尋ねたインタビュアーに対する彼女のこんな回答であった。   「元コズミック・デパートのギタリスト、キヨジローさんには多大な影響を受けています。その自己主張の塊みたいな圧倒的ステージパフォーマンスはもちろんのこと、作曲センスが鬼才のそれで、もう本当にエモエモのエモ! 実はこのリッケンちゃんもキヨジローさんの私物で、彼からの借り物なんです! コズミック、再結成しないかなあ……」  驚愕した。驚愕するよりほかなかった。直後とらわれた、頭の芯がしびれるような感覚。重厚かつ攻撃的なハイゲイン・ディストーションが雷鳴よろしく脳みその内側に轟き渡り、一向に鳴りやまない。  腹の底からせり上がる、どうにも形容しがたい感情を引きずったまま、いつになく夢中で記事を読み終えてしまった俺は、震える指先でおもむろにカーオーディオを起動した。心が、身体が、本能が、どうしようもなくロックンロールを欲していた。  選曲に迷いはない。さよならリッケンバッカー。深夜枠の人気アニメ主題歌に抜擢され、オリコンシングルチャートでは初登場二十五位を記録した、コズミック・デパート最大のスマッシュヒットナンバーだ。この曲を聴くのもいつぶりだろう。  ヤニ臭い車内にパワフルなスティックカウントがこだまする。  不思議と笑みがこぼれ落ちる。  あの夏の一コマが色彩を持ち、デジタルリマスターでもって鮮明に甦る。  キヨジローさんの未練、あたしが代わりに、このコと共に断ち切ってみせます――。 「さて……」  そろそろ外回りの続きに出るとしよう。 「俺も負けてらんねえな」  胸の奥底に新たに萌芽した、小娘への、芽生へのライバル心。    ハンドルを握る両手に自然と力がこもる。    きらめく夏の午後、今日もとびきり暑くなりそうな、そんな予感がした。 4efc8dda-4942-49de-8d49-8d1dbbb43066 「さよならリッケンバッカー」完
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