さよならリッケンバッカー

2/3
前へ
/3ページ
次へ
 バンドが解散した。その名もコズミック・デパート。  リリースしたシングルは計十枚。いずれも売れず、鳴かず飛ばず、やがて業を煮やした所属レコード会社から契約解除を言い渡された俺たちは、三十歳の節目を機にこの業界から立ち去る覚悟を決めたのだった。 「本当に終わっちまったんだなあ……」  ほとんど無意識のうちに漏れた言葉。ふと振り仰いだ空は曇天。右腕の、傷だらけの機械式時計は二十四時ちょうどを指し示している。  都内某所、キャパ二百人程度のハコでのワンマンライブ終演後、馴染みの激安居酒屋チェーンにてバンドマン人生最後となる打ち上げを終え、ひどく感慨深い気持ちで人気のない高架下を歩いていたときのこと、 「キヨジローさん!」  脊椎反射的に後方を振り返ると、そこにはぽつんと人影が。年にして十代後半。アッシュグリーンのツインテールに眉ピアス、見覚えのあるツアーTシャツにフリルのミニスカートを召した痩身少女は、俺の顔を見るや否やコズミック・デパートの古参ファンを名乗り始めたではないか。  数時間前に行われた解散ライブにも足を運んだというこの小娘、何やら俺に憧れてエレキギターを始めたらしい。夢はメジャーシーンを席巻する超ビッグアーティスト。いつか五大ドームを制覇してみせます! などと決意の瞳で豪語している。  思えば俺がギタリストを志したのも、このコくらいの年頃だった気がする。  初めての相棒はリッケンバッカー。高円寺のこぢんまりとした楽器専門店にてファイヤーグローの艶めくカラーリングに一目惚れした俺は、最低賃金のド貧困アルバイターという立場にもかかわらず現物を即決購入。月々のローン返済はなかなかに厳しいものがあったが、いつか来るべきプロデビューの日を夢に、ただがむしゃらに六本の弦を掻き鳴らし続けた。  バンド結成三年目の夏、東京都内上空にてトリプルレインボーが観測されたとのニュースがSNS上をにわかに賑わせたあの夏、ついに夢が実現することになる。ロックの甲子園と銘打たれた権威あるアマチュアバンドコンテストにて全二千五百組の中からファイナリストに選ばれた俺たちのもとに、大手レコード会社からメジャーデビューの話が舞い込んだのだ。  まさに順風満帆な滑り出し。有頂天。歓天喜地。なんのためらいもなく二つ返事でレーベルとの契約を締結した俺たちは、破竹の勢いのままにシングルを出した。アルバムを出した。ライブハウスツアーを回った。初出演のフェスではオープニングアクトを務めた。  泣いた。笑った。昂った。  もっとも、その勢いも長くは続かなかった。呆気なく、それはもう呆気なくガス欠を起こしてしまった。ローリング・ストーンズにもオアシスにもコールドプレイにもなれなかった不甲斐なき俺たちは、現に今じゃこのザマだ。メンバーの多くが明日から、いや厳密に言えば今日から無職、コネを頼らなければ否が応でも職安通いの日々が待っている。正直、目の前の未来あるロックンロール・ガールが眩しくて仕方がない。  数分のやり取りのあと、 「これからもファンでいさせてください!」  ずっとずっと応援してます!  張りのある声で告げ、会釈し、真っ赤なミニスカートの裾を翻しながら、くるりと踵を返した名も知れぬ少女。漆黒のラバーソールがこつこつと地べたを打つ。コズミック・デパートの過去のツアー日程が明記された、かすれたバックプリントが徐々に、徐々に遠のいてゆく――と、そのときのことだ。 「ちょっと待ってくれ!」  打ち上げで呷りに呷ったコークハイがまだ身体から抜け切っていなかったのかもしれない。ライブでさえ披露したことのない全身全霊のシャウトを発した俺は、不意に芽生えた少女への好奇心および期待感のような想いのままに彼女に駆け寄り、背中の相棒、つまりリッケンバッカーをぐいと目の前に差し出すと、 「いつか君が夢を叶えるその日まで、こいつを預かってほしい」 「え?」 「俺の未練を君に託す」  今にして思えば場外満塁ホームラン級にバカなことをしでかしてしまったのかもしれない。うん十万もする大切な代物を初対面の人間にやすやすと譲渡するだなんて、こんなぶっ飛んだ話もないだろう。ただ、このときの俺に後悔の念はなかった。一ミリも、一ミクロン足りとも。  少女は数瞬の戸惑いをまだあどけなさの残る顔に滲ませたあと、意を決したように「任せてください!」と頷き、そしてそのしなやかに伸びた両腕でもってギグバッグに納められた相棒を慎重に受け取った。  こっくりと濃いまつ毛に縁取られた大きな瞳が、ほんのりアンバーがかった冴え冴えとした瞳が、ただ一心にこちらを見つめている。 「キヨジローさんの未練、あたしが代わりに、このコと共に断ち切ってみせます!」 「楽しみにしてるぞ、眉ピアス」 「眉ピアス呼ばわりしないでくださーい! あたし、メイって言います!」 「メイ?」  すると、 「芽生えると書いて芽生(めい)小夏芽生(こなつめい)です――」
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

30人が本棚に入れています
本棚に追加