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午後三時前、やっと大量の報告書を片付け終えたユリウスは、軽く伸びをした。 いつもなら午前中に片付くはずなのに、今日は会議に加えてあちこち呼び出されたせいで、遅くなってしまった。 兵宿舎の奥、自分の執務室の扉がノックされ、彼女の近衛隊隊長であるテオドール・ファランが入室し、敬礼した。 「閣下。オルデール・ラヴェル殿がお見えになりましたが、いかが致しましょう」 「オルデールが、ここに?」 「はい…。出来る事ならば、取り次いで欲しいと」 彼女の訪いに思い当たる節の無いユリウスは、指先で軽く机を叩いた。 「大丈夫だ。通してくれ」 「かしこまりました」 テオドールが退室したのを見送って、山の様に報告書を積み上げた机から立ち上がる。 事前に連絡も無く来るなんて、彼女らしく無いと思った。 何か、あったのだろうか。 執務室には、応接間に直接繋がる扉がある。 開けると、猫足の優美なソファで、オルデールが長い脚を組んで既に寛いでいた。 「お前がここに来るなんて、珍しいな」 ユリウスも彼女の向かいに腰を下ろす。 「丁度、喉渇いてたしね~」 テオドールから紅茶を受け取り、応接間に二人だけになったのを確認してから、オルデールは視線を戻した。 「シュンスケの事で、少し話があるんだけど」 いつになく真面目な表情を浮かべる彼女に、躊躇いつつも頷く。 「思い詰めた顔で、私に相談に来たんだ。お昼位だったかな」 「…シュンスケが、お前に、相談?」 意外な内容に、柳眉が微かに上がった。 「うん。何か、女の子の事でかなり悩んでるみたいだよ」 オルデールの言葉は、彼女が予想した以上に、ユリウスを動揺させたらしい。 「あの子が、女の子の事で、悩んでいる…?」 ますます訳が分からなくて、痙攣する眉間を抑えた。 今朝までいつも通りだったはずなのに、どうしたのだろう。 「うーん…。急に、恋愛の相談なんてして来るからさ、同じ部隊内に、好きな子が出来たのかなぁと思ったんだけど。戦場に向かう前に、その子に告白しておきたいのかなって…。ユリウスは、何か聞いてない?」 訊かれて頭を振る。 「私は、何も聞いていないが…」 今日はミュレイから特殊任務の内容を告げられる日だが、俊輔が覚悟を決めねばならない程の、内容だったのだろうか…。 「シュンスケ、凄く悩んでるみたいだったよ。まだ入軍したてなのに、いきなり戦場に出て大丈夫なのかなって、何だか心配になっちゃってさ」 「そうだな…」 そこはユリウスも、一番心配している点だった。 温かい紅茶のカップを手にしたまま、異世界からやって来た彼を想う。 …シュンスケは、不思議な子だ。 初めて会った時は、自分に自信があるのか無いのか、良く分からない不躾な奴だと思った。 でも接する内に、シュンスケは誰に対しても真っ直ぐで、裏表が無い、素直な子だと気付いた。 彼のそういう所を、ずっと好ましく思っている。 それに、やたら頑強な身体をしているとは言え、自分とここまで何度も手合わせしてくれる兵士は、彼以外にいない。 彼は自分を過小評価し、気弱だと自負しているが、まだ場馴れしていないだけで、とても気骨のある子だと思っている。 第一、何の準備も無く異世界に連れて来られて、戸惑いもせずに現実を受け入れているだなんて、気弱な子に出来る事では無い。 自分がいきなり異世界に召喚されたら、どうするだろうか。 考えただけで、頭がおかしくなりそうだ…。 以前オルデールも言っていたが、彼は少し、変な子なのかも知れない。 心からフラウディルと、そこに住む人々の心配をしてくれて、有難いとも思う。しかし、 あの子は、優しすぎる…。 だから心配なのだ。いきなり戦場に放り出されるのが。 彼は軍人として、誰かを殺めた経験がまだ無いからだ。 そして特殊任務の細かい内容を、なぜかミュレイは頑として教えなかった。 元凶である女王の調査、らしいが。 彼とどう、関係があるのだろう。 それに、現司教の娘で変わり者の才女、ウユラ・フレイトスを抱え込んで、隠れて何かをしているのも以前から知っている。 無体な事でも思い付きで実行するミュレイが、彼をどう扱うかずっと懸念していたのだが……。 オルデールは、紅茶のカップをソーサーに静かに置いた。 「それに…。掃討戦が終わったら、シュンスケはどうするんだろうね。もう、帰っちゃうのかなぁ」 寂しそうな声に、ユリウスは手にしたカップの中を覗き込んだ。 「…それは、あの子が決める事だからな」 シュンスケが屋敷を出て独り立ちしたいと言えば、いつでも支援するつもりでいる。 しかし彼には両親がいるし、やはり元いた世界に帰るのだろうか? それとも、ここでその好きな相手と、結婚したいと考えているのだろうか。 すっかりぬるくなった紅茶を飲んで、ぽつりと呟く。 「彼ももう、大人なのだな」 「そりゃ17歳だもんね~。色々あるよ」 まだまだ子供みたいだと思っていたが、今朝、見守っていて欲しいと真剣に言われた事を思い出した。 二月程前の出会った頃と比べると、彼は一気に大人びてより逞しくなった。 綺麗で力強い輝きを持つ、あの金の瞳に見つめられると、自分でも時々射竦められる時がある。 成長を頼もしく思うと共に、手元を離れていく切なさを感じて、チリッと胸が痛んだ。 レメディに指摘された通り、自分は今まで、過保護だったのかも知れない。 カップから目を離し、顔を上げた。 「私は、シュンスケの邪魔にならない様に、見守る事にする。オルデール。教えてくれて、ありがとう」 「う、うん」 突然押し掛けておいてお礼を言われるとは思ってなかったのか、オルデールは頬を染め、ぷいと顔を逸らせた。 ( シュンスケ…。お前が何を抱えているのかは分からないが、支えたいと思う人は、沢山いる ) 胸の前で、ぎゅっと手を握り締めた。 その日の夜、宿舎の二段ベッドの上。 カーテンをキッチリ閉めた状況で、俊輔は二冊の恋愛術指南書に、瞬きもせず釘付けになっていた。 枕元には小さなランタンが置いてある。 その明かりで、歯の浮く様な恥ずかしいセリフや、裸体で絡み合うカップルの挿し絵を見つめ、様々に顔色を変えた。 ( あああああ~っ!こんな事、本当に俺に出来るのか…!?もう、不安しか無いんだけど…!! ) 真っ赤に血走った目をぎゅっと閉じ、ぼすっと枕に顔を埋める。 下でイビキをかいて寝ているリナを起こさぬ様、じたばたした。 悶々とする心と体を抱えながら、悩ましい夜が更けて行った。
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