10.

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ジリジリと項を焦がす、強い日差しの下で、俊輔は流れ落ちる汗を拭った。 気温は日を追う毎に少しずつ上がって来ている。 ただ、フラウディルは夏でもカラッと乾いた気候な為、暑くても不快には感じなかった。 「リナ達は王都に残るんだな」 隣にいるリナと、一緒に作業をしながら会話をした。 「王都を空っぽには出来ないからね。補給や、負傷した兵を運び込んだりとか、私達はそういう仕事がメインだよ。掃討戦に出る先輩達は、武勲をあげるチャンスだって張り切ってるけど」 リナは微笑みながら、軍手に付いた葉っぱを叩き落としている。 「それなら、良かった」 ほっと安堵すると、彼女は心配そうに俊輔を窺い見た。 「シュンスケの方こそ大丈夫なのか?まさかいきなり戦場に配置されるなんて、思ってなかったよ」 「大丈夫。俺は裏方で、…ちょこちょこやるだけ、…だから」 少し遠い目で答える。 首を傾げたが、そっか。とリナは肩を叩いて励ました。 「ちゃんと、無事に帰って来てよ」 「うん。ありがとう」 作戦決行の四日前。 午前の訓練の後、俊輔達は他の部隊のメンバーと共に、武官アカデミー敷地内の緑地に大量の苗木を植えていた。 何故かここにあった木が何者かに伐採されたらしく、拓けた地面のあちこちに、大きな穴を開けている。 「このすべすべした苗木、前にもどっかで…」 妙に覚えがある感触に訝しんでいると、リナが教えてくれた。 「これはね、オルクスの木って呼ばれてて、フラウが生み出した植物の一つらしいよ」 オルクスの木は非常に固く、しっかりしている割りに成長するのも早く、古くから、フラウディルの人達の暮らしを支えて来た。 「すっごい固いから、斧で二十回以内で切り倒せたら兵として一人前って言われてる」 「ああ、これが例の木材なのか」 通りで、触り心地が似ているなと思った。 「他国にはない、不思議で便利な植物が他にも色々あるよ。季節を問わずに実がなるベリーとかね」 「へえ…」 苗木の根の部分に土を被せ、ポンポンと叩きながら、俊輔はフラウの事を考えた。 初代の王である彼女は、どんな人物だったのだろう。 元々は龍が人に変じた存在らしいが、共に逃れて来た人々の為に尽くし、最後は命を捧げて木になってしまうなんて。 実在するかは分からないが、エオリンデという死後の穏やかな世界を作り出し、現世と繋げたのも彼女の力と言える。 ( 二千年位前の話だから、お伽噺みたいだし、本当の事は分からないけど… ) でも実際にフラウディルの人達の生活を考え、支えてくれている便利な植物が、今も沢山残されて大切にされている。 きっと人の事が好きで、優しい人物だったのだろうなと考えた。 「…そういえば、さっきの昼休憩さ」 兵長の姿を遠くに確認してから、笑いを堪えつつ俊輔を窺い見る。 何の事か分かって、彼も含み笑った。 「ゴンチェとムッチョの奴、シュンスケの食い物奪うの、初めて失敗してたな」 「…うん。あんなに痛がるとは、思わなかった」 互いに肩を震わせて抑えていたが、とうとう堪えきれなくなって、青空の下、大きく笑い合った。 昼休憩で俊輔が食堂の席に着くと、いつもゴンチェとムッチョに、昼御飯を背後から奪われるのだが、今日は彼の方がいち早く察知し、トレーごとさっと避けた。 柔らかいパンを狙っていたらしく、全力で取り上げようとした二人の太い指は目標を見失い、鉄製のテーブルに、激しく突き指した。 「もう、めちゃくちゃ面白かった!あいつらもの凄い顔して奇声上げながら、床の上転げ回るんだもん」 「ちょっと気の毒な事したかな…」 ムキムキの女子二人が転げ回ったせいで、幾つかテーブルの脚が折れ、食堂は阿鼻叫喚と化した。 二人は自分の所属する部隊の上官達にこっぴどく叱られ、始末書を書かされたらしい。 リナは気遣いを見せた俊輔の背中を、ぱしっと叩いた。 「なーに言ってんだよ!あいつら、たまには痛い目にあっておかないと!」 笑いすぎて、目尻に浮いた涙をリナが拭った時、背後から名前を呼ばれた。 「シュンスケ」 「ユ…。キルシュタイン将軍」 声で、すぐに気付いた。 少し離れた場所に、ユリウスが一人で佇んでいる。 いつから見ていたのだろう。 笑い合う彼らの様子を、後ろから見守っていた風でもある。 直ちに、二人はその場で敬礼した。 「明後日、シュンスケの一時帰宅が決まった」 掃討戦に参加する宿舎住みの兵士は順次帰宅して、家族と過ごす事になっている。 「明日の夕方、一緒に帰ろう」 「はい。わかりました」 了承すると、ユリウスは隣で身体を固くしているリナに視線を移し、穏やかに目を細めた。 「シュンスケと同じ部隊の兵士か?」 「はい。二等兵の、リナ・ジェイドと申します」 緊張で強張ってはいるが、リナはハキハキとした声で名乗った。 「…そうか。シュンスケが世話になっているようだ。これからも、よろしく頼む」 「は、はい…!」 硝子で造り上げた繊細な花の様に、儚く美しい微笑みを向けられたリナは、たちまち頬を染め上げて深く頭を下げた。 ( 仕事中なのに、なんか優しい雰囲気だな ) 休日に屋敷にいる時と、同じ感じがする。 珍しいな…。と思ったその時、再び背後から声を掛けられた。 「やあ、モリヤ。ごきげんよう」 声を聞いただけで、俊輔はビクッと戦いた。 「…フレイトス、さん」 異様な漆黒のローブを纏い、子供にしか見えないウユラ・フレイトスが、銀縁の眼鏡をキラリとさせて立っていた。 「今すぐ私に着いてきたまえ」 有無を言わさず、俊輔を引っ張る。 その場に留まろうとするも、抵抗虚しく、マッチョの身体が引き摺られてしまう。 「うえぇ…。今度は、何するつもりですかぁ」 ウユラはユリウスを、意思の読めない大きな瞳で、じっと見上げた。 「将軍。モリヤをお借りしても宜しいか」 瞬きもせず、彼女を静かに見返す。 「…ええ。構いませんとも」 薄く、形の良い口元が優雅に笑んでいる。 だが、ウユラを見据える蒼い双眸は何処か無機質で、見る者の心臓を凍り付かせる様な冷淡さを漂わせていた。 「…では」 一礼し、俊輔の太い手首を掴んだ。 「さあ、行くぞ」 「どっちかと言うと、うちの兵長に断って欲しいんですけど。いでででで!」 ズルズル引き摺られて行く俊輔を、ユリウスとリナは言葉もなく見送った。 大聖堂を過ぎた辺りで、ウユラはふっと笑うと、 「将軍は、恐ろしい御仁だな。温かな血の通った、同じ人間とは思えない」 と、おかしな事を呟いた。 ユリウスがまだ武官アカデミーの生徒だった頃に纏っていた、人を寄せ付けない、冷たく苛烈な雰囲気は、今と全く変わらないと彼女は感じていた。 「うーん…?俺からすると、フレイトスさんの方が、同じ人間とは思えないんですけど」 「君は正直だな」 ウユラは強い日差しを、不快そうに手で遮った。 「たまにはいいかと思って外に出てみたが、やはり暑いな」 少しでも涼を得ようと、ローブの胸元を摘まんで扇ぐ彼女に、呆れて言った。 「夏場に黒いローブなんか着てるからですよ。何で他の導官みたいに、白じゃ無いんですか」 「白だとすぐに汚れるからな。着替えるのが面倒だ」 部屋が荒れ放題なのといい、彼女はかなり、無頓着な性格をしているみたいだ。 二人はアカデミー内にある、ウユラの実験室に入った。 彼女は本や物が散乱した机から、金属で出来た飾り気の無い腕輪を引っ張り出した。 「この腕輪を使えば、君に魔力が無くても、瞬時に文書を私に送る事が出来る。ただし、一回きりだがな。昨日完成した」 「へえー。前にアリシアさんがやってた魔法と同じですね。こんなの作れるなんて凄いですね、フレイトスさん」 導官は浮遊の魔法を応用して、手紙を送る事が出来る。 普通の文書の様に、紙が手元に残る訳ではないし、送る相手が魔力を持たない場合、一方通行となってしまうが。 ウユラの眼鏡が反射した。 「モリヤを召喚したのは、アリシアだったな。君は彼女と仲が良いのか?」 「はい。休暇中にキルシュタイン家に遊びに来てくれて。みんなでピクニック行ったりして過ごしました。フレイトスさん、アリシアさんの事知ってるんですか?」 「…私の、後輩だからな」 フイと顔を逸らせた彼女の言葉に、我が耳を疑った。 「後輩って…。フレイトスさん、幾つなんですか」 「24だ。君の主と同じだよ」 どう見ても、ユリウスと同い年には見えない。 と言うか、自分より下だとばかり思っていた。 「…まあ、いい。使い方を説明するからよく聞け」 さっさと話を切り上げ、俊輔に腕輪の使い方を教えると、ついでに埃と物だらけの部屋の掃除を隅々までさせた。 もしかしたら腕輪は建前で、掃除の為に連れて来たのかも知れない。
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