11.

1/1
前へ
/39ページ
次へ

11.

荒れ放題のフレイトスの部屋を片付け終え、緑地へと戻る途中、回廊の傍にある庭園で見知った後ろ姿を見付けた。 ( あれは、ノアさん? ) 桜色の長い髪を、高い位置で纏めた後ろ姿が木々の隙間から見え、そちらに足を向けた。 ノアに会うのは、この前の休暇以来だ。 近付いて行くと、さっきは幹に隠れて見えなかった人物が視界に映り込んだ。 ( あ、あの子 ) 長い黒髪の女性。 ノアの父、ライアによく似ている。 「ノアさ…」 声を掛けようとしたが、黒髪の女性が今にも泣き出しそうな表情をしていた為、出かけた言葉が喉奥に引っ込んでしまった。 「お姉様には、私の気持ちなんて…。分からないわ」 「ソフィア…」 ソフィアと呼ばれた女性は、険のある目でノアを見上げた。 「お父様の言うことも聞かず、好き勝手して、オルティニア家の使命まで捨てて。その上結婚して、逃げたくせに…!お姉様は狡いわ」 ノアは何も言えずに俯く。 浴びせられた言葉から傷付いた様子なのが、項垂れた背中から窺い知れる。 口唇を噛んだソフィアは、棒を呑んだ様に立ち尽くす、俊輔に気付いた。 きっ、と一瞥をくれると彼女は踵を返し、庭園を走り去ってしまう。 振り返ったノアは、そこに俊輔の姿を認め、目を見張った。 「シュンスケさん…」 「すみません。立ち聞きするつもりじゃ、無かったんですが」 謝ると、彼女は緩く頭を振った。 「あの子…。ソフィアは妹なの。つい最近、助司教になったばかりで」 ソフィアは17歳という若さで選ばれた、史上最年少の助司教らしかった。 「小さい時から努力家で優秀な子だったし、性格的にも、司教に向いていると思うのだけれど…。昔から自分に自信が持てなくて、悩みを抱えやすい子なの」 陰りのある表情で、自嘲気味に呟く。 「結婚して逃げた、か…。そう言われても仕方がないわね。結果的に、ソフィアに家の事も、父の願いも押し付けてしまったもの」 「そんな…」 ノアは三年、助司教を務めたが、去年辞めた。 魔力を持つ導官は、フラウディルにおいて国の命運を左右する程、重要で希少な存在だ。 未来の司教候補となる助司教は特に上昇意識が高く、また人間関係も複雑だった。 「助司教職は厳しい世界だから、あの子も色々プレッシャーを感じて、不安なんだと思うわ。父は私かソフィアを司教にしたいと、ずっと言っていたから。期待に応えようとして、悩んでいるのね…」 大昔から数々の司教を生み出した名門のオルティニア家だったが、父ライアが司教になるまで、かなりの年月、司教席を逃し続けていた。 親、親戚、遠縁からの期待、導官の貴族達からの嘲笑、そういう物を、ライアは子供の時から受け続けて来た。 ノアも物心がついた頃から、同じく司教を目指して努力を重ねて来たが、7歳の時に最愛の母を病気で亡くした。 その頃に出会ったユリウスも、両親を病気で亡くしている。 彼女の中で導官の存在や、国の方針に対する意識が変わったのは、この頃からかも知れない。 「さっきソフィアさんが言っていたのって…。もしかして、ノアさんが自主的にやっている、魔法に頼らない医療、の事ですか?」 苦笑を滲ませながら、肯定した。 「ええ、そうよ。身内でも私のしている事は、理解し難いみたい」 ー魔法は便利だが、万能では無い。 自分に魔法が使えるからこそ、事あるごとにノアはそう感じて来た。 しかし、この国は魔法に頼りすぎている所があり、医療の脆弱性も魔法を重視した弊害の一つだった。 導官の中には決められた額より遥かに高い治療費を、立場の弱い一般の国民に求める者もいる。 フラウディル人は元々寿命が長い方では無いが、余裕の無い国民は、満足に医療を受ける事が出来ずに、亡くなってしまう者も多い。 だからノアは、少しでも魔法に頼らない状況にしたくて、怪我や病気に効き、誰でも簡単に育てられ、使う事の出来る薬草を幾つか作り上げた。 自身が得意とする、医療魔法を応用して作った薬草の苗は、務めている聖堂に訪れた患者や、噂を聞き付けた人々に分け与えた。 ティドロスの医療も取り入れ、武官に分類される傷病医と協力し、これまで多くの患者を治して来た。 しかし、彼女の異端とも言える行動を良く思わず、窘める導官も多かった。 ー武官と協力して、導官の権限を奪う気か。 と、父からも苦言を呈されてしまったが、以前からユリウスの協力の元、今もこっそり薬草を育てている。 キルシュタイン家の庭園の、片隅で。 「私が司教になって、無理にでも仕組みを変えるのが一番なんでしょうけれど」 とことん、自分には向かない職業だと痛感した。 そして司教になるには、数多くの導官、助司教達からの推薦がいる。 すでに多くの反感を買っているノアには、厳しい状況だった。 「私は…。自分に出来る事、こうすれば良くなると思う事を、今後も続けて行くわ。続けて行けば、どこかで変わる事もあるかも知れないもの」 「ノアさん…」 子供の頃から複雑な状況に置かれ、理想と現実に苦悩しながらも、ひたむきで真っ直ぐな意思を見せる姿に、目を奪われた。 彼女はその見た目からは想像出来ない、芯の強い、しっかりした女性だ。 俊輔は可憐で優美なだけで無く、内に秘めた強さを持つノアの事が好きだ。 「ノアさんが心強い、お母さんの様な存在だから、ソフィアさんも自分の不安だとか感情を、つい…ぶつけちゃったんでしょうか」 澄んだ若草色の瞳を瞬かせ、俊輔を見つめる。 「さっきの言葉は、本音じゃない気がします。ソフィアさんはノアさんの事、本当は大好きなんだろうなって、俺は思ったんですが…」 ノアを励まそうとする言葉は優しく、面と向かって言われると、少し気恥ずかしい。 ( でも… ) 彼の言葉に、思い当たる節があった。 ソフィアは物心がつく前に、母を亡くしている。 常に乳母は傍にいたが、母の面影を強く持つ、ノアの方に良く懐いていた。 彼女は小さい頃から、嫌な事や不安な事があるとノアに泣きついたり、時には苛立ちを率直にぶつける子だった。 俊輔の言う通り、朧気な母の存在を姉に重ねて、甘えているだけなのかも知れない。 「…ありがとう、シュンスケさん」 頑なで、他人と距離を置きたがる気難しいユリウスが、俊輔に対してはそうで無い事を、初めは不思議に思っていた。 接する内に気付いた事だが、彼は素直で優しく、邪気が無い。 そして彼と深く関わった人は、大抵が自分から心を開き、その人をも素直にさせてしまう力があった。 あのユリウスを直ぐに信用させた事で、一時は妬心を覚えた時期もあったのだが…。 頑固で言い出したら聞かないユリウスを、宥めてくれる大事な存在として、ノアは俊輔を密かに頼りにしているのだった。
/39ページ

最初のコメントを投稿しよう!

42人が本棚に入れています
本棚に追加