13.

1/1
前へ
/39ページ
次へ

13.

「シュンスケさん。これ使って下さい」 掃討戦二日前、一日だけだが休暇が貰えた俊輔は、キルシュタイン家のキッチン裏にある井戸端で、ノアから布地を差し出された。 丁度夕食に使う野菜の皮を剥いていた所で、濡れた手を拭き、彼女から布地を受け取る。 「これって、もしかして鎧の下に着る胴着ですか?」 広げてみると、それは固い綿を使った、袖の無い黒地の胴着だった。 「そうよ。アリシアと一緒に、強化付属の魔法を掛けたの。普通の胴着よりずっと頑丈だから…。シュンスケさんに、使って欲しくて」 今回の掃討戦で、フラウディル軍は兵の数を増やす事よりも、個々人の技術の向上と、強化付属の武器、防具を増やす事を念頭に置いて準備して来た。 それでも付属魔法を掛けた武器や防具は貴重で、掃討戦に出る兵卒の多くは、身に付ける事が出来ない。 「こんな貴重な物を…。ありがとうございます、ノアさん」 付属魔法は金属には掛けやすいが、布地は難しいと聞いていた。 アリシアにも、お礼を言わなければ。 「王都北部に、負傷兵用の仮設病院が設置されていますよね。お二人も、そこに行くんですか?」 ノアは言い辛そうに、声を落とした。 「私はそこで負傷兵の回復を担当するのだけど…。アリシアは、王都を出たもっと先にある、野戦病院に行くみたい」 「ほぼ戦場ですけど、アリシアさん、大丈夫かな…」 心配を口にする俊輔に、ノアも表情を曇らせた。 導官の多くが王都に残る事を希望していたが、ノアとアリシアは、候補者の少ない野戦病院行きを希望していた。 彼女なりに、戦場に出る兵士達の手助けになりたいという想いがあったのだが、ユリウスも俊輔も、アリシアも戦地に向かうと言うのに、ノアは許されなかった。 父であるライアが、反対したからだ。 導官の派遣先は司教が決める。前司教であるライアは、現司教のレーナ・フレイトスに、ノアを戦地に向かわせ無いよう、釘を刺していた。 納得出来なくてライアに直談判に行ったが、 ーオルティニア家の者が、わざわざ戦地に赴いて、武官の為に尽くす必要は無い。 武官には傷病医が居るのだから、戦地に回復目的で導官を連れて行く必要など無いのだ。 と、冷たく言い捨てた。 ( いつも、こうだわ… ) 怒りを堪え、奥歯をぐっと噛み締めた。 導官の存在が貴重で、重要だと言いたいのは分かる。 だが、魔法の使える導官にも出来ない事は数多くある。 その出来ない部分を補って支えてくれるのが、同じ公職の武官だと言うのに、多くの導官は武官を軽んじている所があった。 ライアの冷たい言葉は、娘の身を案じているからこそなのだろう。 しかし彼女の妻で、武官のユリウスの心配は、微塵も口にしない所に苛立ちが募った。 「怪我人が多く出るだろうし、俺だけでも怪我しない様にしないとなぁ。まじで気を付けよう」 もう明日から王都を出て北上しなければならないと言うのに、緊張感の無い顔で、俊輔は呟いた。 「……」 何やら毒気を抜かれてしまい、彼女は小さく微笑むと、井戸端にしゃがんで、一緒に皮剥きを始めた。 ノアは以前から、時折屋敷の手伝いをしてくれるのだが、貴族の奥方で野菜の皮剥きをしているのは、彼女だけかも知れない。 「ねぇ、シュンスケさん」 手元のナイフを動かしながら訊いた。 「シュンスケさんは、今回の掃討戦が終わったらその後はどうするの?元いた世界に、帰ってしまうの?」 「それは…」 正直今は、任務の事で頭が一杯で、決断するまでには至っていない。 そう答えると、彼女は桶の中で、冷たい水に浸かった次の野菜を手に取り、眺めた。 「…ユリウス様は、8歳の時にご両親を亡くされたのだけど」 ノアは、訥々と話し始めた。 「15歳になるまで、成人を迎えるまでは、お母上の親戚にあたる貴族が、代わりにキルシュタイン家の当主を務めたの」 彼女の話に耳を傾けつつ、胴着を洗濯篭にしまい、俊輔も桶の中に手を入れて野菜を取り上げた。 ぱしゃ、と陽光に反射しながら、水面が銀色に揺れる。 「代理の当主は、その…酷い方で。キルシュタイン家の財宝の一部や、ご両親の形見の品まで、勝手に持ち去ってしまって」 首飾り等に付けられた宝石はバラバラにして、別物の装飾品に造り変えさせ、売り払った。 「それに、長くここに勤めてくれていた執事も解雇して、屋敷を追い出したの」 優しく真面目な執事を、ユリウスは子供の頃から慕っていたが、親戚の行為を咎めた事で怒りを買い、追い出されてしまった。 「酷い、話ですね」 「彼女は運良く、他の家に雇って貰えたのだけど、ユリウス様は自分が当主になったら、もう一度キルシュタイン家に雇い戻すつもりでした。でも当主になる前に、亡くなられてしまって…」 ナイフを動かす手を止め、俊輔は俯いた。 「ご両親を亡くされて、慕っていた執事もいなくなって…。その頃は、一人でとても心細い毎日を過ごされていたそうです。代理の当主は、そんなユリウス様を連日、貴族達のパーティーに連れ出していました。期限のある自分の権力を、周囲に誇示する為に」 水に反射した煌めきが、ノアの瞳の上で揺らめいた。 「ユリウス様は元々人付き合いが嫌いで、気難しい方ではあるけれど…。そうした事があって、更に他人と距離を置くようになったと思います」 敬愛する両親と執事を失い、広い屋敷で一人、孤独に耐えながら暮らして来たのだ。 まだ、8歳の少女が。 時々書斎に飾られた両親の肖像画を、静かに見つめている彼女の横顔を思い出し、ズキリと胸が痛んだ。 そしてふと、隣のノアを窺い見る。 「…ノアさん。どうして、その話を今、俺にしたんですか?」 なぜ、彼女は急にユリウスの過去を話し出したのだろう。 ノアは黒く縁取られた金の瞳を瞬きもせず見て、穏やかな声音で言った。 「ユリウス様は、とてもお強い方です。でも本当は傷付きやすく、繊細な心を奥底に持った方だと、私は思っています」 「…はい」 ノアの言葉は、自然に俊輔の心の奥にまで届き、水の様に吸い込まれた。 ユリウスと接する内に、彼もどこかでそう感じていたのかも知れない。 「普段は冷静な方なのに、こうと決めたら周りの意見を聞かずに、一人で突っ走っちゃう所もあります。でも、シュンスケさんの言う事は、きちんと聞いてくれていると思うんです」 「そう…、でしょうか」 自信無く首を傾げた俊輔に、真摯な表情で頷いた。 「私は、ユリウス様を支え、お守りしたい。でも、私の力だけでは、あの方には…、届かないんです」 ノアの瞳は揺らぎ無く彼を見つめ、清廉な湖面の如く澄んでいた。 まるで、俊輔の本心を映し取ろうとする様に。 やがて彼女は、密かな口調で訊いた。 「シュンスケさんは、ユリウス様の事、どう思っていますか」 一瞬、心臓が叩かれた様に跳ね上がった。 ざあっ、と強く風が吹いて、森林の葉を撫でながら、二人の髪や衣服の裾を揺らす。 風が収まっても沈黙は続いたが、俊輔は一切、彼女から視線を外さ無かった。 その瞳は強い意志を持って鎮まっており、静かに、口唇を開いた。 「俺は……」 夕刻、いつも通り乗馬の練習を終え、ルーンとアスラに厩舎で干し草や、二頭の好きな野菜を与えた。 嬉しそうに食べる姿を見ながら、微笑みかける。 「無事に帰ってきたら、また乗せてくれよ」 装具を片付け終えたユリウスが、厩舎の入り口から声を掛けた。 「そろそろ戻るぞ」 「はい。今行きます」 厩舎を出ると日中の暑さは大分和らいでおり、太陽は沈みかけていたが、まだ外は明るかった。 熟した柿の様な夕日を遠く見つめ、 お腹空いたなぁ…。 等と能天気な事を考えていると、隣を歩くユリウスが、その気の抜けた顔を見上げて言った。 「今の所、シュンスケはいつも通りだな」 思わずギクリとして、彼女に顔を向ける。 「…晩ご飯何だろうって考えてたの、顔に出てました?」 ユリウスは面食らい、何度か目を瞬かせた。 「いや、そこまでは…。というか、食べる事を考えていたのか、お前。掃討戦を目前にしている割りに呑気だな」 呆れた顔で苦笑され、墓穴を掘ってしまったと後悔し、赤くなる。 「すみません。兵として駄目なのは、分かっているんですけど…。今一、実感が無くて」 自分が戦場に出るなんて、元いた世界じゃ死ぬまで経験しなかっただろうし、ぶっつけ本番の特殊任務も未知数だし。 「まあ、そんなものかも知れないな」 意外にも、ユリウスはあっさり納得してくれた。 「ティドロスと同盟を結んでからは、フラウディルは平和そのものだったからな。シュンスケのように、実感が湧かない兵は多いだろう」 フラウディルが平和なのは、盾となるティドロスが隣にあるからだが、周辺の海もかなり特殊だった。 どんなに頑丈で大きな船でも操作不能となり、たちまち海中に沈んでしまう海域が、国土の周りに多数存在している。 その海域が、フラウの力による物なのか定かでは無いが、わざわざ沖に出て魚を獲ろうとする者もいない程だ。 「地の利もあるし、フラウディルの方が有利な状況ではある。だが、準備して来たのは向こうも同じだ」 ユリウスの言葉を、慎重に受け止める。 「もう戦いが始まる事を、向こうも感じ取っているだろう。グアド族は後がない状況だ。全力で来るだろうから、十分気を付けてくれ」 「はい。分かりました」 毅然と返事すると彼女は微笑み、俊輔の背中を叩いた。 庭園に戻るとノアが二人に手を振って、小さな篭を掲げた。 彼女の元に駆け寄ったユリウスは、篭の中を覗き込んだ。 キルシュタイン家で育てている薬草が育ち、沢山摘み取れた様だ。 喜んでいる二人の姿を微笑ましく見つめ、空を仰ぐ。 まだ薄い夕焼けの色と、訪れ出した淡い夜の色の中に、星が小さく瞬きながら、輝き始めている。 遠い星々に想いを馳せ、目を閉じると、やがて小さく、 ごめんなさい。 と、呟いた。
/39ページ

最初のコメントを投稿しよう!

42人が本棚に入れています
本棚に追加