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14.
翌朝、よく晴れて澄んだ空の下に、キルシュタイン家の使用人全員が立ち並び、戦地に赴く二人を見送った。
「ご武運をお祈りしております」
中央に立つノアが深くお辞儀をすると、全員がそれに倣った。
「では、行ってくる。後を頼む」
ユリウスはいつも通りの冷静さだが、見送るノアとリディルは、どこかハラハラと心配そうだ。
そんな二人に俊輔は柔らかい笑みを浮かべつつ、
「大丈夫ですよ。ユリウスさんなら、伝説のドラゴンも、世界を手中に納める魔王も、一目見ただけで自害するレベルで恐ろしい方ですから」
と、以前から割りと本気で思っていた事を口にした。
「何処の怪物の話だ、それは」
憮然とした表情で隣の俊輔を見遣ると、ノアが我慢出来ずに吹き出し、リディルも使用人達も、くすくすと笑いだした。
「皆、シュンスケさんの事も心配してるんですよ」
笑いながら、リディルは涙で滲んだ目尻を指で拭う。
意図せず笑いが起こった場で、照れながら頭を下げた。
「ありがとうございます。頑丈なだけが取り柄ですけど、気を付けます」
ふと、微笑むノアと目が合った。
互いに力強く頷き合うと、御者のフローラが馬車の扉を開いた。
「それじゃ、行ってきます!」
元気良く手を振り、乗り込む。
ノアもリディル達も、二人を乗せた馬車が見えなくなるまで、見送ってくれた。
正午前、王都の中心を貫く大通りに、大きな歓声が沸き上がった。
中央兵宿舎から戦地へ向け、武官達の行進が始まったのだ。
馬鎧を纏った軍馬に跨がる、竜騎兵達の立てた長い槍が、陽光を受けて一斉に煌めく。
槍の先に結ばれた赤い帯が、風に吹かれて焔の如く靡いた。
歩調を合わせて機敏に進むその後を、豪奢な甲冑に身を包んだ総帥、大将、中将が、軍馬に乗って続く。
フラウディルの鍛冶と、彫金技術で造り上げた精緻で美しいアーメットと、甲冑を纏う勇ましい姿に、多くの国民が目を奪われる。
見送る国民達は広大な大通りの左右を埋め尽くす程おり、将軍達により一層、大きな歓声と拍手を送った。
特に白銀に輝く甲冑を纏った、ユリウスの凛とした美しさは群を抜いて際立っており、見る者の心を、次々と奪って行く。
王都に残る兵士達も国民らに紛れ、ユリウスに高く黄色い声を上げた。
「…凄い声援だな」
行進する武官達に撒かれた、沢山の花びらがはらはらと、俊輔の乗る幌付きの荷馬車にも舞いこんで来た。
彼は野営で使う天幕や食料等が所狭しと積まれた馬車内で、端に備え付けられた椅子に腰掛けている。
外は将軍達が通る度、割れんばかりの歓声と、黄色い声がドッと上がり、自分の声が聞こえなくなる程の騒ぎだ。
「フレイトスさん。俺達は、鎧着なくていいんですか?」
向かいに座るウユラに訊いた。
彼女はいつもの真っ黒いローブだし、俊輔もいつもの、軽やかな兵卒用の服を着ている。
ウユラは、銀縁の眼鏡を押し上げた。
「掃討戦は明日だからな。この行進は兵の士気を高め、国民の感情を一つにする為の、イベントみたいなものだ。私達は戦場で直接戦う訳では無いし、これで良い」
「なるほど…」
ユリウスに向けられた、やたら野太い黄色い声が聞こえる。
もしかすると、ゴンチェとムッチョかも知れない。
荷馬車の幌は後部が大きく開いており、そこから後続の荷馬車や、行進する兵士達の姿が長く続いているのが見えた。
野戦病院へ向かうアリシアも、どれかに乗っているのだろうか。
つと、自分の名前を呼ぶ声が喧騒の中、耳に届いた。
「…シュンスケ~!」
「オルデールさん!?」
隊列の後ろから、一際目立つ橙色の見事な髪を靡かせ、キースに乗ったオルデールが荷馬車に近付いて来た。
支柱を掴みながら荷馬車の後部まで行くと、馬上から俊輔に包みを投げた。
しっかりと胸で受け取め、彼女を見据える。
「それ、あげるから良かったら使って!帰って来たら、また遊びに連れてってね~!」
太陽より明るい笑顔で手を振り、さっと馬首を返すと、彼女は颯爽と去っていった。
「…ありがとう!」
ド派手だが、良く似合う深紅の上着を着た彼女の背中と、キースの勇ましい後ろ姿に手を振る。
貰った包みを開けてみると、鞘付きのダガーが現れた。
普段俊輔が使う物より、少し刃の幅が広い。
一目で、由緒正しい貴重な品だと分かった。
鞘も柄も緻密な草花の彫刻が施されており、鞘から引き抜くと、剣身そのものが発光しているかの如く、青白く輝いた。
興味を引かれたウユラも身体を乗り出し、ダガーを覗き込む。
「鞘と柄頭に、ラヴェル家の紋章があるな。彼女の家に伝わる財宝の一つだろう。それに…、古に掛けられた強い魔力を感じる」
二頭の軍馬とフラウ・エレンディルの木が、ラヴェル家の紋章の様だ。紋章の周囲はルビーで縁取られてある。
「オルデールさん家の財宝を、俺が貰っちゃっていいのかな…」
先程まで宝物庫で大事にされて眠っていたであろうダガーには、ずしりとした重み以上の物がある。
受け取って良いものか悩んでいると、ウユラはふっと笑みを溢した。
「いいんじゃないか?少しでも君の助力になりたいと思ったのだろう。有り難く受け取っておけ」
「はい。大事にします」
胴着を入れた荷物に、ダガーをそっと仕舞う。
「モリヤ。任務の進行内容は覚えたな?」
掛けられた言葉に、頷いた。
「女王を誑かす事は、出来そうか」
うっ。と息が詰まる。
少しだけ、耳が赤くなった。
「…かなり、勉強はしました」
ふむ。と何事かを思案する彼女の眼鏡が、キラリと反射した。
「モリヤは転生した際に、特殊な能力を授かったと聞いたが」
「はい。それが何なのかは、まだ、分からないんですけど…」
転生したばかりの頃、自分の能力が分からず、焦って落ち込み、悩んだ時もあった。
もう、随分前の出来事に感じる。
「モリヤはグアド族に特化した能力を得たのではないかと、私は思っている」
「グアド族に?」
彼女は自分の考察に、揺るぎ無い自信がある様子だった。
「君は非常に魅力的な、グアド族の戦士に見える。唯一の雌である女王は、その色香と逞しい身体に、たちまち溺れるだろう」
表情を一切変えずに言われ、顔を顰めた。
彼女なりに褒めているつもりなのかも知れないが、全然嬉しくない。
「もし本当にそれが与えられた能力だとしたら、かなり嫌なんですけど…」
グアド族が人間なら、まだいい。
以前ユリウスに見せて貰った絵姿は、どう見ても人では無く、妖怪だった。
「明日になれば、分かるだろうがな…」
ウユラは、後方の景色を見遣った。
荷馬車はいつの間にか、高く厚い城壁を備えた正門を過ぎようとしている。
多くの人々の歓声や、彼女らの無事を願う祈りの言葉は、まだまだ止みそうに無かった。
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