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15.
以前ピクニックに行った時に見た、小麦畑や風車を更に越えた先のエルニス平野には、すでに天幕が随所に設置されており、戦前の準備をしている兵士らの姿があった。
平野は所々にポツンとした森林と草原が広がっており、戦地となるもっと拓けた場所は、この先となる。
フラウディルの最北には鉱山が横に拡がっており、グアド族が占拠したグリフィス鉱山は、西側にあった。
小さな天幕を張り終えると、そのまま食べられる軍用の携帯食料と、水の入ったカップを、ウユラが手渡してくれた。
やたら固くて素朴な味がするそれを齧りながら、夕暮れに染まる野営地を二人で眺める。
俊輔は天幕から出てきた兵が、見慣れない武器を担いでいるのを見て、咀嚼する事に疲れた顔のウユラに尋ねた。
「あの天幕から出てきた兵士、みんな大きい武器持ってますけど、あれは何ですか?」
「…あれは、大鎚だな。グアド族が造る、大型戦場兵器を破壊する為に使う」
噛み砕いた食料を水で流し込み、そう答えた。
「破壊する兵器って、投石機とかの事ですか?」
「いや、カノン砲を破壊するのに使う」
あっさり言われ、俊輔はやっと噛み砕いた食料を吹き出しそうになった。
「それって、鉄で出来た大砲の事でしょ!?そんな物を、大鎚で叩き壊すって言うんですか」
そんな話、自分の世界では聞いた事がない。
固すぎて食欲が失せたウユラは、食べかけの食料を俊輔の手のひらに置いた。
「ただの大鎚では無い。強化付属を掛けているからな」
「でも…」
強化しているからと言って、そんな事が出来るものだろうか。
ふと、ユリウスやアルディナのやらかした、偉業の数々が脳裏に浮かんだ。
…いや、彼女らだけでは無い。
ほぼ全てのフラウディル人が、俊輔の常識や毎日の涙ぐましい努力を簡単に覆し、凌駕してしまう程の、恐るべき怪力を持った女性達だ。
( 確かに、ここの人達なら鉄の塊でも、人力で粉砕出来ちゃうんだろうけど… )
奇天烈な策でも、妙に納得出来てしまう前例がありすぎた。
たまたま、大鎚を担いだマッチョの兵士が二人の傍を通りがかったので、貸して貰った。
巨大なハンマーの様な武器を両手で持って掲げ、一振りしてみる。
重く、空気を裂く音がした。
「結構、きついな」
自分にも使えそうだが、これを持って戦場を駆け回り、カノン砲をいくつも叩き壊して行くのか…。
と、想像しただけでげんなりしてしまう。
大鎚を礼と共に返すと、ウユラの眼鏡がキラリと反射した。
「我が国にもカノン砲はあるが、威力はグアドの方が上だ。遥か東の技術で造り上げた野砲は、サンプルが一つあればいい。今後の事を考え、奴らの兵器は残らず粉砕し、グアド族は一掃する」
フラウディルから盗んだ鍛冶技術と、東の技術で造り上げた兵器を、他国が手にする訳にはいかないのだろう。
当然、その知識を持つグアド族も、生きて逃がす事は出来ない。
( それに、俺が女王を倒さないと、グアド族を倒して退けても…。意味がないんだよな )
そこに漸く思い至り、今頃になって緊張を昇らせ、身体を固くした。
神妙な顔をしている俊輔を見上げ、ゴツゴツした腕をポンと叩く。
「開戦は早朝だ。今日はもう、寝るぞ」
大きく伸びをして、彼女は天幕の入り口を潜った。
ハンモックに似た、簡易ベッドに身体を横たえてみたもののなかなか寝付けず、短く浅い眠りと目覚めを、何度も繰り返した。
ようやくウトウトし始めた頃に、空がうっすらと青く明るみ始め、何頭かの軍馬が、遠くで短く嘶くのを、夢の中で聞いた。
他の天幕から起き出す兵士達の気配で目覚め、のっそりと上体を起こす。
寝たような、寝てないような、重い怠さを全身に感じた。
( フレイトスさん、良く寝てるな )
薄手の布団にくるまり、すやすや寝ているウユラを起こさぬ様、裸足のまま天幕を出る。
外の薄暗さから、朝日が姿を見せるまではまだ時間がかかりそうだ。
皮袋に入った水を手のひらに少し溜め、顔を洗う。
それだけでも、気分は大分マシになった。
ふいに、濡れた顔の前に布が差し出された。
受け取り顔を上げると、いつの間にか、軽装のユリウスが傍に立っていた。
まだ結んでいない銀の髪が風に揺れ、薄暗い中でも仄かに光を放っている。
朦朧とした頭も眼も、醒めた気がした。
「お、おはようございます」
「おはよう。…その顔だと、余り眠れなかったんじゃないのか?」
言い当てられ少し迷ったが、正直に頷いた。
布で押さえながら顔を拭き、立ち上がる。
「顔色が悪い。眠れない位に、重要な役目を背負っているんだな」
「はい…」
萎れ、項垂れた俊輔の頭に、ユリウスは指を櫛通した。
最初は全体的に黒っぽかった彼の髪が、ここ最近は紅く変じて来ている。
「昨日の行進の時から急に、色々、考えてしまって…」
ー今頃怖じ気付いたのだろうか?
不安が常に自分の心をざわざわと蝕み、頭は霞がかって明瞭とせず、足元は浮いているみたいに、感覚が薄い。
( 何で俺、こんなに気弱なんだろう。少しは強くなれたと、思ったのに )
昨日の行進で国中の人々が、掃討戦に参加する武官と導官達に、沢山の声援を送ってくれた。
それに勇気付けられたはずなのに、応援されればされる程、萎縮してしまう自分がいる。
それに。
ーもし、自分が今日の任務に、失敗したら…。
今回の掃討戦で怪我をしたり、命を落とす兵に対して、何と謝ればいい。
わざわざ異世界から、この国の助力となるべく召喚されたと言うのに、自分が作戦を達成出来なかったせいで、彼女達のこれまでの努力や、人生を台無しにさせるのは、嫌だった。
始まる前からすでに悪い方向へと考えてしまっている俊輔に、ユリウスは腕を組んで、ピシャリと言い放つ。
「シュンスケッ!背を伸ばして、しっかり顔を上げろッ」
「ハイィッ!」
鍛練の時と同じ厳しい表情と口調で叱りつけられ、光の速さで姿勢を正した。
「緊張感をある程度保つのは良い事だが、お前の場合、気負い過ぎだ。それでは、瞬時に正常な判断がつかなくなる」
ユリウスの蒼い双眸には、見る者の心を鎮める冷静な光と、勇気付け、鼓舞する強い光が同時に宿っていた。
それが、不安で揺らめく金の瞳と、しっかり重なり合う。
ふっと、彼女の表情が柔らかいものに変わった。
「お前がそこまで気負う必要は無いのだ。異世界から、私達を救う為に来てくれた事と、今回の任務の成否には、関係が無い」
「……!」
俊輔の心が、衝動を受けて大きく揺さぶられる。
纏わり付いていた不安が、ぽろぽろと、剥がれ落ちて行く気がした。
「他の兵士の心配はするな。戦う事が我々の務めなのだからな。お前はただ粛々と、任務を遂行すればいい。仮に失敗したとしても、責任は私達の方にある。当たり前の話だが」
「ユリウス、さん」
痛い位、締め付けられていた心が緩んだ途端、じわっと目が潤んで、うっかり泣き顔に歪んでしまった。
見られるのを恥じ、手で覆いたくなったが、俊輔の大きな右手をユリウスは両手でしっかり握り込んだ。
自分に責任が無いと言われた事に、安堵した訳では無い。
俊輔の心を汲み、彼の不安の原因が何であるかを読み取って、背中を押してくれた事がただ、嬉しかったのだ。
「全く、呑気な奴かと思えば…。自分の事より、他人の心配ばかりしているな、お前は」
俊輔は自分の本心や、心の痛みに気付くのは鈍感で、言葉にして自分の気持ちを人に伝える事も、下手だった。
笑うユリウスを見ていると、強張っていた表情も瞳も、次第に解けて和いでいった。
彼女に言葉以上の気持ちを伝えたくて、白く滑らかな両手を、空いた手で掬い、そっと包んだ。
もう一度、互いの視線が間近な距離で重なり合う。
「ありがとうございます。ユリウスさん」
ー鼓動が、小さく跳ねる。
照れ臭そうに微笑んだ頃には、先程までの身体の怠さは解け、柔らかな草と土の感触を足裏に感じ取っていた。
「…ねぇ、フレイトスちゃん」
白みだした空の下、二人のやり取りを見ていたミュレイは、天幕の入り口に立つウユラに、顔を向けた。
「あの二人って、どこか似てると思わない?」
天幕の間を縫う様に、風が吹き抜けて行く。
ウユラのローブの裾が音を立てて靡いた。
「ええ。とても、興味深い二人ですね」
身体を折り畳んでしゃがんでいるレメディも、微笑んでいる姿を珍しそうに見上げた。
「互いに、良い影響を与えている。モリヤ君を引き受けたのがユリウスでは無かったら、今とはまた、状況が違っていただろうな」
レメディの言葉に目を閉じて、同意を示した。
「正に導かれたのでしょう。きっと…、フラウの御意志によって」
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