16.

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16.

ドン……。と重い、腹の奥底にまで響く太鼓の音が、北の方角から絶えず聞こえて来た。 低いその音は、無数の蛇の如く地を這い、平野に寸分の互いもなく、横並びに隊列を組んだ二万のフラウディル兵達の足元を潜り抜けて行った。 黒金の甲冑と、暗紅色のサーコートに身を包み、炎の様な紅い髪を靡かせた総帥、レメディ・グラシアルは、白毛の軍馬に跨がり、太鼓の音など物ともしない声量で、兵士らに檄を飛ばす。 「三年間、我々はこの時を迎える為に、日々研鑽し、心血を注いで準備をして来た」 彼女の声は、驚く程良く通った。遥か後方の兵士らの耳にまで届き、心を強く奮わせる響きがある。 「全ては、東より流れて来た、暴虐極まりないグアド族を一掃する為だ。奴等は、こちらの再三に渡る話し合いにも応じず、我が国の領土に今も居座り、我々の財産を強奪し続けている」 緊張に身体を堅くしていた兵士らの心に、闘志の炎が小さく灯った。 その小さな炎は、レメディの発する言葉にふいごを掛けられ、勇気と力を与えながら、拡がって行く。 「奴等にこの地にやって来た事を後悔させ、骨の髄まで、フラウディル兵の毅さと恐ろしさを、刻み付けてやるのだ」 レメディに呼応するかの様に、兵士達の間で、応!と大きな声が一斉に上がった。 それは、大地を震わせる程の大きなうねりとなり、北で隊列を組んでいるグアド族らを震撼させた。 「奴等が逃げ惑おうとも、命乞いをしようとも、一切の慈悲を与えるな。全てのグアド族を殲滅せよ!」 ミュレイとユリウスが剣を掲げると、刃が登り始めた陽光に反射して、戦場に精彩な煌めきを放った。 それを合図に、全ての兵士らの武器が天空に掲げられ、割れんばかりの鬨の声が上がる。 待ち受ける北のグアド族らも、フラウディル兵に負けず劣らず、大きな鬨の声を上げ、彼らの起こす足踏みで、大地が震動した。 ( 始まった…! ) フラウディル兵とグアド族の上げる声、両陣営が大地を駆け出す凄まじい激震を受け、俊輔の身体はビリビリと奮えた。 彼は今、司令室となる天幕に繋がったもう一つの小さな別室におり、ウユラは鎧を身に付け終えた彼を、上から下まで検分した。 「…うむ。どこからどう見ても、勇敢なるグアド族の兵士だな」 任務の為、グアド族の鎧を纏った俊輔の表情は、どこか浮かない。 「いいんですけど…。何か、原始的な鎧ですね」 グアド族の鎧は、謎の骨や皮、緑色の滑りを持つ、大きな鱗で出来ていた。 フラウディル兵は西洋風の格好いい甲冑姿だし、将軍らは甲冑の上に、フラウディル国とそれぞれの家の紋章が入った、丈長のサーコートを重ねている。 これがまた、自分の鎧とは違ってかなり格好いい。 「よく似合っているぞ。怖い位に。グアド族の鎧には、死んだ仲間の骨や皮、鱗が使われていて、これがとても理にかなっているのだ。奴等の骨と鱗は、鋼鉄と同じ位の強度を誇るからな」 「この鎧、死んだグアド族で出来てるんだ…」 聞いた事を少し後悔した。 「腕輪と、毒は持ったな」 ウユラの念押しする言葉に、はい。と返す。 鎧の下に、強化付属が掛けられた黒地の胴着を身に付け、左腕には、ウユラに一度だけ文書を届けられる腕輪。 毒は、革と鉄で出来た頑丈なポーチに二つ、密閉された状態で入っている。 ポーチを腰裏の位置でベルトに通し、オルデールのダガーを、そのポーチの間に挟む。 鞘に付いた紐でベルトに結んで、しっかり固定した。 「これが、グアド族の武器か」 ウユラから受け取った武器は、片刃でやや細身の剣身をしており、日本刀の様な緩やかな反りがある。 「奴等はシミターと呼んでいるが、ファルシオンと同じ片手剣だな。使う機会が無ければいいが」 「そうですね…」 天幕の外からは、戦場と離れているとは言え、交戦する武器の音、怒号や野砲の発射し合う激しい音が絶えず聞こえて来る。 「任務はタイミングが命だからな。もう少し、奴等が追い詰められるまで待つ」 はい。と答えると、ウユラに司令室まで連れて行かれた。 司令室には三人の将軍と、戦況をやり取りする為の導官らが控えており、戦場の状況を地図で把握しながら指示を出していた。 グアド族の鎧を纏った俊輔が入室すると、天幕にいた全員が話を止め、一斉に彼に注目した。 窺う様な視線と、突如として降りた沈黙に、ギクリと身体を強張らせる。 「あ、あの」 原始的な鎧が、やっぱり変なのだろうか。 全員が見事な甲冑を纏っている中、俊輔だけ浮きまくっている。 気まずい沈黙の中、動けないでいると、 「あら…。良く似合っているし、とても素敵よ。モリヤ君」 山吹色のサーコートを纏ったミュレイが、意外にも真面目な表情と口調で彼を褒めた。 驚く事にレメディも、彼女と同じ反応を示した。 「ふむ。モリヤ君から、妙なる魅力を感じるな…。我々フラウディル人は、男性に興味は持たないはずなのだが」 「雄の魅力、と言うやつかしら。身体の奥から、滾って来るものがあるわぁ~」 ミュレイの熱い視線がうっとりと、俊輔の鍛え上げられた身体を眺めている。 「グアド族の鎧、着ただけですけど…」 グアド族の鎧はフラウディル兵の様に、全身が防具で覆われている訳では無い。 彼の、普段は隠れている腕や脚の筋肉、均整の取れた骨格、堅い煉瓦色の肌が直に見え、ミュレイは興奮覚めやらぬ様子だ。 このまま行くと、抱き締めついでにサバ折りされそうだ…。 助けを求め、レメディの傍らに立つユリウスに視線を送る。 しかし彼女も、俊輔の逞しい鎧姿から目が離せないらしかった。 二人の視線がやっと合わさると、ユリウスは恥じ入り、顔を逸らせてしまう。 そんな彼女を目の当たりにした俊輔は、何だか落ち着かない気分になった。 「君のその姿は、将軍達にとって目の毒の様だな」 なぜか得意気にウユラが言って、危うい雰囲気の将軍達から隔離する為に、俊輔を別室に連れ戻した。 戦場では、グアド族側のカノン砲は、とんでもない方法で少しずつ破壊されて行った。 竜騎兵らの長い槍は、カノン砲を越えて砲手を貫き通し、しぶいた血が辺りの空気まで赤く染め上げる。 大鎚を振るうフラウディル兵を数名のグアド族らが襲いかかり、持ち主を失った大鎚は後続の兵が拾い上げ、果敢に野砲を破壊して行く。 戦況を聞いたミュレイが右手を上げると、彼女の配下が一礼し、別室に隔離された二人を呼んだ。 将軍達の前に再び立たされた俊輔は、ミュレイの配下とウユラの手で手際良く、身体を後ろ手に縛り上げられてしまう。 「…ッ」 見事な筋肉を纏った雄々しい身体に、荒い縄が音を立て、痛々しく食い込んだ。 されるがまま、いじらしく耐えている姿に、方々から熱い視線が注がれる。 最後に猿轡を噛ませ、ウユラは正面に立った。 「うん、こんなものかな。痛くはないか?モリヤ」 「ひょっほ、いはいれふ」 フガフガしながら正直に答える。 ウユラの眼鏡が、キラリと反射した。 「良し、痛く無いな。モリヤ、健闘を祈る」 「ひょっほぉ~!」 ガチガチに縛られた俊輔は、レメディとミュレイの明るい声援を受けつつ、兵士達に天幕から引き摺り出された。 連れ出される際、心配そうなユリウスと目が合ったが、言葉を掛ける間も無く、天幕の入り口が閉じられてしまう。 「…ここまでしないと、いけないんですか」 きつく縛られた俊輔を見て、ユリウスは軽く引いていた。 「ええ。敵を信じ込ませる為には、必要な事です」 無感情にウユラが答えると、表情を曇らせた彼女の肩に、ミュレイが手を置いた。 「長い人生だもの。ああやって荒縄で縛り上げられる事位、誰にでもあるわよぉ~。ユリウスったら心配性ねぇ」 「そう、でしょうか」 それでも不安そうに天幕の入り口を見遣ると、ミュレイは口元を吊り上げた。 「モリヤ君は、心根が優しくて、可愛いだけの子では無いわよ」 「それは…」 言い淀み、俯いてしまう。 くすっ。と艶やかな笑みを溢し、ミュレイは再び、うっとりと瞳を潤ませた。 「あなたも薄々感じているんでしょう?あの子の奥底に眠っている獣性に。そもそも、毒にも薬にもならない平凡な子が、魔法書に選定される訳が無いもの。私もレメディも、獣の本性を解放したモリヤ君をもっと見たいと思っているのよ」
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