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大陸西の最果てに在る、フラウディル国。 その南部に位置する、王都で最大の中央兵宿舎。 広大な敷地内にある習練場の一角で、刃が空を斬る音と、踏み固められた土の上で、時折たたらを踏む音が響いている。 そこでは互いにダガーを逆手で握った二名の兵士が、訓練の真っ最中だった。 ダガーの刃は真っ直ぐな両刃となっており、ロングソードをそのままミニチュア化した様な、軍事用の武器だ。 二名の兵士の一人、俊輔は相手の間合いに入らぬ様、常に移動しながら慎重に攻撃のチャンスを待つ。 相手の武器を奪う、落とす、急所への寸止めと、正方形に区切られたエリア外に、押し出した者が勝者となる。 しかし俊輔は慎重になる余り、いつの間にかエリア隅まで追い詰められていた。 彼の焦りを感じ取ったのか、畳み掛けようと、相手の攻撃が更に敏捷になる。 真横に空を裂いた切っ先を、紙一重で下に避けた。そのまま転がり抜け、身を返して構え直す。 直ぐさま、相手も身体を翻し追撃して来たが、彼の判断の方が僅かに早かった。 頭上から振り下ろされた攻撃を巌の様な腕で防御すると、素早く相手の腕を挟み込む様に、関節を捻り上げる。 相手のダガーを持った右手が、捻られても尚、彼の頭を狙って切っ先を向けた。 それに気付いて体勢を変え、更に両腕で強く捻る。 とうとうダガーは落ちて、二人の足元で小さく跳ね返った。 「…参った!」 苦痛の篭った声で相手が負けを認めると、俊輔は腕を放して落ちたダガーを拾い上げた。 「今日は、3勝7敗か…」 流れる汗を拭い、上がった息を整えていると、革の小手を装着した手の平が彼の目の前に差し出された。 「シュンスケ!立ち回りが凄く、上手になったな」 衒いの無い笑顔でダガーを受け取ったのは、同じ部隊に所属する二等兵、リナ・ジェイドだ。 同じ17歳で、彼女はさっぱりとした明るい性格をしている。 リナは、俊輔が元居た世界の幼なじみである北野透に、少し雰囲気が似ていた。 「ダガーって、兵士がメインで使う武器ってイメージが無いんだけど、こんなに習う意味あるのか?」 ここ最近はダガーを使った戦術を、かなり重点的に練習している。 メインの武器とは別に、ダガーを装備する兵は多いが、少し疑問に感じていた。 「ああ、そっか。シュンスケはまだ、王都の警備はやってないんだっけ」 リナは革で出来た鎧と小手を外し、壁に取り付けられたフックに、それらを引っ掛けた。 同じ様に、俊輔も自分の防具を外して仕舞う。 「ダガーってさ、誰でも持ってるだろ?王都を警備していると、ダガーを持った奴と対峙する事の方が多いんだ。酔っ払い同士の喧嘩とか、痴話喧嘩の仲裁なんかでね」 ダガーは護身用の武器として、あるいは鋏の代わりに、一般の国民も日常的に良く使う物らしい。 「なるほど…。そういう事か」 納得すると、リナはニヤッと笑った。 「その内、当番が回ってくると思うけどね。お上品な南部以外は、血の気が多い奴がゴロゴロいるから注意しろよ。盗賊もいるしな」 盗賊。と聞き慣れない単語に、思わず反芻した。 俊輔は国の中枢と言える南部から、まだ出た事がない。 南部には海沿いに王宮があり、女性のみで繁殖を成り立たせている不思議な木、フラウ・エレンディルの木と、それを護る、国で一番大きく歴史のある中央大聖堂があった。 その聖堂を挟む様に、魔法を扱う公職、導官のアカデミーと、国を守る軍人、同じく公職の、武官のアカデミーがある。 彼が今居る中央兵宿舎は、武官アカデミーと同じ敷地内にあった。 大多数の貴族もこの南部に住んでいる為、フラウディルの人達は、国の中枢部という意味合いで、この地域を中央と呼んでいた。 ー守屋俊輔、17歳。高校二年生。 平凡な男子高校生でしか無かったが、ある日いきなり魔法書の選定により命を失い、異世界であるこの国に、助力をもたらす存在として転生した。 転生した際、元の身体とは全く違う筋骨隆々とした、煉瓦色のマッチョな大男へと生まれ変わり、すぐには死なない程度の頑強な身体を手に入れた。 しかし、外見は大きく変貌したものの、中身は元の自分と全く同じで、気弱な割りにどこか能天気な性格も変わらないままだ。 武器庫にダガーを返却すると、習練場の入り口から、同じ部隊に所属する二等兵、ミリア・レンスに声を掛けられた。 「そろそろ夕方になるよー!シュンスケは、明日から休暇でしょ~?早く準備しないとー」 「分かった!今行く」 手を上げて返事をした。 「そういや、一ヶ月ぶりなんだっけ?キルシュタイン将軍の邸宅に戻るの」 頷き、俊輔はこの世界にやって来て、初めて出会った人の事を、頭に思い浮かべた。 王族からの命で、彼に与えられた能力や技能を見極め、その身を預かり受ける為に召喚に立ち会った女性。 ユリウス・キルシュタイン。24歳。 キルシュタイン家は、数多くの将軍を生み出した武官の名門貴族で、彼女は当主である。 普段は、真面目で冷静沈着。 幻想の世界にしか存在し得ないのではないか…。 と、錯覚を覚える程、類稀な美貌を持っているが、繊細で儚く映る外見に反し、人間の理解を越えた力と、武術の技能をも兼ね備えていた。 軍の上層部である五将の内、彼女は中将の階級を持っているが、毎日の鍛練で、更に技能を磨く事が何よりも好きと言う、変人でもある。 そんな彼女の結婚式の日、俊輔は軍の最高責任者である総帥、レメディ・グラシアルに、入隊を勧められた。 その時に言われた特殊任務というのが、どんな内容なのかはまだ聞かされていない。 所属する部隊のメンバーも何も知らない様子だし、ひとまず空いている隊に入れられたといった感じだった。 「夜になると、宿舎の門閉まっちゃうから急ごう」 リナと早足で、宿舎の方角へ向かう。 (何だか、あっという間だったな) 俊輔が入隊の意を示すと、直ぐに手続きが行われ、準備もそこそこに、使用出来る宿舎と部屋が慌ただしく決まった。 兵卒は当然、尉官より下の階級を持つ兵は、宿舎で生活をする事がほとんどで、家に帰れるのは月に一度位だ。 部隊内で交代で休暇を取る事になっており、彼は明日と明後日の二日間、休暇を貰った。 本来ならもっと休暇があるらしいのだが、グアド族という東から流れてきた人外の種族との戦闘が近い為、軍は今、全体的に忙しい状況だ。 新人の兵卒に至るまで、技術の向上を求められている。 ちなみに、俊輔はフラウディル人からすると、人外のグアド族に、よく似て見える…らしい。 二人が兵宿舎の広々とした廊下を歩いていると、不意に物陰からピリピリした、冷たい視線を感じた。 「?」 見ると、同じ兵卒で年の近い、ムッキムキの筋肉を持つ大柄な女子二人が、壁に凭れながら、こちらをギロリと睨んでいる。 「うわっ…。ゴンチェ(チェルシー・ヴィゴット)と、ムッチョ(チョコラ・エリアム)だ。あいつら鬱陶しいから、目を合わせるなよ」 リナは腕を引っ張りながら、隣の俊輔に小声で囁く。 武官アカデミー出身者は軍に入っても、アカデミーに居た頃のあだ名で呼ぶ事が多い。 「あの二人と俺、絡んだ事無いはずなんだけどさ…」 俊輔は彼女達から、廊下ですれ違い際に足を引っ掛けられたり、食堂でデザートのベリーを背後から毟り取られる等の、古典的な嫌がらせを受けていた。 ゴンチェとムッチョとは別部隊だし、第一、まだ面と向かって話した事も無い。 それなのに、なぜ嫌われているのだろう。 理由が分からず困惑していると、リナは苦笑した。 「シュンスケは、目立つんだよ」 「…目立つ?俺がグアド族に似てるからか?」 「いや、そうじゃなくてさ…」 リナが言い掛けたその時、二人が歩く廊下の奥で、ざわめきが広がった。 兵士達が道を開け、次々と跪いて行く。 将軍方だ。との密やかな囁きが、二人の耳にも届いた。 見ると准将のフィクス・レインと、少将のアルディナ・ヴィンセット、中将のユリウスが、こちらに向けて歩いて来る所だった。直属の配下らも、背後に付き従っている。 将軍達の登場に周囲の空気がキリリと引き締まり、重厚さを増した。 異次元とも呼べる力と才覚を持ち、格の高い貴族出身である彼女らに畏敬の念を持って、兵士達は跪いて行く。 「ん」 「あ」 廊下が拓けた事で、向こうのユリウスと目が合った。 俊輔も周りに倣って跪き、一月ぶりに会う彼女から動揺を隠す様に、顔を臥せた。 ユリウスは、鮮やかな瑠璃色の上着に、白銀のブリーチズに同色のマント、膝上まである革のブーツを履いている。 絹糸の様に細く滑らかな銀の髪を、今日は珍しく高い位置で結んであった。 相変わらず全く飾り気の無い、質素な装いだが、見る者の心を鷲掴みにしてしまう輝きと、清廉な美しさを備えていた。 互いに忙しく、会う機会が無かったせいか、妙に緊張してしまう。 彼女達の立てる規則正しい靴音と、装飾品や鞘の揺れる涼しげな音が、通り過ぎるのを静かに待つ。 一人分の靴音が、俊輔の近くでピタリと止まった。 「……?」 跪いた自分の影が、他者の影と重なり、膨らむ。 「シュンスケ」 凛とした声で名前を呼ばれ、はっと顔を上げると、目の前に片膝を着いたユリウスがいた。 「…!?ユリウス、さ…っ」 硝子細工の花の様な美貌を、いきなり間近に見てしまった俊輔が狼狽えると、彼女は白い手を伸ばし、砂の付いた頬を拭った。 拭われた際、ひんやりとした滑らかな肌の感触と、仄かに甘い、花の香りが届いた。 「明日から、休暇だな。門の前で待っていなさい。一緒に帰ろう」 良く通る綺麗な声に、俊輔も周りも、跪いたまま陶然と聞き惚れてしまう。 蒼いサファイアの瞳に見つめられ、震えを抑えながら頷くと、彼女は大輪の花の如く、麗しい微笑みを咲かせた。 「では、また後で」 「はい…」 目の前でマントの裾が翻り、ユリウスは軽やかな靴音を立てながら立ち去った。 将軍達の姿が見えなくなっても、廊下には浮わついた空気が残った。 しかし興奮が落ち着くと、その場にいた兵士らが、じろりと俊輔を睨んだ。 突き刺さる視線が一斉に集中し、縮こまってしまう。 一部始終を覗き見ていたゴンチェとムッチョも、今にも絞め殺しそうな顔で、ギリギリと歯軋りしている。 「キイィィィ~ッ!何よ、あいつ!庶民のくせに、ちょっと異世界人だからって、調子乗ってんじゃないわよォ~!!」 「私達みんなのユリウス様なのにぃぃぃ!グアド族の作った適当な案山子みたいな顔して、腹立つわあぁぁ!」 「………」 ポン。とリナに肩を叩かれ、我に返った。 きつい嫉妬の視線を、全方位からビシビシ受けながら、そそくさと自分達の部屋を目指す。 「…な?だから、目立つって言ったろ」 人垣を抜けてから、リナが言った。 「キルシュタイン将軍と言えば、私達武官にとって、憧れの存在だもん。その将軍と一つ同じ屋根の下で暮らしてて、手取り足取り密接指導受けた奴なんて、他にいないんだからさ」 言ってる事は間違って無いはずなのに、何だろう。この違和感は…。 「手取り足取り密接指導、って。そんな、キャッキャウフフしたもんじゃないぞ…」 俊輔が剣を扱い慣れてからは、ほぼ毎回、容赦無く半殺しにされて来た気がする。 甘いラノベ的展開など、そこには全く存在しなかった。 表情を強張らせた彼を見て思い出したのか、リナはそう言えば。と呟いた。 「尾ひれの付いた噂話だと思ってたけど…。キルシュタイン将軍が強すぎて、お相手を出来る兵士がいないとか。ご自分の近衛隊員でも、同じ五将でも、お相手するのはきついって。やっぱ本当なんだね」 「どこの世紀末覇者の話だ、それは」 噂どころか、身をもってその恐怖を体験している俊輔である。 ー将軍達は、それぞれ三百名余りの近衛隊を有している。 兵を自由に動かして良い上に、主の命令を最優先に出来る権限を、彼女達は持っていた。 先程、廊下ですれ違った配下らは、近衛隊の隊長で、数多いる武官の中でも選び抜かれた精鋭であり、五将と同じく、兵士達の憧れの的となっている。 ( それにしても、何なんだろう、この状況は。女性のユリウスさんを巡って、男の俺が、女の子達から嫉妬と嫌がらせを受けまくるって何だよ。俺自身は、全くモテないって言うのに…! ) 女性しかいないこの国は、同じフラウディル人同士が婚礼の儀を経て、フラウ・エレンディルの木に祈らないと、子供が出来ない。 その為か、他国の女性、男性には全く魅力を感じない特性をフラウディル人は持っていた。 部屋に戻り、汚れた顔を洗って着替え、屋敷に持って帰る荷物を手早く纏める。 「それじゃ、一度帰ります」 「お疲れ。またなー」 他の隊員達にも挨拶し、門を目指して駆け出した。
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