2.

1/1
前へ
/39ページ
次へ

2.

中央兵宿舎の門近くには、馬を繋いで休ませておける、広い停留所がある。 そこにキルシュタイン家の紋章を持つ馬車が停められており、御者のフローラが俊輔を見付けて、大きく手を振った。 「シュンスケさん!お疲れ様です」 「フローラさんも。ありがとうございます」 フローラは、キルシュタイン家で飼われている馬の世話を担っている、使用人の一人だ。 「ユリウス様も、そろそろだと思うんですけど…」 一緒になって見渡すと、丁度、大通りの向こうからユリウスがやって来る所だった。 手を振る二人の姿に気付き、歩みを早めた。 「すまない。待たせたか」 「いえ、俺も今来た所です」 「そうか」 キリリとした気品を湛えたその姿は、端から見ると美麗なる貴公子、といった風情だが、紛れもなく女性である。 かなりの長身で、軍服に似た衣装を着こなしている為、彼は初め、彼女を男性だと勘違いしていた。 「元気そうだな」 乗り込んだ車内で言われ、俊輔は頷いた。 「はい。ユリウスさんもお変わりありませんか」 同じく頷き、向かいに座る大柄な彼の姿を眺めた。 顔も身体も日に灼けて、健康的に引き締まり、それでいて、身体の筋肉は以前より厚みと、強度を増している。 「更に、精悍な顔付きと身体になった。毎日、訓練浸けだったのか?」 「はい。俺は、武官のアカデミーを卒業していない素人同然なので…」 中央兵宿舎に居る兵士達は、ほとんどがアカデミーを卒業した武官の貴族と、能力の高い優秀な兵士ばかりが集められている。 これまで普通の高校生として生きてきた俊輔は、周りに付いて行くだけで必死だった。 皆が寝静まった後でも筋トレを行い、皆が起き出す前から、一人で技を磨いて来た。 そもそも、フラウディル人は元々戦闘力が高い。 なぜかは分からないが、華奢に見える女性でもやたら力があり、強い。 だから彼は、誰よりも常に、鍛え上げねばならなかった。 「ユリウスさんと毎日鍛練していたお陰で、助かりました」 武術、戦術の基本は叩き込まれていた為、何とか周りに付いて行けたと思う。 一から鍛えてくれた事もそうだが、自身に与えられた能力が分からず、焦って落ち込んだ時に、励まし支えてくれた事もあって、俊輔はユリウスに頭が上がらない。 感謝を込めて深く頭を下げると、彼女は嬉しさを隠すように、腕を組んだ。 「そうか。明日の鍛練が楽しみだ」 これも相変わらずだな。と、クスリと笑った。 キルシュタイン家の敷地に入った馬車は、黒金で出来た正門を通り過ぎ、ポーチで緩やかに停まった。 馬車を降りると、辺りはもう夕暮れに染まっており、空は夜の訪いを告げる、紺青の色を拡げていた。 二人が階段を上ると、美しい彫刻が施された大きな扉が開いて、メイド長のリディルと、二十名のメイド達に出迎えられた。 「おかえりなさいませ」 「戻りました。お久しぶりです」 リディルは、隣のユリウスより頭一つ分、背の高くなった俊輔を見て、目元を綻ばせた。 「シュンスケさん、また背が伸びましたね」 「わ、本当ですか?」 もう充分大きい気がするが、成長を感じられるのは純粋に嬉しい。 二人がエントランスに入ると、正面の階段から、ノアとアリシア、オルデールが、次々降りて来た。全員が俊輔の休暇に合わせて、休みを取ってくれたのだ。 「シュンスケさん!お帰りなさい」 桜色の長い髪に、大きな若草色の瞳を持つ可憐な女性は、エントランスに降り立ち、笑顔を輝かせた。 ノア・キルシュタイン。22歳。 優秀な導官を多く生み出した、名門オルティニア家に生まれ、前司教の父を持つ。 希少な魔力を持つ子供を産む為に、導官同士で結婚するのが当たり前のこの国で、武官のユリウスと結婚した。 周りの反対を押しきっての結婚だが、ユリウスとは相思相愛で、結婚してから更に穏やかさを増し、美しさにも磨きが掛かって見える。 「ノアさん、お久しぶりです。お手紙ありがとうございました」 彼女は、なかなか帰れない俊輔を心配して、何度か手紙を送ってくれた。 「元気そうで安心したわ。休暇中は、ゆっくり過ごしましょうね」 明るく微笑むと、隣に立つアリシアがニコニコとしながら、含みある仕草で口元を隠した。 「でも、ユリウス様が早く鍛練したがってて、ウズウズしてますからねぇ。休暇中、シュンスケさんの身体が保つか、壊れるのが先か。見届けるのが楽しみです」 アリシア・ローウェン。22歳。 隣国のティドロスから贈られた国宝の魔法書を使い、たった一人で俊輔を召喚した女性。 職人の両親を持ち、平民出身だが、珍しく桁外れに魔力が強く、同じ導官であるノアとは、アカデミーの同級生であり、友人だ。 少々、掴み所の無い性格をしている。 「ユリウスは鍛練バカだからね~。シュンスケも、まともに相手しないで良いよ」 丁寧にウェーブをかけた、見事な橙色の髪を指先で跳ね上げ、オルデールはフフンと笑った。 オルデール・ラヴェル。22歳。 ラヴェル家の五女として生まれ、享楽的な生き方をしている。 派手な衣服を好み、長身かつ、見た目も華やかで端正。人を惹き付ける明るい性格もあって、かなり女性にモテる。 ラヴェル家は、軍馬の育成と調教を一任されており、彼女も兵とは違うが、武官である。 ノアとユリウスの幼なじみだが、自分とは真逆の性格をしているユリウスと、子供の頃は良く衝突していたらしい。 五人はダイニングに移り、ワインを開けて乾杯をした。 「どれも、とても美味しそうですね」 テーブルに並んだ、いい匂いを立てる料理の数々に、ぐう。とお腹が鳴った。 今日も早朝からみっちり訓練してきて、もう限界レベルでお腹が空いている。 「沢山ご用意していますから、焦らずどうぞ」 香草を詰め、焼き上げたばかりの子羊のローストを人数分切り分けながら、リディルが笑顔で言った。 「それじゃ、いただきます!」 目の前に出された肉料理を、ナイフとフォークで大きめに切りながら、口に運ぶ。 柔らかく、クセの無い子羊の肉を噛むと、肉汁がたっぷり口の中に広がって、じんわりと幸せな気持ちに満ち溢れた。 「うう、美味しい…!」 ゴンチェとムッチョに、背後から骨付き肉を盗られて涙ぐんだ出来事が、あっという間に吹き飛ぶ程の美味しさだ。 豪勢な肉料理だけでなく、様々な野菜が使われたサラダや、滑らかな舌触りのポタージュ等も、好き嫌いの無い彼は、どの料理も喜んで食べていった。 「明日のピクニックが、楽しみだわ」 ワインと、チーズがパリッとなるまで焼かれた、香ばしいバゲットを摘まみつつ、嬉しそうにノアが言った。 「王都を出た先だよね?葡萄畑がある所?」 なみなみと注いだワインと、俊輔と同じ肉料理を堪能しつつオルデールが言うと、ユリウスがワインを片手に、赤いベリーを口に運んだ。 「そこよりもう少し先だな。小麦畑と、風車のある場所だ」 「ああ、あの辺りですかぁ。のどかで、景色の良い所ですよね~。私も、行くのは久しぶりです」 炒めた白身魚等の魚介を、クリームと和え、パイ生地で包んで焼き上げた料理を食べていたアリシアは、グラスのワインを飲み干し、二本目の瓶を掴んだ。 彼女達の尽きる事の無い会話に次々花が咲き、テーブルには新な料理と、大量のワインが追加されていく。 「シュンスケはぁ~、宿舎で、うまくやれてるのぉ~?」 そろそろ呂律が回らなくなってきたオルデールが、左肩に寄りかかりながら訊いてきた。 暫く考え、葡萄ジュースを一口飲んで頷いた。 「同じ部隊のメンバーとは、うまくやれていると思います。兵長は厳しい方ですけど、面倒見のいい方ですし」 「ならいいけどぉ。貴族じゃ無い変わった子が、いきなり中央に配属されて来たって、あちこちで噂の的になってるよぉ~」 少し、ドキッとした。 俊輔は今も、キルシュタイン家の客人という扱いではあるが、彼自身は貴族の出自では無い。 特殊任務の為、総帥の命により入隊した事実は隠されているが、所詮、庶民でしかない異世界人を、特別扱いしすぎでは。 と、陰口を言われてしまうのは、仕方の無い事だと思っている。 それだけ、中央に配属されたいと羨望する兵が、多くいる事を知っているからだった。 「シュンスケさんは、色んな意味で目立つ存在ですからねぇ」 「異世界から来ているものね…。周りが噂話で騒がしくしてしまうのは、困り物だけど」 そう話すアリシアとノアの頬も、ほんのり赤く染まっている。 内情を詳しくは知らない二人に、曖昧な返事をした俊輔をユリウスはちらりと見遣り、 「貴族か、そうで無いかだけで判断する者は放っておけ。お前は十分に、中央に配されるだけの実力を備えている」 と言って、ワインを飲み干した。 「…ありがとうございます。色々噂になってしまうのは、多分、俺の見た目も関係してるのかなと思うんです。グアド族に、似ているらしいので」 良くも悪くも俊輔の存在が広まり、最初の頃に比べれば、いきなり驚かれる事は少なくなったが。 「それも同じだ。見た目だけで判断するような者とは、その程度の関係というだけだ。気にする必要は無い」 「は、はい。分かりました」 ユリウスにキッパリと断言され、ふっと気持ちが軽くなった。 自分で望んだ事とは言え、新しい環境での生活に変わって、気付かない内に不安になっていたのかも知れない。 「そうそう。シュンスケは変人で見てて面白いし、すぐ照れるから、からかいがいがあるしね~。その良い所に気付かない奴なんて、見る目ないよぉ」 「オルデールさん。褒めてないですよ、それ」 笑いながら突っ込むと、アリシアが労る様な、優しい笑みを差し向けた。 「中央に配属される兵士は、矜持の高い貴族が多いと聞きます。その中で良く、頑張っていますね。でも、同じ部隊の方達と馴染んでいるみたいで、安心しました」 「はい、お陰様で」 屈託の無い笑顔で、頭を下げる。 アリシアも、俊輔と同じ平民出身だ。 桁外れの魔力を持って生まれた彼女は、異例の特待生として、ほぼ貴族しかいない導官のアカデミーに入学した。 それ故、彼の置かれた状況の難しさが、詳しく言わなくとも分かるのかも知れない。 「本当に…。シュンスケさんが一人で、中央兵宿舎に行くって聞いた時は…。心臓が止まるかと思ったわ」 彼の突然の入隊に、ノアはユリウスより驚いていたと思う。 それも、此度のグアド族掃討戦に参加する為なのだと、キルシュタイン家に訪れた総帥直属の配下から説明を受け、激昂して詰め寄った程だ。 「…こっちは、肝を冷やしたが」 「そんな事もありましたね…」 ユリウスのぽつりとした呟きに、配下の襟元を掴み上げたノアを、二人で慌てて抑えた出来事を思い出した。 日頃冷静なユリウスが、その瞬間顔を青ざめさせ、口元を引き攣らせたのだ。 「あの時は、動転しちゃって…。本当にごめんなさい。いやだわ、もう」 申し訳無さで恥じ入り、ノアはしおしおと縮こまってしまう。 だが、今となってはただの笑い話である為、その場にいた彼女以外の全員が、吹き出した。 「レメディ殿の配下ならば、あの程度、どうという事は無い」 自分で蒸し返しておきながら、ユリウスは彼女を宥めた。 密かに笑いを堪えている姿を、真っ赤な顔で小さく睨め付ける。 「ユリウス様。人の反応を見て面白がるなんて、意地が悪いわ」 謝りながらノアの手を握るユリウスは上機嫌だ。見た目には変わらないが、彼女も酔っているのかも知れない。 時計の鐘が鳴り、ふと盤を見ると、時刻はいつの間にか、夜十時を指していた。 「あらら…。話が弾んじゃって、気付きませんでしたねぇ」 「また、飲み過ぎちゃったかしら」 ユリウスが目配せすると、控えていたメイドがやって来た。 酔ったアリシアとノアの二人は、ふわふわとお休みの挨拶をして、それぞれ部屋に案内されて行った。 「オルデール。お前は以前使った、二階西側の部屋を使うといい」 俊輔に寄りかかりながら、半分寝ていたオルデールは顔を上げ、 「あの部屋、凄く私好みなんだけどさぁ。何処からか見られてる様な気がして、落ち着かないんだよね~」 と、大きく欠伸しながら言った。 「そう遠慮するな。シュンスケも疲れただろう、今日は良く休むといい」 「はい。お休みなさい」 酔っ払ったオルデールは、ユリウスに引き摺られて客室に向かい、俊輔はリディル達と、互いの近況を話し合いながら、晩餐の後片付けを済ませた。 その後は自室でゆったり入浴し、大きく寝心地の良いベッドに、ごろりと寝転がった。 良い香りのするコットンサテンのシーツの上で、伸び伸びと手足を伸ばす。 ( 宿舎は、何をするにも時間が決められているし、こんな風にのんびり出来るのって、久々だな。皆との食事も美味しかったし、楽しかった… ) 充足感に満たされ、蕩ける様な、心地好いまどろみに全身を委ねる。 ー休暇はまだ、始まったばかりだ。
/39ページ

最初のコメントを投稿しよう!

42人が本棚に入れています
本棚に追加