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3.
「シュンスケ、起きろ。朝だ」
ユリウスは言い様、素早く上掛けを剥ぎ取った。
「ンフフフ……んっ?わあぁ、も、もう!?」
もうそんな時間か。と急いで飛び起き、違和感を覚えて動きを止める。
夏の為、ベッドを囲む天蓋の厚いカーテンは取り払われているのだが、窓の外の暗さは、どう見ても朝ではない。
「そうだ。さっさと起きろ」
眠い目を擦り擦り、じっと机の置時計を見る。
「いや、まだ三時じゃないですか…」
いつもの鍛練より、一時間早い。
「最近はこの時間でも明るいからな。だから、もう起きる時間だ」
「老人じゃないんですから…」
そう突っ込んだものの、彼女が一刻も早く鍛練したがっていたのは分かっていたので、小さく笑みを浮かべると、膝を叩いて立ち上がった。
外に出ると、確かにすでにぼんやりと薄青く、灯りが無くても、周りの景色が良く見える。
サクサクと森林に出来た細い道を歩き、きちんと手入れされた鍛錬場に着いた。
ここで鍛錬するのは一ヶ月ぶりだが、俊輔は軍務に就いてからも、同じ鍛え方を毎日して来た。
土と緑の、濃い森の香りをめいっぱい吸い込みながら二人で柔軟をして、広い鍛錬場を何度も走り込む。
全く疲れを見せず、腕立てや懸垂をこなす彼に、ユリウスは満足そうだ。
「シュンスケがどの位強くなったのか、見せて欲しい」
頷き、綺麗に磨いて研いでおいた、練習用のロングソードを鞘から引き抜いた。
グリップに巻かれた革も、新しい物に換えてある。
ユリウスも剣を抜き、互いに程好い間合いを取って、ピタリと構えた。
俊輔はこの、ピン…。と張った空気に変わる瞬間が好きだ。
自分の中の感覚も、そこで切り替わる気がする。
ほぼ同時に、強く大地を蹴って、大きく踏み出した。
剣同士が、激しく火花を散らしながら、ぶつかり合う鋭い音と衝撃に、一気に全身の毛が逆立つのを感じた。
( やっぱり、ユリウスさんは凄い…! )
剛さの質が、一緒にやって来た部隊のメンバーとは、全く異なっている。
ぶれない力と技能を、剣を一度交わしただけで、そこから痛い程伝わって来た。
これでも本気を出していないのだから、空恐ろしい。
「うッ…、ぐぅ……っ!」
均衡し、バインド状態になった。互いにカウンターを制し合う。
渾身の力でユリウスの剣を圧していると、火花の先で、互いの視線が邂逅した。
剣を弾き、素早く退いて間合いを取った。
ざり、と踏みしめた靴底から、砂埃が煙の様に揺らめいて風に流れる。
呼吸を整え、屋根の構えをとった。ユリウスも、剣を立てて、柄を顔の横に持ってきた状態の、屋根の構えにしている。
( そうだ。あれを試そう )
ふと思い付き、表情には出さずに、意を決した。
ー柄を握る手に、力が入る。
ユリウスが、先に攻撃を仕掛けた。
頭上から鋭く刃が振り下ろされ、俊輔が攻撃を受け止めるかと思われた瞬間、柄から右手を離した。
彼の背中側で、剣はくるりと切っ先を下に向ける。
その刀身の上を、ユリウスの斬撃が受け止められる事なく、音を立てて滑り落ちた。
「!」
バランスを崩した彼女は、驚いて蒼い瞳を見開いた。
( 今だ! )
一瞬の隙を突き、彼女の身体の内側に踏み込み、服を掴んで力任せに投げ飛ばす。
宙に投げ出されたユリウスは、体重を感じさせない身のこなしで着地し、まだ驚きの残る表情で、まじまじと俊輔を凝視した。
「今のは、駆け込みか。…よく覚えたな」
「フフッ。どうです?俺も、やる時はやるんですよ」
大仰に胸を反らせ、得意そうに笑う。
上手く技が決まり、出し抜かれたユリウスを初めて見る事が出来た。これはかなり嬉しい。
( まあ、この技しか覚えて無いんだけどな… )
宿舎にいた時に空いた時間で、対ユリウス戦という事で隊員達にお願いし、練習に付き合って貰ったのだ。
ちまちま頑張って来た成果が実り、俊輔の心は踊った。
「…そうか」
ユリウスは顔を臥せ、抑揚の無い、低い声で言った。
「つよく。なったな。シュンスケ。わたしは。うれしい」
「あ、ありがとう、ございます…」
褒められて、頭を下げた。
姿勢を戻しても、彼女はまだ顔を臥せている。
ー何だか様子がおかしい…。怪我はしていないはずだが、どうしたのだろう。
「やっとだ」
ユリウスはそう呟くと、目を伏せたまま身体を起こし、再び構えた。
「え?」
雄牛の構え。
剣を顔の横まで上げ、切っ先を相手に向けた状態の構えだが、彼女がこの構えをとるのは、初めて見た。
「今まで誰も、まともに私の相手が出来なかった。技は同じ位あっても、相手の身体の方が保たないからな」
ゆっくりと、蒼い双眸を開く。
その瞳は、いつもの冷静な色を失っていた。
手合わせしていると、時折蒼い瞳の奥に覗く、あの獰猛な光。
それが今、彼女の双眸の全面に現れていた。
「……!」
心臓を直に掴まれた衝撃と恐怖を感じ、全身がざわっと粟立った。
「お前となら、やっと…、本気で戦う事が出来る。よくぞ、ここまで育ってくれた」
その言葉と、リナが話したユリウスの噂話。
彼女の真意に気付いた俊輔は、弾かれた様に顔を上げた。
「ユリウスさん、まさか…!自分の本気をぶつける相手が欲しくて、今まで俺を、鍛えて来たって言うんですか」
ユリウスは躊躇いも無く、肯定した。
「そうだ。半分はお前の為だが、もう半分は自分の為だ」
「クッ…。正直過ぎる」
「さあ、構えろ」
狂気を孕んだ両眼に見据えられただけで、呼吸を継ぐのも苦しくなった。
じっとりと嫌な汗がこめかみを流れ、柄を握る手が細かく震える。
ーこの異質で、異様な感じ…。
人ではなく、荒ぶる凶悪なドラゴンを前にした、本能的な恐怖を感じる。
微かに笑みの形に歪んだ口元から、炎が吹き出していないのが不思議な位だ。
今すぐ逃げなければ。と本能が警鐘を鳴らしているのに、身体が全く動かない。
「ユリウスさん。俺、まだ死にたくないです」
血の気の無い顔で、本音を口にした。
「誰よりも強靭な身体を持つお前なら、大丈夫だ。信じているぞ」
触れただけで血を流しそうな殺気を隠そうともせず、俊輔を勇気付けた。
「それ、あなたが一番言っちゃいけないセリフでしょう!それに俺達、この後ピクニック行くんですよ」
「シュンスケ。早く構えろ」
全く殺気を緩める気の無い姿に、諦めて頭を振る。
( 駄目だ。人の話を聞いてない… )
こんなつもりでは無かったのに、刺激してはいけない所を刺激してしまったのだろうか?
転生した自分じゃなくて、何故かユリウスの方が、隠されし真の力を呼び覚ましてしまったみたいだ。
( 何でか分からないけど、ユリウスさんを目覚めさせてしまったのは、俺がやらかしたから…。なんだよな )
つい、自責の念に駆られてしまった俊輔は、自分の過ちを認め、彼女の全力を受け入れる事を選んだ。
切っ先を相手に向け、柄を左腰に寄せた、鋤の構えをとる。
自分にはこの構えが一番、合っていた。
( 戦い方として良くないのは分かってるけど。今はひたすら防戦するしかない…!何とか、生き残るんだ )
覚悟を決めた真剣な表情に、ユリウスは、血も凍り付きそうな、凄みのある笑みを口元に浮かべた。
彼女の放つ殺気で、周囲は軋み、空気も匂いも、重苦しく変じた。
ー濃厚な鉄の、血の臭いを感じる。
「行くぞ、シュンスケ」
「…はいっ!」
その瞬間、聴覚も視覚も奪い去る程の、大きな地響きが起きた。
沢山の鳥達が、空に向かって羽ばたいていく姿が、俊輔の金色の目に焼き付いた。
「大丈夫か、シュンスケ」
「……」
気が付くと、仰向けた体勢で倒れていた。
鈍い動きで地を掻くと、爪と指の間に土がじりじりと入り込み、その嫌な感触で意識が引き戻される。
薄く開いた視界の中、ユリウスが傍らで、心配そうに自分を見下ろしているのが分かった。
「う…ぅ、痛ぇ……」
ユリウスに抱き起こされ、両目を震わせながら開けた。
「おれ…。生きて、ますよね」
「大丈夫だ。生きている」
倒れた巨体を軽々と抱き上げ、すり鉢状の深い窪みから脱した。
抱き上げたまま、屋敷に向かって歩き出す。朝日が眩しく、二人を照らした。
「すまない…。やり過ぎた」
申し訳無さそうに謝ると、俊輔は力なく、乾いた声で笑った。
「ははは…。あんなの、技とか武器とかもう、関係無いじゃないですか」
「そうか」
生まれて初めて、抑え続けた本気を解放したユリウスと、紙一重で何とか彼女の攻撃を受け止め続けた俊輔と。二人の間には死闘を繰り広げた者同士の、固い絆が出来ていた。
「ユリウスさん。やっぱり、強いですね」
「シュンスケも。とても強くなった」
ふふ。と互いに讃え、笑い合う。
胸を上下させて笑うと、骨がおかしな音を立てて軋み、経験した事の無い激痛が、脳天を直撃した。
正面の階段を上がると扉が開き、麗しい笑顔で、ノアが二人を出迎えてくれた。
「おはようございます!鍛練、お疲れ様でした。今日は良く晴れて、良いピクニック日和に……、ッ!?」
目の前に、ボロ布に変わり果てた俊輔を抱えたユリウスが、所在無げに立っている。
その余りに無惨な姿に、ノアは穏やかな朝には似つかわしくない、金切り声を上げた。
どうしました~?と、ダイニングからのんびり顔を出したアリシアは、状況を察してホルダーから本を取り出し、やんわりと微笑んだ。
「さっきの地響きはこれでしたかぁ。ノア、大丈夫ですよ。シュンスケさんは、生きてます。虫の息ですが」
「朝から悪いが、二人共回復魔法を頼む」
冷静さを崩す事無く、ユリウスは二人に俊輔を差し出した。
慣れているのか、リディルらメイド達は、水と清潔な布などを、せっせと用意し始めている。
「もぉ~。朝っぱらから何やってるんだよ…。ユリウスとシュンスケは」
ようやく、欠伸をしながら起きてきたオルデールは、エントランスの惨状に呆れ、ため息を吐いた。
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