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翌朝、ユリウスと俊輔は鍛練場でうっかり作ってしまった、すり鉢状の大きな穴を塞ぎ、ロングソードの別の戦い方を練習した。 「ハーフソード?」 「ああ。右手で柄を持って、左手は刃の中程を掴んだまま、戦う方法だ」 刃を掴む。 という言葉に、少し抵抗を感じる。 今日は手のひらまで覆った小手を着けているから、怪我の心配は無いが。 「ハーフソードは防御、攻撃共に安定し、優れた技法だ。特に、鎧を全身に纏った相手に有効だな。鎧の隙間に、刃を刺し込みやすい」 ユリウスの攻撃を、ハーフソードで受け止めてみた。 確かに、左手で剣身を支えているから、凄く安定している。 「昨日、追剥を柄頭で攻撃しただろう。柄頭や棒鍔で攻撃する技は殺撃と言って、ハーフソードから派生しやすい技なんだ」 柄ではなく、刃の部分を両手で掴む様に指示された。 つまり、本来とは真逆の持ち方になる。 …ちょっと変な感じだ。 「殺撃は、棒鍔で相手の首や足を引っ掛けたり、柄頭で強力な打撃を与える事が出来る。見た目以上に強い技で、鎧が砕ける程だ。ロングソードは、そういう戦い方も出来るから、覚えておくように」 「はい。分かりました」 「剣身が太い剣は向かないから、注意しろ。准将のフィクスは、ハーフソードと殺撃の達人だ。機会があれば、見せて貰うといい」 その後もハーフソードの型や、殺撃の技を習った。 剣は、刃の部分だけが致命傷を与える事が出来る凶器だと思い込んでいたから、こういう戦い方もある事が面白く、興味深く学んだ。 「シュンスケは今、軍で何を習っているんだ?」 一通り練習が終わり、ユリウスは珠の様に浮いた汗を拭いながら尋ねた。 「今は、ダガーを重点的に習っています。その前は、レスリングでしたが」 「ああ、懐かしいな」 彼女は、かつて自分がアカデミーや軍で習っていた頃を思い出し、表情を綻ばせた。 やがて、 「レスリングは武術の基本だからな。良し、やるか」 良いことを思い付いたとばかりに、勢い良く手を叩いた。 「…へぇっ??」 間抜けな声が、変な所から出てしまった。 「いや、その…。レスリングは、結構です」 咳払いをして、その場を取り繕おうとする。 ーレスリングは、身体そのものが武器だ。 お互いにかなり身体が密着してしまうから、出来れば、ユリウスとはやりたく無い。特に寝技。 自分でも情けないとは思うものの、彼女の目の前で、みっともない事態を晒す事だけは避けたかった。 ユリウスは俊輔の動揺した表情から胸中を察したのか、安心させる様に靴のつま先で地面を叩くと、 「地面は柔らかいから、怪我の心配は無いぞ。寝技も出来る」 真面目な顔で薦めて来た。 「だから、その寝技がダメだって言ってるんです!大体、ユリウスさんは人妻でしょう!男とレスリングなんて、いけませんよ」 つい語気を強めた彼に、 「人妻とレスリングが、どう関係しているんだ」 返す彼女の言葉は、まるで的を得ていない。 「ああっ!もう…。どう説明すればいいんだ…!」 その場にしゃがみこみ、悩む頭を抱えた。 レスリングの回避を納得して貰うには、男女の体の違いや、俊輔の抱えている浅ましい煩悶を、彼女に一から説明しなければならないだろう。 …とてもじゃないが、そんな事、出来る訳が無い。 その後俊輔は、必死にユリウスを説得し、拝み倒し、土下座までして、何とかレスリングだけは勘弁して貰う事が出来た。 その代わり、かなり本気状態で手合わせさせられ、再び死にかけた。 穏やかな昼下がりに、オルデールは自分が育てている軍馬を一頭連れて来てくれて、以前約束した通り俊輔を乗せてくれた。 「軍馬って、こんなに大きいんですね」 ルーンに乗った時より目線が高く、見晴らしが良い。 軽快で規則正しい速歩から、立派な脇腹をギュッと腿で締めると、太いしっかりした脚で、力強く軽速歩を始めた。 風を切りながら、難なく駈歩もこなす俊輔に、オルデールは感心した様子だ。 「軍馬は気位が高くて、目の前に敵がいると蹴り上げたり、噛み付いて攻撃してくれるよ。こいつはまだ、大人しい性格だけど」 軍馬は青毛の雄で、キースという名前が付いていた。 俊輔はスピードを落とし、馬上から彼女に訊いた。 「そう言えば…宿舎の西側に、騎馬隊専用の習練場があるんですよね?」 「そうだよ~。もう大昔の話だけど、ティドロスと戦争していた頃は、フラウディルの騎馬隊って、物凄い恐れられていたんだ。その頃は、もっと沢山軍馬もいてね」 長い槍を携え、勇猛果敢に戦う騎馬隊の兵士は、竜騎兵と呼ばれていた。 「今は、国のお飾りみたいなものだけど。でもグアド族との戦闘が近いから、ここ最近は軍馬の調整が大変だったよ。連中には、大事に乗って貰いたいね」 軽く手綱を引いて止まらせ、キースの首を労りながら、優しく撫でた。 鐙から両足を外し、すとんと地面に着地する。 「ありがとう、オルデールさん!本物の軍馬って兵卒は乗せて貰えないから、凄く嬉しいです」 軍馬は兵士の数だけいる訳では無いし、貴重な馬だ。 普段は綿と布を巻いた、装具付きの木馬を使って、乗り降りの練習や馬上での戦法を習っている。 キルシュタイン家ではルーンにも乗せて貰えるし、自分はかなり、恵まれた環境にいると思う。 そう伝えると、オルデールは得意気に高い鼻先を上げ、胸を反らせた。 「フフン。もっと、感謝してくれても構わないんだよ。だから今すぐ、私の為にワインを持って来たまえ」 「はいはい」 笑いながら庭園を通り抜け、キッチンの裏口へ向かう。 色とりどりの薔薇が咲き乱れる庭園では、ユリウスとノアが仲睦まじく、ゆったりと散策しながら会話を楽しんでいる。 アリシアは広げた本を顔に乗せたまま、ベンチで気持ち良さそうに昼寝をしていた。 ( …ん? ) 目隠し用の、背の高い植え込みの裏で、白い何かが、一瞬だけ見えた。 ここは貴族の多い地域だから、警備兵の数も他より多いのだが、昨日みたいな、よからぬ輩が忍び込んでいる…。 という事も、あるかも知れない。 不安を覚えた俊輔は、注意を払いながら、そっと植え込みの裏に回り込み、白い大きな布を頭から被っている人物の、後ろ姿を捉えた。 その人物は、前方にある何かを覗こうとしているらしく、背後にいる彼に、全く気付いていない。 かなり小柄で、武器も持っている感じでは無さそうだ。 「あの」 肩に手を当てた。 ビクッ!と、その人物は飛び上がり、恐る恐る背後を振り返ると、今にも悲鳴を上げそうに口唇を歪ませた。 「あ、大丈夫です。グアド族じゃなくて、人間です」 なるべく刺激しない様、冷静に伝える。 「…えっ?あなたもしかして…、異世界人の、モリヤ・シュンスケ?」 まじまじと彼を見つめ、そう言った。 「!」 今度は、俊輔の方が驚く番だった。 自分の顔と、フルネームを相手が知っているという事だけでなく、被っていた布が地面に落ちて、現れた少女が見慣れない姿をしていたからだ。 ( 凄い…。虹みたいな、不思議な目の色をしてる ) 少女は、角度によって様々な色に淡く変容する、不可思議で美しい瞳を持っていた。 そして長い白金の髪に、ストンとした、上質な白いドレスを纏っている。 以前ユリウスと聖堂で見た、ステンドグラスに描かれた人物に雰囲気が似ており、ピンと来た。 「もしかして君、王族?」 こくんと頷いたのを見て、やっぱり。と呟く。 腰まである長い白金の髪は、フラウ・エレンディルの木に付いている鱗と、全く同じ色合いをしている。 少女は俊輔にきちんと向き直ると、王女らしく優雅に微笑んだ。 「私は、クレス・エレンディル。フラウディルへようこそ、シュンスケ」 「初めまして。守屋俊輔です」 跪いて挨拶をする。 立つ様に促され、首を傾げた。 「どうして、王女様がこんな所に一人でいるんですか?」 確か王族は、滅多に人前に出てこないと聞いたのだが。 クレスは頬を赤らめ、背後の植え込みを、ちらっと見遣った。 植え込みの隙間から、笑顔で寄り添うユリウスと、ノアの姿が見える。 咲き誇る薔薇の花々も、風と共に揺れる木洩れ日も、二人の美貌に華を添え、その空間だけが直視出来ぬ程に輝いている。 「もしかして、ユリウスさんを見ていたんですか?」 雪の様に透き通った頬を紅く染め、クレスは細い指を組み合わせながら、頷いた。 「もう結婚しちゃったけど…。以前から、たまにユリウスさまを覗きに来てたの。初めて王宮で見掛けた時から、憧れてて」 彼女の、いかにも恋する乙女。 と言った初々しい風情が、俊輔には微笑ましく感じた。 「なかなか王宮を抜け出すのは難しいし、何か記念になるものが無いかなって、ユリウスさまを見ながら探してたの。髪の毛とか、落ちてないかしらって」 「そ、そうなんだ…」 クレスは深くため息を吐いた。 「ノアが羨ましいわ。反対はあったみたいだけど、ユリウスさまに愛されて、結婚出来て…。王族は生まれた時から、結婚相手がすでに決まっているようなものだから、つまらないったら無いわ」 「好きじゃ無い人と、結婚させられるの?」 ええ。と、不満そうに頷く。 「王族の数が減ってしまったから、成人したらさっさと結婚して、少しでも早く子供を産む事が何より重要だって、皆言うのよ。酷いでしょ」 「それは、確かに…」 まだ幼そうだし、ろくに恋もさせて貰えずに、いきなり子供を切望されるのは、酷な話かも知れない。 「でも…。王族を増やす事が、フラウディルの未来に繋がるから、悩んでいるの」 もう一度ため息を吐いた時、突然二人の目の前に、握り拳程の大きさの光の球が空から降って来て、俊輔はその場で大きくのけ反った。 「な、なんだ、これ?」 球は地面への激突を避けてふわっとクレスの目の前で浮くと、神経質にビリッと震え、いきなり大声で怒鳴りだした。 『 くぉらぁッ!クレスッ!あなた、また魔法使って、勝手に抜け出したわねッ!? 』 ギクッ!と身体を硬直させた彼女は、光の球の前で、あたふたと手を動かした。 「ちょ、ちょっと待って、アーリーン。今は、そのっ、人がいるから…」 『 いいから、さっさと帰って来なさい!いつも節魔力しなさいって、あれだけ言ってるのに何考えてるの!大体あなたは、普段からだらしなくて、この前も…! 』 球は俊輔の前で、クレスの普段のだらしない姿を暴露し始めた。 「ひいぃぃぃっ!今すぐ帰るから~!恥ずかしいから止めてぇぇぇ~っ!」 顔を引き攣らせ、球をぎゅっと固く握りしめた。 まだ、指の間から怒鳴り声が小さく漏れ聞こえて来る。 「…シュンスケ。今日の事は、誰にも言わないで」 クレスは今にも泣き出しそうな顔で、彼に懇願した。 「は、はい。言いません」 「ありがとう。それじゃ、またね…」 落ちた布を拾い上げて頭から被ると、クレスの姿は溶ける様に、地面に吸い込まれてしまった。 後には何も残らず、俊輔は呆然と、彼女の消えた地面を見つめた。
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