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7.
「シュンスケさん。これ、宿舎で食べて下さいね」
翌朝、馬車に乗り込もうとする俊輔にリディルは包みを渡した。
包みを開けてみると大きな瓶に、日保ちする焼き菓子や、ドライフルーツが沢山入っていた。
「体が疲れた時は、甘い物を食べるのが一番ですから」
暖かい心遣いに、顔をぱっと輝かせる。
「リディルさん、ありがとう!大事に食べますね」
こういう甘いお菓子は、宿舎にいる時は特に、貴重だ。
「さあ、行くか」
リディル達に頭を下げ、馬車に乗り込む。
どんどん遠ざかっていく、キルシュタインの屋敷を見送る俊輔を、向かいに座るユリウスが呼んだ。
「今日、ミュレイ・ネヴェル将軍から、お前に話があるはずだ。例の、特殊任務について」
「…はい」
背筋を伸ばし、姿勢を正した。
「詳しい内容は私も知らないが、無茶だけはするな。何かあれば、すぐに相談するように」
「分かりました」
ややあって、ユリウスは小さくため息を吐いた。
「ネヴェル将軍は、参謀に当たる御方だ。いずれは私を後任に、と考えておられるが…。私は現場で、兵達と一緒に行動する方が向いていると思う」
俊輔もそう思ったので、彼女の言葉に頷いた。
「大尉ならばそれが出来るんだがな。何かあれば、戦場でお前のサポートもし易いだろうし」
「ユリウスさん…」
…自分が掃討戦に出る事で、彼女に余計な心配をかけてしまっているみたいだ。
俊輔は眉間を険しくさせているユリウスを、真剣に見つめた。
「俺、兵としても、まだまだ未熟で頼りないですが。自分なりに、一人で頑張ってみたいんです。だから、その…。見守っていて貰えると、嬉しいです」
「シュンスケ…」
彼女は逡巡した後に、自分に向けて下げた彼の頭に優しく手を置いた。
「分かった」
手のひらが離れても、まだ、温もりが残っている気がした。
昼前、訓練中の俊輔の元に、連絡を受けた兵長がやって来た。
「モリヤ二等兵。今すぐ、導官のアカデミーに向かうように」
「…導官の、アカデミーですか?」
思わず聞き返していた。
おそらく特殊任務の話だと思うのだが、なぜ武官では無く導官の方なのだろう。
導官は戦場で戦う事は無いと聞いていたし、てっきり兵宿舎の奥にある、ミュレイの執務室に呼び出されるだろうと思っていた。
兵長も詳しい内容は聞かされていないらしく、彼が向かうアカデミーの部屋の位置を、詳しく教えてくれた。
聖堂前の石畳が敷かれた大通りを横切り、木々の間や植え込みを抜けて、覚えたての近道を歩く。
やがて、ひっそりとしたアカデミーの真正面へとたどり着いた。
昼休憩の時間になったらしく、生徒達の姿は教室にまばらだ。
足音がこだまする静かな廊下を、教えられた部屋を探しながら進んだ。
目的の部屋は、アカデミーのかなり、奥まった場所にあった。
「ここ、だよな」
頑丈そうな樫の扉の前で慎重にノックすると、暫くして、室内から応答する声が聞こえた。
俊輔は意を決し、重い扉を開けた。
「失礼します。第二十七部隊、二等兵の守屋俊輔です」
室内はなぜかカーテンを閉めきっており、かなり薄暗い。
机の上の蝋燭の炎が揺らめき、傍にいる人物が立ち上がった。
「…初めまして、モリヤ・シュンスケ。入りたまえ」
暗がりの中に足を踏み入れ、扉を閉めると、更に室内が暗くなった。
「うわっ」
暗い床に適当に積み重ねた本に躓いたのを見て、その人物はカーテンを半分だけ、開けてくれた。
一瞬、外の眩しさに顔を背けた俊輔に手を差し出し、その人は言った。
「私はウユラ・フレイトス。見ての通り、導官だ」
ウユラはとても小柄で、子供の様な、幼い外見をしていた。
黒に近い濃紫の髪に、同じく深い、紫色の大きな瞳を持ち、銀縁の眼鏡をかけている。
普通導官は白いローブを纏うが、彼女は珍しく、黒いローブを纏っている。
ウユラの差し出した手のひらには、包み紙に乗った赤い飴があった。
小さな六角形をしたそれは、きらきらと複雑に、光を反射させている。
「これは、私の作り出した最高傑作とも言える物だ。食べてみたまえ」
「はい。いただきます」
ーお菓子作りが趣味なのだろうか…。
そう考えながら摘まんで口に入れると、ウユラが噛むよう、指示した。
噛むと、ガリッ。と音を立てて飴は割れ、トロリとした甘い液体が舌の上に広がった。
液体を飲み込むと、すうっとした香りが鼻を抜け、爽快な気分になる。
柑橘系に似た良い香りだ。
何の果物を使って作られた飴なのか、気になった。
「ん。良い香りがして美味しい。何です、これ」
「それは猛毒だ」
「どっ…!?ぐぇ、げっほぉ…ッ!」
噎せ続ける俊輔を見ても、彼女は表情を一切変えずに告げた。
「大丈夫。それはグアド族にしか効かない。貴重な物だぞ」
「き、貴重な物を、いきなり食べさせないで下さいよ…」
ウユラの眼鏡が、キラリと光る。
「モリヤ。頭痛、発熱、吐き気、息苦しさ、手足の痺れ、動悸は感じ無いか?」
「……?多分、大丈夫だと思い、ます」
噎せはしたが、体調は問題無さそうだ。
ウユラは、そうか。と無感動に頷いた。
「やはり人間には、間違いなく無害だな」
( この人…。俺で試しやがったな )
一抹の不安を覚えた俊輔は、見事な上腕二頭筋と胸筋で、背後から何者かにガバッと抱きつかれた。
「あらぁ~っ!?モリヤ君、また更に、マッスルがすくすく育っているわよぉ~!?もぉ、カッチカチで最ッ高~!!」
「ヒイィィッ!ネヴェル将軍ッ…!?」
突如として現れたミュレイに、毛を逆立てて竦み上がる。
「うふふっ。今回のグアド族掃討戦の特殊任務に、超優秀なフレイトスちゃんにも協力して貰ったのよ~!試行錯誤の上、やっとグアド族だけに効く猛毒が、完成したの」
ニコニコ嬉しそうに話すミュレイから逃れ、息を切らせて振り返る。
「グアド族だけ、って…どうやって、確かめたんですか」
重い沈黙が流れた。
…これ以上、聞かない方がいいみたいだ。
仕切り直しする様に、ウユラは眼鏡をぐい、と押し上げた。
「グアド族について、現在分かっている事が、幾つかある」
グアド族は三年前に、はるか東から戦火に追われ、フラウディル領の北に位置する鉱山の一つを、突然占領して住み着いた。
「鉱山に視察に来ていた、我が国の鍛冶士を拐い、国道を通る積み荷を襲いながら、奴らは東の技術を使って、強力な戦場兵器を作り上げた」
鉱山の内部は元々入組んでおり、グアド族にも採掘されて、今は迷宮の様になっているらしい。
「グアド族は、そのほとんどが雄だ。ただ一匹だけ、女王と呼ばれる存在がいる」
「女王?」
差し込む光の中で、彼女と目が合った。
「女王は優秀な雄と交尾をして卵を産む。卵の中で、奴らはほぼ成体に近い状態まで育つ。厄介な事に、この辺りの水質が女王の体に合っているのか、繁殖のスピードがどんどん早くなっている」
「何か…、虫みたいな話ですね」
卵とか繁殖とか、聞いていて気持ち悪くなってきた。
「捕らえたグアド族から聞き出したのよ~。女王の居場所は、とうとう吐かなかったけどね」
ミュレイは俊輔の割れた腹筋の溝を、服の上から指先でなぞりつつ言った。
ウユラは、更に話を続ける。
「初めは、鉱山の奥に女王がいるのかと思っていたが、どうも他の場所に潜んでいるようだ。現れたグアド族を、ひたすら一掃するだけでは意味がない。そこで、今回の特殊任務の出番だ」
レンズの奥の、紫色の瞳と目が合う。
固唾を呑み、彼女の言葉を待った。
「モリヤ・シュンスケ。グアド族に扮し、女王の根城に潜入したまえ」
は。と目を見開いた。
「君は、グアド族に本当にそっくりだ。先程初めて君を見た時、自分にも驚きの感情があるのだと知って、嬉しくなったよ」
「…はあ」
「しかも君は雄…男性だ。その魅力的な外見は必ずや、女王の目に留まるはずだ」
…何だか、とても嫌な予感がする。
「モリヤ。その溢れる色気と魅力で女王を誑かし、閨に潜り込んで、毒を女王の体内に入れて殺せ」
…ちょっと、気が遠くなって来た。
「毒を体内に入れる方法は、君の自由だ。口からでもいいし…」
「ああ、みなまで言わなくていいです」
手のひらを向け、ウユラの言葉を遮る。
ミュレイは、段々顔色が悪くなって行く俊輔の、上腕二頭筋の溝を優しく撫でた。
「この作戦はね、モリヤ君を見た時に閃いたの。総帥のレメディもすぐに賛同してくれたわ。女王を叩くのに、一番効率の良い作戦だと思うのだけど…。毒を使うから、兵士として経験の浅いモリヤ君でもきっと出来るはずよ」
そこでやっと、俊輔は重い口を開いた。
「作戦の内容と、主旨は理解出来ました。…しかし、俺は卵から産まれたグアド族ではありません。似ていると思っているのは、フラウディル人だけではないかと、思うのですが」
「いや、それは無いな。君はグアド族にそっくりすぎる」
一番大事な所を、あっさりウユラに否定されてしまった。
「もし…。俺をグアド族だと、向こうが認識しなかったらどうするんですか」
「その時は、別の作戦を幾つか考えてある」
( 本当かなぁ… )
ウユラの銀縁の眼鏡が、再びキラリと光った。
「掃討戦は、七日後だ。すでに小隊を北上させ、作戦は準備されつつある。決行されるその日までに、君は女王をどう誑かして交尾に持ち込むか、良く考えたまえ」
露骨過ぎる作戦内容に、口元が引き攣った。
「作戦の内容は誰にも言っちゃダメよぉ~!と・く・に、ユリウスにはね。モリヤ君にこんな作戦をさせるってバレたら、中央大聖堂の一番高い尖塔までぶん投げられちゃうわ~っ!」
平和で静穏なアカデミーに、ミュレイの高笑いが響き渡る。
震えの止まらない体で二人に敬礼すると、俊輔は逃げる様に教室を後にした。
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