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25.
「この家の酒蔵を空にして、今すぐ帰りたい」
パーティーが華々しく開催されるや否や、ユリウスがごねだした。
招待客達は嘆美の的となっている彼女を遠巻きに眺めては、心ともなく吐息を漏らしている。
冴え冴えと、真白に耀う美貌は穢れのない神聖さを併せ持っており、誰もが近寄り難いと感じるのか、ユリウスの周囲にだけ円い空間が出来る程だった。
その不自然に空いた空間で、俊輔は彼女に聞こえない様に重いため息を落とした。
「……分かりました。取り敢えずお酒沢山持って来ますから、少し待っていて下さい」
踵を返し、謝りながら人垣を掻き分けてその場を抜け出る。
( これじゃ、告白するどころじゃないな。本当に直ぐ帰られちゃ困るから、何とか機嫌を直して貰わないと… )
視線を巡らせ、遠目にも分かる位混雑しているダイニングへ、足早に向かう。
ダンスホールと隣接する広大なダイニングは扉が無く、アーチを描いた大きな開口部の両脇に、目印の様に重厚な双子柱を構えている。
ダンスホールはダイニングの他にも、招待客が寛ぎながら歓談出来る応接室や、庭園へ出られるテラスが備えられていた。
( お、あれは… )
壁伝いに歩く俊輔はそのテラスを横切る際、こちらに背を向けてゆったりと話し込んでいる、ウユラとアリシアがいるのに気付いた。
柱の陰で立ち止まり、二人の会話にそっと耳を澄ませる。
「…こうしてフレイトス先輩とお話していると、より研(より苦痛と絶望を与える拷問具研究会)で、一緒に活動していた頃を思い出しますね。先輩の研究会に入った事で、私が造り出す付属武器の殺傷力は飛躍的に上がりましたし、あの頃は毎日が充実していました。今の私があるのは、より研と先輩のお陰です。ただ…あんなに楽しい研究会だったのに、20人位いた部員達がいつの間にか先輩と私だけになってしまったのは、少し寂しかったですけど」
はにかみながら当時を話すアリシアの手を、ウユラは小さな手で包んだ。
「私も、君と一緒に過ごす時間は何よりも充実していたよ。あの頃は…、人間の苦痛に限度はあるが、恐怖に限度は無い。と言う説は果たして本当なのか、苦痛の限界を超える事は出来ないのか、二人で夜中まで論究したものだな。君との時間を誰にも邪魔されたくなかったし、君のことが、好きだったから…。だから、邪魔な他の部員は殺…辞めて貰ったんだ。アリシア、あの頃の真剣な気持ちは、今も変わらない。どうか私の事は、名前で呼んでくれないか」
「せんぱ…ウユラさん……」
甘い雰囲気の中で堂々と血腥い事件を白状しているが、ウユラの恋も、無事に成就したみたいだ。
( フレイトスさん良かった…。まぁ、あの二人、似た者同士なとこあるもんな… )
その場に微笑みを残し、こちらもざわざわと賑わしい様相を見せている、ダイニングに入る。
給仕に向かおうとしていた女性に謝り倒し、グラスに入ったワインが大量に乗せられたトレーを丸ごと受け取ってダンスホールに戻ると、見事な背筋に明るい声が掛けられた。
「おぉ~い。そこの、いいマッスルをしたメイドさ~ん」
ーメイドじゃないし、この声は…。
ギクッとして振り返ると、俊輔の予想通り、壁際に並べられた長椅子にレメディとミュレイが腰掛けて手招きしていた。既に出来上がっているのか、頬を赤らめて破顔している姿は、以前にも見た気がする。
しかし今回は、アルディナとフィクスも二人を挟む様にして腰掛けている。
そこから俊輔を眺めていたミュレイはふと、口惜しそうに眉根を寄せた。
「今夜のモリヤ君は、特に魅力的ねぇ…。 血も涙もない鬼でも、コロッといっちゃいそうな位凛々しいんですもの。 ああ、私の可愛いモリヤ君がユリウスのものになるかも知れないなんて~っ! そんなの認めたくなくて、意地になっちゃう」
「ミュレイ殿、モリヤがユリウス殿に告白するのはこれからですよ。変更するなら今の内ですが」
グラスを傾けたフィクスは横目で一瞥すると、挑発的な笑みを浮かべた。
ぎゅっと口角を下げ、浮かない顔でいるミュレイに、アルディナが確認も兼ねて口を挟む。
「ユリウス殿がモリヤの愛を受け入れたら、レメディ殿と私と、フィクスの勝ち。でしたな。そして勝った褒美に、モリヤと本気の手合わせが出来ると」
「え。ちょっ…」
彼女たちの褒美となる当の本人は、全くの初耳だった。
「俺の一世一代の告白を、賭けなんかに利用しないで下さいよ! 第一、ヴィンセット将軍はつい最近も、本気の手合わせで俺の全身を穴だらけにしたばっかじゃないですか」
アルディナは詰め寄った俊輔からグラスを一つ取り上げ、素知らぬ顔で中身を飲み干している。
秘めたつもりの彼の恋心はご多分に漏れず、五将達にもバレバレだったらしい。
「まあまあモリヤ君、そう昂らず。後ろを見て御覧」
「…後ろ?」
ニコニコしているレメディに指し示されるまま、ダンスホールの中央へ視線を移す。俊輔はあと少しで、大量のグラスが乗ったトレーを落としてしまう所だった。
「ゆ、ユリウスさんがっ…。踊ってる…!?」
青天の霹靂とも呼べる光景に、驚愕して見開いた目から眼球が飛び出しそうになる。
今夜の様にダンスがメインのパーティーでは、誘いを受けた方は誰であろうと快く踊りに応じるのが、この場での正しい礼儀となっている。
ユリウスはそれに従っただけなのだろうが、まさかあの彼女を、ダンスに誘う度胸がある者がいたとは…。
まじまじと相手を観察する視線が、細まる。
「ユリウスさんと踊っているのって、男の人…?」
身長は俊輔と、殆ど変わらない。
屋敷の植え込みみたいに綺麗に整えられた髭と、精悍な顔立ちはどう見ても、男性だ。
胴体にぴったりとした臙脂色のダブレットに、縦にスラッシュが入った膨らみのある同色の下衣。膝飾りの全身にリボンバンドルを着た貴族風の男性は、魅惑的な微笑みを仏頂面のユリウスに向けながら、軽やかにステップを踏んでいる。
「お忍びでフラウディルに遊びに来た、ティドロスの王子なんですって~。王子って言っても王位継承権はかなり後の方らしくて、毎日遊び回っては美人を口説いてるらしいけど。自国の女性だけじゃ、満足出来なくなったのかしらねぇ」
ミュレイの言葉に、思わず息を呑む。
女漁りで有名な遊び人であっても、王子の洗練された優美な身のこなしと仕草には、目を引かれるものがある。
演奏に合わせ、花びらを振りまく様に踊る二人は、まるでお伽噺の世界から抜け出して来たみたいだった。
ユリウスと自分との間にある、余りに大きな隔たりを見せつけられた気がして、奮い立った心が急速に萎んで行く。
( でも、俺は…… )
奥歯を嚙み締めていると、何故か笑壺に入っているアルディナがミュレイの話を継いだ。
「そういえば…。ユリウス殿が成人して、間もない頃だったかな。ティドロスからフラウディルに遊学に来ていた貴族の坊主が、酒に酔った勢いで調子付いて、聖堂の許可も得ずにフラウ・エレンディルの木を見せろ。と大聖堂で騒いだ事があってな…」
彼女はにんまりと、巌の如き腕を組む。
「坊主は愚かにも、フラウ・エレンディルの木に危害を加えようとしただけでなく、毅然と対応したユリウス殿に無理やり迫ろうとしてな。将軍の峰打ちで、首から下は粉砕骨折と複雑骨折で酷い有様になったらしい」
「ほぼミンチですね、それ」
ーそういやそんな話を、転生して間もない頃にユリウスさんから聞いた事があるな…。
と感慨深く感じていた俊輔は、そこではたと気付いた。
ダンスホールで踊っていたはずの二人が、何処にもいない事に。
「ハッハッハ…。いやぁ、ティドロスの王子がスケベな顔してユリウス殿をテラスまで引き摺って行くから、ふと昔話を思い出してしまってな」
屈託なく笑うアルディナに、真っ青な顔で巨大なトレーを押し付ける。
「た…大変だ……っ! そういう大事な話は、思い出話より先に言って下さいよ!!」
コートの裾を煌びやかに翻し、俊輔はダンスホールを風の如く走り抜けた。
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