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24.
「シュンスケさん、ユリウス様のお支度が整いましたよ」
自室に訪れたメイドから報せを受け、首元に巻いた総レースのクラヴァットの結び目を、姿見の前で再度確認する。
「分かりました。直ぐに向かいます」
指折り数えて待った、ダンスパーティー当日。
ユリウスの自室へ向かう動きがぎこちないのは、前の晩、早めにベッドに入っても目がギンギンに冴えて眠れなかったのと、慣れない衣装を着ているせいだろうか。
この日の為にと、リディルが用意してくれたブルーのコートとブリーチズ、白い絹紋織のウエストコートの三つ揃いは、俊輔が持っている衣服の中で一番上等な物だ。
コートとウエストコートには、シークイン、宝石を使って草花柄の刺繍が施されており、金糸で巻いた釦が付けられた衣装は、薄暗闇でも星が瞬いているかのような輝きを放っている。
扉をノックすると直ぐにリディルが扉を開け、室内に招き入れてくれた。
「……うん。紅い髪に落ち着いた青が映えて、良い感じね。シュンスケさんに良く似合ってるわ」
彼女は俊輔の周りをくるくる回りながら、解れや皺が無いか具に検分し、正面に戻ってきて表情を綻ばせた。
用意した盛装用の衣装を着こなしている俊輔に、ご満悦の様子だ。
「引き継ぎでお忙しいのに、ありがとうございます、リディルさん」
「皆と協力して作ったから、大丈夫よ。あのユリウス様がドレスでパーティーに参加されるんですもの。シュンスケさんの衣装にも、気合いが入っちゃった」
寝る間も惜しんで、針を動かしていたリディルは疲労の色を滲ませているが、達成感からか晴れ晴れとしている。
キルシュタイン家での最後の大仕事を終えた彼女は、主が待つ奥の続き部屋へ、俊輔を案内した。
「失礼します」
ドレッサーの前で、スツールに腰掛けたユリウスの周りを、三名のメイドが取り囲んでいる。
それぞれが紅筆やブラシやピンを手に持ち、入念に仕上げをしていた。
「ユリウス様、終わりましたよ。シュンスケさんお待たせしました」
メイドに導かれるまま、俊輔のいる所まで、しずしずとした足取りでユリウスがやって来る。
近付いてくる麗しい姿に、思わず目を見張った。
目の前に立ったユリウスは、いつか夢で見たあの時と、全く同じ装いをしていたのだ。
白地の縫取織で作られた盛装用のドレスは、ガウンと共布のペティコート、胸元を飾るV字型のストマッカーから成っている。数種類の金糸と銀糸で植物柄が織り込まれた布地は、月暈の様にふわりとした燐光を纏っていた。
( これって、正夢…なのかな )
長い髪を左右に分けて編み込んだクラシカルな髪型も、夢と同じだ。
ダイヤと真珠で作られた耳飾りと頸飾が放つ光彩は、ユリウスの稀有な美貌を神々しいまでに際立たせている。
それは、夢の続きを見ているかのような、不思議な光景だった。
「とても、綺麗です」
無意識に賛辞を呟くと、ユリウスは煌びやかに装った俊輔から、視線を逸らした。
「…そういう台詞は、意中の相手に言え」
窘める口調だが、頬が薄く染まっている。
「ええと…。はい…」
ぎこちない空気の中、珍しくもじもじと黙りこくる二人を見かねたリディルが、助け船を出した。
「パーティーに遅れますから、そろそろ行きましょうか」
エントランスで畏まって立ち並んだアルマとティータ、メイド達に見送られ、ポーチに停められた馬車へ向かう。
先にユリウスを座席に乗せると、俊輔はリディル達にエントランスまで呼び戻された。
忘れ物だろうかと引き返すと、含み笑う彼女達に、一斉に取り囲まれた。
「告白頑張ってね! シュンスケさん」
「あぁ…、とうとうこの日が来たのね。いつになったら告白するのかしら~! って、じれったくてしょうがなかったのよ~」
鼓舞する様に全員に背中を代わる代わる叩かれ、ポカンとした後に漸く、思い至る。
( えっ…。オルデールさんだけじゃなくて、皆にもとっくの昔にバレバレだった?)
隠し通せていると思っていたのは、自分だけだったらしい。
何も隠せない単純過ぎる自分を愧じ、車内で意気消沈している内に、馬車はあっという間にラヴェル家に到着してしまった。
「シュンスケ~! ラヴェル家へようこそ! この私に頭脳戦で完膚なきまでに叩き潰されたユリウスも、約束通り着飾って来てくれて嬉しいよ」
意匠を凝らした豪奢なダンスホールは、無数の水晶で造られたシャンデリアの灯りが磨き抜かれた床に反射して、幻想的な輝きに満ちている。
真紅の派手やかなドレスを纏い、ほくそ笑みながら出迎えたオルデールを見るなり、ユリウスは眉間に刻んだ皺を痙攣させた。
他の招待客らに穴が空くほど凝視されて不愉快だったせいもあるが、彼女の隣に立つパートナーが、自分の良く知る人物でもあったからだ。
「テオドール。悪いことは言わない。頭から水を浴びて、もう一度良く考え直せ。今ならまだ間に合う」
浮薄な恋愛関係を渡り歩く遊び人が、本気で恋した女性がテオドールだと知り、俊輔も目を丸くしていた。
仲睦まじく寄り添う姿を見るに、二人は既に親密な間柄なのだろう。
「オルデールさんて、ただそこにいるだけでモテちゃうと言うか、常に入れ食い状態ですけど…。本当に大丈夫ですか?」
「……」
敬愛するユリウスと、実は懇意にしている俊輔にまで心配され、言葉に詰まってしまう。
「やっと相思相愛の仲になれたのに、余計なこと言って不安がらせないでよ!」
オルデールは浮かない顔つきの恋人を、偏見と謬見から遠ざける為にひしと抱き寄せた。
「テオドールぅ~! 二人の言葉を真に受けて、やっぱ考え直そう。とか思わないでよ~」
「え、ええ…。思ってませんよ」
頬擦りされ、迷いなく頷く。
しかし、告白した直後から自分の決断に迷いが生じていた事は、黙っておいた。
「あらあら。皆さん華やかですねぇ」
「やあ、ごきげんよう」
ユリウスとオルデールが口論していると、着飾ったアリシアとウユラも、ダンスホールにやって来た。
アリシアをエスコートするウユラは、俊輔、テオドールと同じ三つ揃いを着ている。
ドレス姿のアリシアより頭一つ分以上小さいが、堂々としていて貴族らしい風格があり、様になっていた。
「おっ、もう一組のバカップルも来たね」
「ああ。バカップルとしてお招きいただき、感謝申し上げる」
オルデールのからかいにもウユラは堂々と返し、一礼してみせた。
困り顔で微笑むアリシアは、満更でもなさそうに見える。
ウユラがエスコート役を願い出た時から、アリシアの方も彼女を意識しているのかも知れなかった。
( フレイトスさんも、上手く行きそうだな。俺も400字詰め原稿用紙5枚分の甘い台詞はバッチシ覚えたし、後はユリウスさんをダンスに誘って…。思いきって、告白するだけだ )
とうとう訪れた運命の瞬間を前に、抑えようとしても武者震いが止まらない。
主催者の合図と共に演奏が始まると、招待客らはホールの中央に次々と躍り出て、ダンスを楽しみだした。
オルデールは俊輔達に向き直り、艶かしい仕草で吊り上げた口元を隠した。
「さぁ、皆も踊るなり歓談するなり、自由に楽しんでね。きっと、忘れられない素晴らしい夜になるよ」
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