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1.
大陸西の最果てに在る、広大で肥沃な平地を持つフラウディル国は実りの秋を迎え、今年も無事に農作物の収穫を終えた。
今年は例年に比べて、全体的に作物の質が良い。
ほぼ理想的と言える降水量、日差しのお陰で、特に果物はどれもが瑞々しく、甘みが強くて香りも一際芳醇だ。
ただ、夏に決行されたグアド族掃討戦において、敵の砲撃により農地の一部が壊滅的となり、二割ほど収穫量が減ってしまった。
武官、導官達の懸命なサポートにより荒れた農地は回復したものの、今年の出来が良いだけに、農業従事者達からの惜しむ声は多い。
それでも収穫祭が始まる頃には、悩みの種であったグアド族との戦闘に勝利した喜びも相まって、人々の心は浮き立った。
どの地区でも昼夜を問わず人が溢れ、楽士達のかき鳴らす軽快な音楽に合わせ、歌やダンスを楽しんでいる。
フラウディルの人々は、出来立ての新鮮なワインや、温かい料理の数々に舌鼓を鳴らしつつ、通りや広場で行われる華々しい軽業や催し物に盛大な歓声と拍手を送った。
大地が与えてくれた多くの恵みに感謝しながら、国中の人々が笑顔で収穫祭を満喫している。
まだ昼中だと言うのに、誰もが美酒に酔い、大いに浮かれ騒いでいるのだが……。
そんな中、眉間に厳つい皺を刻み、ニコリともしない者達がいた。
王都の警備を担当し、連日酔っぱらい共が起こす、乱闘や喧嘩の応対、仲裁に追われている武官達だ。
今日もまた、王都西部、飲食街の一角にある酒場にて、ガラスが割れる派手な破壊音と、見物人達の囃し立てる声がワアッと沸き上がった。
「シュンスケッ、次は、そっちのムキムキ頼む!ええっと、三つ編みの、ムキムキなっ!」
ダガーを握りしめた太い右腕をガシリと受け止め、苦渋に満ちた顔で、リナは背後に向けて叫ぶ。
直ぐ様、頼もしい返答が店の入り口付近から上がった。
「…任せろ!」
白目を剥いている酔漢を床に転がし、俊輔は素手のまま、砕けた木材が散らばる足場の悪い床を器用に駆ける。
勢いを付けて力強く踏み込むと、床が撓み、弾みが付いて高く跳躍した。
煉瓦色の巨体がリナの頭上を軽々と飛び越え、彼女が対峙している、獣じみた酔っぱらいの頭を踏んで、三つ編みのマッチョな女に飛び付いた。
「うぬうぅぅッ、離せぇっ!」
羽交い締めにしてきた俊輔を振りほどこうと、女はがむしゃらに抵抗した。
身体を左右に振りながら、彼の防具を探り掴み、とうとう片手で簡単に引き剥がしてしまう。
紙くずを放る仕草で投げ飛ばされ、つい舌打ちした。
( クソッ!これだから、フラウディル人は…! )
クルリと宙で体勢を整え、着地するや否や、再び三つ編みのマッチョに向けて全力で突進する。
「ぬぐおおおぉぉッ!!」
互いに一歩も退かず、唸り合いながら、二人のマッチョはギリギリと両手を組み合わせた。
( ダメだ…!やっぱり力じゃ、負けてしまう )
相手の力を封じている両腕が、瘧の如く震えだした。
押し留めていたはずの腕が押し負け、次第に自分の顔前にまで近付いて来る。
「ぬははっ!いいマッスルしてる割りに、貧弱な武官だねッ!」
自分より力の無い俊輔を鼻で嗤い、三つ編みはより一層、前のめりに体重を掛けた。
その瞬間を待っていたとばかりに、金色の瞳が鋭く光る。
相手の腹部に素早く足を掛けると、勢い良く背中から床に倒れ、ぶん投げた。
「ッ!?」
凄まじい勢いで吹っ飛んだ三つ編みの背面は、煉瓦造りの壁に強かに叩き付けられた。
店全体が衝撃で小刻みに振動し、ミシミシと軋みを上げる。
「うごぉ、お…っ」
人の形に抉れた壁から煉瓦の破片が床に落ちて、ぱらぱらと音を立てた。
( あと、…四人! )
息つく間も無く、周囲に視線を巡らせる。
もう殆どの酔漢は床に寝転がり、苦悶の呻き声を上げている。
俊輔は、背後から隊員を襲おうとしている酔っぱらいの首根っこを掴み、引き摺り倒した。
酒場に到着する前から、すでに客同士で乱闘状態だったそうなのだが、酔いが回っているせいか奴等は痛みに鈍く、倒れるまでにやたら時間がかかる。
頭や鼻から夥しい血を流しつつも、驚異的な体力と力を見せつけ、日頃から厳しい訓練を受けている若い武官達を翻弄した。
「…これで、終了」
漸く最後の一人が床に倒れると、無残にも荒れ果てた立派な酒場は、やっと静けさを取り戻した。
壊れた椅子やテーブル、割れたジョッキやワイン樽が散乱し、辺りは酷い有り様となっている。
空気中に漂う濃厚なアルコール臭に、息をするだけで酔ってしまいそうだ。
見物人達は、たった五名で十二人の凶暴な酔っぱらいを鎮めた若い武官らを労い、興奮した様子で囃し立てた。
「姉ちゃん達、中々の強さだねぇ!」
「もう、ヒヤヒヤしちまったよ」
ーどうやら、どっちが勝利するか、賭けていたみたいだ…。
面白くない顔で、渋々銀貨を手渡している者がチラホラ見受けられる。
俊輔が所属する二十七部隊の隊員達は、疲労が強く出た冴えない顔で、揃ってため息を落とした。
「…毎日毎日、どれだけ乱痴気騒ぎを起こせば気がすむんだ、ここの住人はっ!」
今にも発狂しそうな声音で、リナはとうとう頭を抱え、しゃがみこんでしまった。
どんな苦境にあっても、明るさを忘れないリナが悪態をつくなんて、かなり珍しい。
( まあ、無理もないよな… )
俊輔達が西部地区の警備を担当して、早三ヶ月。
運悪く、大きなお祭りの時期に警備がぶち当たってしまい、週始めから苦行かと思う日々が続いているのだ。
「普段から、こういう乱闘騒ぎが良くあるもんね。今は収穫祭中だから、いつもよりずっと酷いけどさ」
西部は特に、荒っぽくて喧嘩早い人間が多い気がする。
収穫祭が始まる頃から、リナが既にウンザリしていた理由が良く分かった。
「朝から、これで何件目だっけ?」
「んーと、七件目?」
「いくらなんでも、浮かれすぎでしょ…」
どんよりした空気が酒場に満ちた。
彼女達の仕事が終わる時刻は夕方前であり、太陽はまだ高い位置にある。
夕刻までにあとどれだけ、酔っぱらい共の相手を、しなくてはならないのだろうか…。
考えたくない位に、体力も気力も、既に限界を迎えていた。
「あ、シュンスケ。危ないよ~」
「ん?」
制裁した酔っぱらい達を縛り上げていた手を止め、声を掛けたミリアを振り返った。
意識を取り戻した輩が、反撃しようと、俊輔に腕を伸ばした所だったらしい。
「しつこい女は、嫌われるわよっ」
ミリアは臆する事なく、ワインの瓶を頭に叩きつけ止めを刺した。捕縛された筋肉質の酔っぱらい達を纏め上げ、入り口まで引き摺って行く。
( …ミリアって結構可愛いのに、容赦無い… )
武官の例に漏れず、彼女もまた血の気が多いのだろう。
「経験してみて思ったけど、武器を使わずにその場を収めるのって、かなり大変なんだな」
だろ~?と、リナは苦笑いで俊輔の考えに同意した。
どんなに凶暴でも、相手は一般国民であり、ただの酔っぱらいだ。
盗賊や、殺人を犯した相手ならば制約は無いが、王都内の警備を担当する武官は基本、素手で交戦する決まりがある。
「まさかここに来て、レスリングの重要さに気付くとは思わなかったな」
その辺の酔っぱらいとは言え、異世界人である俊輔からすると、怪力を誇るフラウディル人との交戦は命懸けだ。
力ではどう足掻いても敵わない為、どうすればうまく立ち回れるだろうか…。
と、真面目な事を考えていると、兵長から魔法の文書を受け取ったリナが、中身を確認するなり、げぇっ。と盛大に顔を歪ませた。
「この酒場前の通りを、東に三百歩進んだ辺りで、約三十名の酔っぱらいが暴れているから、担当している他部隊に加勢しろ。見物人も面白がって乱闘に加わりだしたから、今すぐ来い。って」
「マジか……」
誰からともなく、全員がその場で天井を仰いだ。
酔っぱらい達から受けた被害を、慣れた調子で台帳に書き記していた店主は顔を上げ、魂が抜けかけた彼女らに、朗らかに微笑んだ。
「君らが早く抑えてくれたお陰で、店の修復も直ぐに済みそうだ。店が再開したら、お礼に食事とお酒を振る舞うから、またおいで」
ニコニコと、感じの良い店主の笑みに誘われ、顔を見合わせた隊員達の表情が少し明るくなる。
「ありがとうございます」
この店は、まだ王都に詳しくない俊輔でも名前を知っている位、美味しい料理を安く提供してくれる、隠れた名店なのだ。
とりわけ若い武官らは、中央の畏まった高級店よりも、他の地区で飲食する者の方が多い。
リーズナブルで美味しいお店の情報は、隊員同士で交換し合う、良い話の種になるのだ。
( ユリウスさんはこういうお店、行かないかなぁ… )
店内を眺めながら、ふと思う。
賑やかで喧しい大衆酒場よりも、贅を凝らし、気品に溢れた静謐なレストランの方が、宝玉の様な美貌を持つ彼女に相応しい気がする。
真っ白なテーブルクロスを前に、洗練された所作で食事をする麗しい姿を思い出し、頬が熱くなった。
「シュンスケー!次行くぞー。急げ急げ!」
「…悪い。今行く」
リナに促され、手を上げた。
( 仕事中に何を考えてるんだ、俺は…。集中、集中 )
緩みそうになった表情を、頭を振ると共に、引き締める。
店主に敬礼し、急いで表へ飛び出した。
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